ファリ・クフォルド戦線

「前に出るか、アヴィ?」

 剣を置いて向き直ったザイードが、彼女を見つめてくる。細かい詰めの話をするつもりなのだろうと感じた。

「…そうねぇ。様子見がてら一押ししたいところね?」

「弓を使わず速攻する」

 それで相手が退いて見せるなら一拍入れる。おそらくその時機で停戦の使者を送ってくるだろうと想定出来る。その辺りが落としどころだろう。

「どうせ理由も失われているのだから、退いても体裁は整うはず。そこで退かないようならちょっと痛い目に遭ってもらうしかないかもね」

「仕方あるまいな」

 勇者王もそれは本意ではないと分かる。


 ここしばらくは兵を西へ東へと振り回し過ぎた。

 前線の兵は個々の方面に駐屯しており、定期的に交代して後方に下がり休暇を与えられるのだが、五千の国王直轄軍はそうはいかない。国王の行くところに常に付き従わなければならないし、それを誇りとさえ思っている。彼らを休ませようと考えれば国王本人が王都ガレンシーに戻るしか方法が無いのである。


「ひと当てすれば結果は出るから心配するのは止めなさい」

 こういう時の彼女の予言は大概当たる。情報と経験に裏付けられているから。

「ちょっと王都を空け過ぎな感じもするから、これが終われば戻ればいいわ」

「ああ」

「そろそろ顔を見せておかないと忘れられそうだし」


 実際には国王不在が長期に及ぼうが、機能不全に陥るような事はない。その為の手筈は整えてあるし、人材も厳選してある。

 貴族社会のほうは、アヴィオニスとてそうそう大鉈を振るう訳にはいかないが、実務に従事している政務官達はそれなりに掌握出来ている。簡単に滞るような事態にはならない。

 それでも心配と口にしたのは、直轄部隊とそれを案じるザイードを慮っての事だ。心理的な支えも時には必要で、それが有ってこそ彼は自由に剣が振れて最大戦力として機能してくれる。


「早く終わらせる」

 この調子なら勇者王は本気で終わらせに掛かれるだろう。

「ええ、あまり意味の無い戦争なんて長引かせるものじゃないものね」


 このファリ・クフォルド戦線そのものに彼女はあまり気を入れられないでいた。


   ◇      ◇      ◇


 それは半と少し前の話だった。


「ファリ・クフォルド軍が国境を越えた!?」

 寝耳に水の話だ。

「規模は?」

「六千ほどと思われます」

 ザイードが問うといささか曖昧な答えが返ってきた。第一報だ。兎にも角にも走らせたというのだろう。

「相当本格的な侵攻じゃない?」

「国境砦に置いていた戦力がほぼすべて動いたのではないかと?」

「戻るぞ」

「分かってる! 伝令!」

 アヴィオニスは全軍に指示を飛ばすとともに早駆けを呼び寄せて、国境警備に正面から当たらず足留めを掛けるように指示する。

(間に合う?)

 伝令兵が辿り着いた時には壊滅していない事を祈るしかなかった。


 ファリ・クフォルド領邦は隣国であれど、それほど敵対的な国ではなかった。

 しかし、ナギレヘン連邦に属していて、連邦がロードナック帝国寄りの政策を採って延命を図っている以上、一応は仮想敵国として監視の目は光らせておかないといけない相手なのは間違いない。それでも国境沿いの情勢は安定していて小競り合いの報告などは聞いていなかった。

 それがいきなり国境を越えてくるとはアヴィオニスも思っておらず、完全に裏をかかれた感は否めない。情報が全く無かったところを見ると、相当急な動きだったのだと考えられる。例の件が関わっているのかと彼女は思った。


「ふぅ―――…」

 馬を駆りながらも大きく息を吐くザイード。はやる気持ちを押さえようとしているのが分かる。

「おそらく間に合うから落ち着いて」

「ああ」

 戦闘指揮車から声を掛ける。


 それはアヴィオニスが特注で作らせた高機動馬車である。

 彼女自身も乗馬はこなすが、騎馬で戦場に出る事はない。しかも、鎧どころか戦闘衣装も纏わず、華美でないドレスを纏っている。それは兵に、そこまで攻め込まれる事はないという余裕を見せる為の擬装と言えなくもない。ドレス自体もかなり高級な防刃繊維で、刺突や斬撃から身を守ってくれるものだ。


「王女を人質に取られているのは本当だったか」

 勇者王もこの急な動きには不審に思っているようだ。

「正確には自分から出向いたらしいけど、事実上は人質ね」

「……」

 どうやらお気に召さない状況らしい。

 特に幽閉されていたり軟禁されていたりしているのではなくて、その姿を確認する情報を彼女は握っていたが、それは少し前の情報になる。現在はどうだか分からない。


 ナギレヘン連邦のうち、ラムレキアと国境を接しているのはマチガル領邦とファリ・クフォルド領邦の二つである。帝国との交渉、現実には要求によって、ラムレキア国境には常に圧力を掛けるようになっているらしい。マチガルは頻繁に小規模な攻勢を仕掛けてくるが、ファリ・クフォルド領邦はあまり熱心とは言えなかった。

 ラムレキア包囲網を構築したい帝国にしてみれば、その状況は看過し難い。連邦への要求は激化し、ファリ・クフォルド領邦への圧力は増していく。叛意を疑われない為には何らかの方策が必要で、それが王女ネレイナをナギレヘン連邦に差し出すという形で落ち着いたのだ。


「業を煮やした連邦が動いたか?」

 王女の命を盾に何らかの指示があったとしか思えないほど急な侵攻だ。

「確認は出来ないけれど、それ以外は考え難いわ」

「掴まれていたか」

 国王直轄軍は西に向けてゆっくりと移動していたのだ。


 それはジャルファンダル絡みの北西部の騒乱に向けての対応だった。

 理想としてはジャルファンダル王国に加担して帝国北西部を削り取りたい。そうすればラムレキアから中隔地方への道が拓かれるのである。状況に応じてはジャルファンダルに加勢しても良いと考えていた。

 しかし、どうにも北西部が荒れているとの情報があり、一方に加勢するのは後々国際情勢に於ける問題になりそうな気配が感じられて、状況を見極めるべく進軍を弱めていたのであった。

 そこへ東部国境侵犯の報であり、それに関連性が無いと考えるほどの愚者はここには居ない。


「どうせ陽動なんだから本気で仕掛けてはこないと思うんだけど」

 どう見ても勇者王の足留め策だとしか彼女には思えない。

「ああ」

「でも六千っていうのはちょっと見過ごせない数なのよね?」

「行くしかない」


 無視したくても無視出来ない。既に領軍が対応に動いているだろうから国として大きな損害が出たりはしない。だが、侵攻を受けた地域の民は恐怖で震え上がっているだろう。そこへ駆け付けなければ、今後の勇者王への不信感を醸成する種になり得る。アヴィオニスとしてもそれは看過出来ないのだった。


 南部国境線を眺めながらの行軍になる。国王直轄軍は総員騎馬なのだが、輜重隊とも各所で合流しつつの進軍なので機動力は落ちる。その代りにこまめな情報収集は可能なので、国境の情勢も把握出来る。

 アヴィオニスが国政に参加するようになって真っ先に着手したのが諜報と伝令の仕組みである。これらの強化が、帝国との対立姿勢を維持するのに必須だと考えたからだ。

 それは十分に機能してくれてファリ・クフォルド領邦の事情も掴めているし、その侵攻の報も素早く入手・対応も可能だった。侵攻軍が現地で略奪行為を行っていないとの情報も入ってきている。到着時期も計算出来るし、作戦を立てる余裕も作れる。後は詰めていくだけの話だ。


 そして、侵攻軍に一気呵成に襲い掛かった勇者王の軍は、元の国境線まで前線を押し下げていた。

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