戦場を後に
結局王妃殿下に目を付けられた彼らは逃がしてもらえない。王都ガレンシーに向かう道、国王直轄軍に同道している。
「それじゃあ、何? あなた達はこの勇者王の国を素通りして東に向かっていたわけ?」
彼らがジャルファンダルからこちら、ナギレヘンで表舞台に登場するまで目立った活動をしていなかったのを、アヴィオニスはそう受け取る。無理はないとは言え、それで喧嘩腰というのは勘弁してもらいたい。
「素通りなんかしていないわよ! 王宮には近付かなかっただけ! そうでしょ?」
「そうだねえ。何だかんだで
「何で訪ねてこないのよ!」
これは完全に言い掛かりである。その期間はこの勇者王夫妻もガレンシーにはいなかったはず。それを指摘すると、「馬を走らせたわよ!」と反論し、情報網には掛かったと主張する。
「何を無茶言ってんのよ! じゃあ、何? あんたの国の王宮は『どうも、魔闘拳士ですが?』って訪ねたら簡単に入れてくれるって言うの!?」
「馬鹿な事言わないで! あたしが鍛えた連中はそんな無様はしない! そうじゃなくて、証明する術くらい持っているでしょ!? ホルツレインの聖印とか!」
「へぇ…」
意外な単語が出てきてカイは感心した。
ホルツレインの聖印が効果を発するのは西方か、その窓口となるメルクトゥー、あとは東方でも港町の人間がその噂を耳にした事がある程度だと思われる。
それが咄嗟に出てくるという事は、彼女は西方情勢に関してもそれなりに調べて通じていると思ったほうが良さそうだと感じられた。
「それで、王宮に引き込んだら最後、ラムレキアには魔闘拳士有りって宣伝を始める訳よね? もしかして『我が国は西方との共闘関係を結んでいる』とか言い出して、日和見している小国なんかを巻き込むつもりなんだわ」
腕組みして蔑むように見るチャムに、腰に手を当てて指を突き付け肩をそびやかしたアヴィオニスはニヤニヤと笑いながら反論する。
「当たり前じゃない。そういう情報を大々的にではなく、真しやかに裏からそっと流すから効果が有るんでしょ? それくらいの腹芸が出来なくて国家の中枢に居ますなんてどうして言えるっての?」
「あー、やだやだ。自分の腹黒さをひけらかすようになったら女も終わりね」
「えー、ちょっと顔が良いからって、英雄にぶら下がって生きている女よりはマシよねー?」
もう角突き合うどころか、物理的に額をぶつけ合いながらの言い合いになっている。
「放っておいて良いのか?」
あわあわと仲裁しようかどうしようか慌てているフィノを横目に、トゥリオが心配そうにカイを肘で突つく。
「良いんじゃないのかな? 楽しそうだし」
「お前にはそう見えてんのか?」
美丈夫は汗を垂らしながら首を捻る。
片や戦闘指揮車の座席に立ち上がり、片や青い
カイにしたところで、楽しそうと言ったのはただの軽口ではない。実際にそう思ったからこその言葉だ。
現実にチャムと同格でポンポンと言い合える女性は少ない。どうしても彼女の美貌を前にすれば及び腰になってしまう場面ばかりが印象にある。視界の隅のほうに陣取って聞こえよがしに嫌みを言うのがせいぜいである。
そのチャムと対等にガンガン言い合っているアビィオニスは貴重な人材といえよう。だからチャムは、露骨な怒り顔を見せながらも腰の剣にも手をやらず、口の端に笑みの気配を漂わせているのだ。
アビィオニスとて、美貌ではチャムに劣っていると気後れはしているだろう。
二人並べば大きく水を開けられているように見えるが、その実、彼女も誰もが溜息を吐くような麗人である。
光の下では深い藍色を見せる、長く波打つ黒髪は美しい。それが風になびき光の角度まで合致した時には、瑠璃色の輝きを見せる。よく手入れされて、艶々とした細髪は憧れを抱く者も少なくないだろう。
白い
薄く化粧の掃かれた小顔は確かに美しい。名高き勇者王の横に在ろうと、王宮に在ろうと彼女は良く映えるであろう。そして、戦場においてはまさしく華となる。そういう意味でもアビィオニスの存在も兵の士気を上げていると思われた。
対するもう一輪の華は、誰の目にも容姿端麗と映る。
戦場で彼女と正対した兵達は皆、一様にそう口にした。「美の神マゼリアが御光臨なされたのだと思った」、と。
一筋の歪みのない腰まである長い髪は、内から青い輝きを放っているかのように麗しい。乾燥に悩まされる内陸地域にあっても、常に濡れているような印象を与えるほどに纏まり、豊かに踊り舞う様が人の目を惹く。それでいて静かに流されている時は、静謐な湖面を見るように整然とその身を彩っていた。
流麗に弧を描く、少し濃いめの青を見せる眉は、一部の隙も無い美しさを見せながらも凛々しさも感じさせる。僅かに吊り目がちな緑眼は、美技を誇る絵師が渾身の一作と豪語するのではないかというほどに整い、長い睫毛に縁取られている。新緑を思わせる緑の瞳は内から気品を滲ませ、その瞳に映るだけでも栄誉だと感じさせる何かがあった。
超絶技巧と謳われる彫刻家が、僅かな狂いも許されずに彫り上げたかのような鼻梁は、鋭さと柔らかさを併せ持つような絶妙な稜線を描いている。その下には、ふっくらと艶やかで、紅を掃いている訳でもないのに赤い花を思わせる唇。細い
しかして、その二つの大輪の花は今も指を突きつけ合い、議論の真っ最中。
「誰がぶら下がっているもんですか! 私は彼と並んで立っているわ! 腕で勝る事は今はないけど、背中を預けられるのは私だけって言っているの!」
「あらあら、女だてらに腕自慢? 英雄を引き立てるならその背中をそっと支えて押し出してあげるのが女の器量ってものじゃないの? なのに並び立つのが猪武者では彼も堪ったものではないわね?」
「ふーん、後方でふんぞり返って男を顎で使うのが女の器量? そんな女を守らなきゃいけないなんて、勇者王殿は甲斐がないわね? 本当に可哀想」
交互に嘲笑を浮かべる様は、まるで良く出来た演劇を見ているようだった。
「なんですってー!」
「何とかしてやれよ。 いい加減、可哀想だぜ?」
あれを止められるとしたらカイしかいないだろうとトゥリオは思っているし、事実そうだろうが本人は一向に問題を感じていないようだ。
だが、厳選されて対応にも慣れているだろう戦闘指揮車の御者が、真っ青な顔をして後ろを振り返る事も出来なくなっている様を見ると、これほど
「絶対に手を出したりはしないから大丈夫」
「大丈夫じゃねえだろ?」
フィノも仲裁を諦めてすごすごと戻ってきた後は、リドに慰めてもらっている有様だ。トゥリオがもしあの間に入ろうとしようものなら、全ての矛先が自分に向いてくるような気がして怖ろしくて出来ない。
しかし、黒瞳の青年は、二人の口喧嘩の声も妙なる調べであるかのように感じられるのか、微笑んでパープルの背で揺られているだけだった。
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