折れた聖剣
「ナヴァルド・イズンが…、折られた…?」
あまりに仰天の事態に魂が抜けたようなアヴィオニスから力無い声が流れた。
それは彼女にとって全ての終わりを意味する事態。
ザイードは剣士としては群を抜いている。凡庸な兵士では歯も立たないだろう。それでもたった一人で戦場を引っ張るほどの力は望めない。それは聖剣の力あってのこと。
永き鍛錬の末の剣技も、強めの身体強化が掛かった身体が生み出す破壊的な斬撃も、聖剣だからこそ実現出来る技である。どれだけ高級で頑強な剣であろうと普通の剣ではそれに耐えられず、長時間の使用は不可能。そんなに何本も剣を持ち歩けない以上、手加減して使うしかない。
それでは勇者王は戦場の要たり得ない。
衝撃の事実を知った全軍の士気は大きく低下し。挽回は難しくなる。
そこに付け込まないほどロードナック帝国は甘くない。一気に攻め込んでくるのは目に見えている。その猛攻に耐えうる力はもうラムレキアにはない。ずるずると敗退を繰り返して王都まで攻め込まれるか、それまでに重大な決断をするか、どちらかしかないだろう。
末路は想像もしたくない。抵抗し続けてきた勇者王の国は蹂躙される。民は迫害を受け何もかも奪いつくされ、最悪泥水を舐めて命を永らえる
大国相手の敗戦とはそういう事だ。
王族である自分達が生き永らえてそれを見る事はないだろう。それでも自分達の行動が導き出すであろう未来に胸が締め付けられる思いだ。
アヴィオニスは戦闘指揮車を進めるよう指示した。
◇ ◇ ◇
ごろんと勇者王の手から落ちた鍔元から柄の部分が大地に転がる。彼は膝を突き、信じられないように真っ二つになった愛剣を見つめた。
今は何の言葉も出てこないようだった。
「待てと言いましたよ? どうして人の言う事に耳を貸さないのです」
立ち直れそうにない、青い蓬髪の王を見下ろし溜息を吐く。
「状況が変わっているのくらいは見えていたでしょう? 意図的に見せていたのに、それでも動いたあなたが悪いのです」
「…情けが有るなら、ひと思いに討ってくれ」
「……、はぁ」
典型的な武人だ。それだけに自分の実力を知っている。聖剣と合わせてこそ自ら最前線の中央に立てるのだと重々承知しているのだろう。
だから剣ごとへし折る事でようやく止められたのだが、これは薬が効き過ぎていると溜息しか出ない。
「指揮官なら戦場を把握しなければ駄目でしょうに。打ちひしがれているだけでは配下の者はどうすれば良いか分からなくなりますよ?」
「皆が知っている。これで終わりだと」
「まるで悪役ではないですか?」
確かに誰もが足を止め、多かれ少なかれ絶望を噛み締めているように見えた。
「辛気臭いわね。まだ立ち直れないの?」
剣を鞘に収めつつチャムが様子を見に来た。
障害を抜けてきた部隊の足を凍らせた彼女は、それでも使命を思い出して動き出そうとする親衛隊の兵達の攻撃を、時に打ち払い時に武器を斬り飛ばしして黙らせていた。だが、重い音とともに再び固まった彼らを放置してやってくる。
「さっさとやるのかやらないのか決めなさいよ。あんたが号令掛けないと終わりも始まりもしないわよ?」
「だから討てと言っている」
「腑抜けているわね」
情け容赦もない台詞を浴びせ掛けた彼女の耳にも、車輪が土を食む音が聞こえてくる。
「少しは話しが通じそうな人が来たかな?」
「そう願うわ」
停止した戦闘指揮車の上には、立ち上がる貴婦人の姿があった。
「どうする、ザイード? ここは一敗地に塗れようとも、後の再起を睨んで退くと言うならそれもいい。どれだけ追い込まれようと全力を尽くして盛り立てるから。でも、もし武人として一矢でも報いたいと言うならそれもいいわ」
後ろを振り返ると、座席の裏から大振りの剣を取り出して掻き抱いた。
