迫る拳

 朝靄が晴れてもファリ・クフォルド軍は姿を消していなかった。

 どうやら一戦交えなければ収まらないと分かるとアヴィオニスは苦い顔をする。勇者王ザイードは至って平静だが、彼の場合は内に熱さを籠らせて戦うタイプ。


 そうしている間に敵営に動きが見える。それは一団の騎馬が戦場を去る姿。離脱したのは、軍服からして帝国軍士官らしい。状況からして軍監だろう。

「動いたわね。少し時間を置く?」

 情勢に変化が見える。待てば向こうから折れるのではないかと思った。

「待てん。尻を叩く」

「じゃあ、こうなさい」


 ザイードを中心に重装歩兵が並び、それに付き従うように歩兵の軍団が居並ぶ。圧力を掛けるように整然と前進していき、その威容を見せつけるように進軍を始めた。


 ラムレキア軍の動向に呼応するように、ファリ・クフォルド軍でも慌ただしく編成が始まっているようだが、その動きは如何にも鈍い。未だ意思統一が為されていないかのように見えた。

 対峙している状況下で今更何を、という思いが勇者王の顔を顰めさせる。だからと言って、手を緩めてやる義理もない。


 ザイードが聖剣ナヴァルド・イズンを抜いて駆け出し始めると、追随する軍から鬨の声が上がる。それが届けば敵陣営は混乱の度を深めた。

 そのまま激突すれば味方の被害は極めて軽微で済むだろうと思った瞬間、陣営から単独で飛び出す影が見える。目立つのは、その男が無手である事だ。腰にナイフさえ差していない。その代りといっては何だが、腕にはガントレットを装備している。腕の三倍近くは太さが有りそうなそれは、防具にしては武骨に過ぎる。彼の頭にはとある考えが浮かんだが、すぐに否定した。


(武道としてはともかく、まさか戦場には出てくまい。間合いの違いが確実に致命傷になる)

 そう感じて視線を外した瞬間、猛然とその姿が迫ってきた。

 単独の敵であるがゆえに最も目立つ勇者王を狙ってきたと感じた兵は、阻止すべく圧し包もうと動く。ところが、うねる竜巻の蛇がその出足を挫いていく。見れば、敵陣からセネル鳥せねるちょうに乗った大盾を掲げた男が前に出るとともに、続くもう一羽のセネル鳥の背には魔法士らしき姿がある。

(魔法か。厄介な)

 魔法士隊は後方待機だ。しかし防御は出来る。

魔法散乱レジストを使え!」

 指揮官である騎長がほうぼうで声を張り上げる。


 ラムレキア軍では、予算を大量投資して育成した対魔法兵がいる。職業魔法士になれるほどの適性は無かった者に時間を掛けて訓練を施し、魔法散乱レジストだけは使えるようにした兵だ。

 魔法戦となっても各部隊は進撃が可能になる。この対魔法兵のお陰で、ラムレキア軍は数的劣勢を覆して帝国軍相手に戦線の維持が可能なのだ。

 構成が複雑で記述化出来ない魔法散乱レジストを有効に使う為の苦肉の策と言える。育成に掛かる予算は馬鹿にならないし、他の兵より優先的に休養させないといけないという欠点はあるものの、それを補って余りある効果を生み出しているのは否めない。


 魔法散乱レジストを発現させた対魔法兵が前面に出て竜巻を防ぎつつ前進を始めると、今度は魔法が切り替えられる。多数の土壁が立ち上がり進路が妨害されると、対魔法兵は土壁に触れて土に還す。

 間接的な魔法で散乱されるのを予防すれば、触れる事で減衰効果を増して対応するという鼬ごっこが始まる。この状況は魔力量勝負になる。どちらかといえばラムレキア軍が不利なのだが、ザイードはそれどころではないと感じていた。

 足留めが効果を発揮し、ファリ・クフォルド軍が息を吹き返しつつある。速やかな決着を望むならここは急がねばならない。それは一人突出しても、だ。


 何とか抜けてくる部隊が視界の隅を掠める。単独で突っ込んできた男を押さえられるかと思うと、部隊の前には鮮烈なる青がひるがえった。

 黒い刃を持つ変わった剣が鞘走り、目の前に突き付けられると彼らの足は完全に止まる。恐れ戦いたのではない。見惚れて足が止まってしまったのだ。立ち塞がった女剣士はそれほどまでに美しかった。


   ◇      ◇      ◇


「ちょっと急ぎ過ぎなんですよ。一度退いてくれませんか?」

 男が声を掛けてくる。軽い調子の声は、勇者王の癇に障った。

(まだ一対一。こいつを抜けば敵は浮足立つ)

「抜け」

 落ち着いた風な黒髪黒瞳の青年にザイードは誘いを掛ける。

「戦意が無い訳じゃないんですよ? これで準備は出来ているんですが、ここでの衝突にあまり意味が無いんで時間をくれって言っているのです」

「ふざけるな」

 ここは戦場だ。駒遊びではない。待ったなど無いと勇者王は思い剣気を高める。

「せっかちですねぇ。どうして勇者に連なる方っていうのは面倒な方が多いのでしょう?」

 左半身になった青年の腕が差し出され、拳を作る前段階のように上を向いて立てられた指に銀爪が輝く。戦闘開始を感じたザイードはナヴァルド・イズンを右脇に水平に構えた。


 左足を擦り出すと、柄尻を相手に突き出すように振り出す。添えていた右手を押し出すと、突き出す力は回転力に変わり、長大な剣身は重量も相まって唸りを上げる。振りに入ったところで今度は左手を素早く引いて右手を中心とした回転力を更に強めた。

 ここである操作を加える。何千回、何万回と修練を重ねてきたその操作は僅かな滞りも無く聖剣に伝わり、その剣身は厚みに応じた重量を取り戻した。


 それが聖剣固有の能力、重量操作である。魔法では不可能な重力の加減を行えるからこそ、それは神器とされる。如何なる存在でも不可能な能力が発揮出来るのが、神の代行者にしてその御業に通じる勇者に与えられる聖剣の真骨頂なのである。


 ザイードの剣技によって加速されたナヴァルド・イズンの剣身が、本来の重量を得て空気を裂きながら迫る。重量に速度を乗算したものがその威力となる物理法則は曲げられない。そのエネルギーは、男が掲げる左のガントレットの表面で炸裂した。

 数ルステン数十mは響き渡りそうな重い金属の激突音が発され、勇者王は男を吹き飛ばすべく更に押し込んだ。


「なに!」

 少し横滑りはしたものの、立てた左腕に右の掌底を当てた男は耐えきった。

「これが有りましたね」

 やはり効いているのか顔を顰めながら受け切った男は口を開く。

重強化ブースター


 そこから連撃の嵐を浴びせる。意識しなくとも身体が動くほど振り込んだ聖剣は、無数の剣閃を刻み男を攻め立てる。その間もメリハリのある重量操作を加えているのだが、彼の身体が揺らぐ事はなくなった。

 先ほどの起動音声トリガーアクションは身体強化をさらに強める魔法らしい。受けもいなしも円滑になり崩し切れない。しかし、直線的な斬撃を避けるザイードの剣技が、刃を巻き取ろうとする相手の動きを許さなかった。


(使える! だが、俺とてまだ!)

 跳ね上げる剣閃がガントレットに吸い込まれそうになるが、今回だけは重量を科さない。

 受けが抜けて男の上体が泳ぐ。滑らせた剣身を右腕一本で立てると、柄尻に左手を添え同時に最大重量まで加重し、一気に斬り落とした。


 体勢的にも速度的にも躱せる斬撃ではなかったはず。しかし、男の姿はそこにはなく、刃は空を斬った。

 地を削るナヴァルド・イズンの横には、横に跳ね飛びながら大地に爪を立て、無理矢理そこに留まっている男。その黒瞳は勇者王の顔を見上げて笑っている。


(くっ!)

 伸び上がる身体に添えられた左拳が走る。

 ザイードは歯を食い縛りながらバックステップし間合いを稼ごうとするが、迫る左拳が引かれると聖剣の柄の下に男の右膝が滑り込んでいる。拳を引くままに思いきり捻られた上体が解かれるように回転すると、右の手刀が寝かせた剣身に落ちた。


「ゴキン!」

 ザイードが最も聞きたくない音が重く響く。


(折ら…、れた…!)

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