「あたしも一緒に死んであげる」
「すまん、アヴィ」
「…何、この茶番?」
美貌を彩る眉がへの字を描いている。
「どうしたものだろうね? 僕も一時停戦を呼び掛けたのに、どうにも聞き入れてくれなくてさ」
「一時停戦?」
アヴィと呼ばれた貴婦人の顔が疑問一色に塗り替えられている。
「そうですよ。一度退いてくれるように申し上げたのですが?」
「……」
貴婦人はそそくさと馬車を降りると、勇者王の背後に回って彼の後ろ頭を強かに叩いた。
「このバカ!」
「あ!」
苦笑いするカイの横で、チャムの呆れ声が聞こえる。
「し、失礼したわね…。えー…っと、ちょっと無かった事にしてもう一度最初からやり直さない? 打ち合わせてくるから」
「駒遊びじゃないんだから、待ったは無しだって言ったのはそっちなんですけど?」
「……」
無言でもう一度平手が後頭部に振り下ろされ、「ばちん!」と小気味よい音が鳴った。
「…お願い?」
「…構いませんけど?」
それでも失われたものは元に戻らない。二つに折れた聖剣に目をやった貴婦人は長い長い溜息を吐く。
「はぁ…。やり直すんですよね? 何で僕がこんな喜劇を演じなきゃいけないんだろう」
釣られるようにカイも溜息を吐くが、付き合うほうも付き合うほうだ。
跪いて長大な剣身に手を当てると、「
「おおお…!」
「言っておきますが、仕掛けてくるなら何度でも折りますよ?」
そんな台詞も耳に届いているのか、蒼白だった顔色に血色が戻った勇者王は、聖剣を手に立ち上がると派手な風切り音を鳴らせて何度も振り回している。
「ナヴァルド・イズンが戻ってきたぞ!」
「良かったわね」
もう子供を見るかのような目線である。
「元々そういう剣でしょうに? 傷だの刃こぼれだの無縁だったんじゃないですか?」
カイの目には聖剣の極めて強固な固有形態形成場が視えているのだ。
「もちろんだ! 聖剣だぞ?」
「あー…、ごめんなさい」
貴婦人が申し訳無さそうに詫び言を付け添えた。
「本気で初めからやり直す気なの?」
嬉々として聖剣を振り回す男を半目で見ながらチャムは嫌そうな声を出す。
「そう言っているからね」
「あ! そうそう! 停戦よね、停戦」
一つ手を打った藍色掛かった黒髪の貴婦人は、汗を垂らしつつ指示を飛ばす。
「停戦旗掲揚! 急ぎなさい!」
呪縛を解かれたかのようにあたふたと動き始めた兵が、戦闘指揮車の屋根の上に黄色と緑に染め分けられた停戦旗を掲げた。
アヴィオニスと名乗った貴婦人と向き合って話し合いとなる。正直、本当に無かった事にしたいと彼女は言うが、そうそう都合良くは事は運ばない。言われたほうも堪ったものではない。
「条件を出して。出来得る限り譲歩するから」
アヴィオニスはそう言うが、カイ達は交渉の当事者ではなく、答えに窮してしまう。
「とりあえずお互いに軍を退きましょう。然るべき場で然るべき人と話し合ってください」
「あなたは責のある立場ではないの?」
「そんな者ではありません」
ザイードとアヴィオニスは見合わせて顔を顰める。
「貴殿ほどの武人が無名である筈がない」
「でも、ファリ・クフォルド軍にそれほどの手練れが居る情報も無いのよ。だから、力押しで良いと思ったのに」
「敗れたのは事実」
思案顔の貴婦人が引き取る。
「問題ね。今後の帝国の対応が…」
「事実は変わらん。すまん」
目撃者は多い。いずれは噂になってしまうだろう。
「この人が無名だと困る訳ね? 安心なさい。恥ではないわ」
ラムレキアの方針転換は彼らの意図するところではない。
「だって負けた相手は魔闘拳士だもの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます