王子と伯爵令嬢

 ザイードの在位は未だ六に過ぎない。彼が聖剣を継いだのは二十三のであり、新を迎えれば現勇者王も三十になる。

 彼は王太子時代からその剣技に定評があり、聖剣の主として百に一人の逸材と言われた。

 事実、ザイードの即位後のラムレキアは目立った敗戦を知らない。多面作戦に於いて前線を下げざるを得ない場面も無くはないが、聖剣の主が姿を見せれば兵の士気も上がり、取り戻すのはそれほど難しくはない。


 だが、その状況をを生み出しているのは実際にはアヴィオニスである。各地の状況に目を光らせ、戦況次第では退かせて態勢を立て直し、最低限の後退で済ませている。そして、必要な場面に最大戦力である勇者王を配し、容易に失地を回復させて見せた。


 彼女がその才能の片鱗を見せたのは先王時代からである。当時、王太子との婚儀を済ませたばかりの王太子妃が、難しい顔で地図を眺めている国王ウォルトンの耳に打開策を囁いた。

 未だ壮年の域とは言え、聖剣を操るには体力の衰えを感じていた国王は王太子妃の才覚に目を瞠る。伯爵令嬢でもあるアヴィオニスをウォルトンは赤子の頃から知っていたが、彼女はその美貌を花開かせたばかりか、政戦両略にまで才能を開花させていたのだ。


 既に戦場の要として動き始めている王太子ザイードが、戦場に於いても彼女を片時も側から放さないのは色恋にうつつを抜かしているのではないと知らされた。息子は、自分を最も有効に運用出来るのが誰かを真に理解していたのである。


 アヴィオニスが国政への参画を命じられるのは時を置かずの事である。その後も順当に頭角を現し、宮廷が重い信頼を寄せたのは王太子より早かったかもしれない。王宮に於ける彼女の美貌も知謀も大きな影響力を有し、候補に挙がった中からその相手を選んだ王太子への信頼感も増していった。


「何を笑っている?」

 視線を彷徨わせつつ笑顔を浮かべるアヴィオニスが、ザイードの興味を惹く。

「何でもないわ。ちょっと昔の事を思い出していただけ」

「良からぬ企てをしている顔だったぞ?」

「勘違いよ」


 また始まったかと思ったザイードの予感が当たったのかは、彼には分からなかった。


   ◇      ◇      ◇


 四百と歴史の浅い勇者王の国は、王宮も開かれている。

 勇者の血筋を引く王族と言えども、神秘性を高めるかのように姿を出し惜しむような権威を重要としてはいない。故に王宮の奥の厳重な警備の内にばかりいる訳ではない。

 街中に軽々に姿を見せるような真似はしないが、城壁内であればろくな警備も付けずに普通に出歩いているような近さだった。


 既に記憶の彼方に霞が掛かったような思い出ではあるが、アヴィオニスにはそれほどに鮮烈だったのか、ザイードとの出会いをきちんと覚えている。やっと連れて行ってもらえるようになった王宮で、彼女は真剣に木剣での素振りに没頭している少年の姿を目にする。

 当時三歳だったアヴィオニスはその少年が誰かも知らずに声を掛ける。

「疲れない?」

 同い年くらいの少年が汗だくになって一心に棒切れを振り回しているのが彼女には不思議だった。

「疲れない」

「そんな事無いでしょ? 辛そうよ」

 無造作に近付くと、取り出した手巾で顔を拭う。なぜか小さい子の面倒を見ている感覚になる。

「いや、楽しい」

「楽しいの!? 君、頭大丈夫?」

 食べる事と寝る事、遊ぶ事くらいにしか興味が持てない頃の話だ。アヴィオニスの言葉が変だとも言えない。

「当たり前だ」

「分からないわ。教えてよ」

 彼の手を引いて芝生の上まで連れていくと一緒に腰掛ける。


 少年は困惑しているようだが、ずけずけとものを言うアヴィオニスを不快だとは思っていないようだ。置いてあった飲み物を口にしつつ、訥々と自分の気持ちを語り始めた。

 誰かに言い付けられてやっている訳でなく、自分で決めてやっていること。続けていれば、陽々ひび少しづつ思い通りに身体が動くなるようになること。自分には憧れがあり、それに向けての努力であれば苦にならないこと。

 何かを求めてやっているのだと分かり、彼女は共感を覚えた。家名を持って生まれたからには、誰かに頼られる存在になりたいと常々思っている。方向性は違えど、少年も何か目指すものがあって努力を続けているのだと知ると嬉しくて仕方なかった。


「そうなのね! だったらあたしが応援してあげる! 頑張って!」

 急に距離を詰めてきた少女に彼は戸惑ったようだが、社交辞令ではないその言葉は胸に落ちたのか薄く微笑を見せる。

「じゃあ、俺はお前を応援しよう」

「本当? 一緒に頑張りましょうね?」

 アヴィオニスの瞳に強い思いを見出したのか彼は何も聞かずにそう伝えてきて、彼女もそれに満面の笑みで応えた。



 そのはアヴィオニスも珍しく供を連れて出歩いていた。

 居るかなと思いながらいつもの場所を通りかかると、果たして彼はいつも通り木剣を振っている。最近は鉄芯を入れたものを使って良いと許可を得て喜んでいたから当然かもしれない。

今陽きょうも頑張っているわね、ザイ」

「ああ」

 それを見て慌てたのは彼女の供だった。

「これは王子殿下! どうかお許しください! お嬢様は未だ社交界も知らぬ故の事でございます!」

「気にするな」

 供は本来、父である伯爵に付いている者だ。社交界の事にも通じている。

「アヴィオニス様もお詫びください。この方は王子殿下にあられます」

「あ…ら、そうだったの…。これは申しわけ…」

「お前もだ、アヴィ。気にするな」

 煙たそうに供から目を逸らした王子は、ぶっきらぼうにそう告げてくる。

「良いの?」

「当たり前だ」

「嬉しいわ、ザイ」

 そして、袖で汗を払おうとした彼の顔を、いつも通りに手巾で拭う。

「その癖、止めなさいって言っているでしょ? 街の子じゃないんだから、それくらいの行儀は覚えなくちゃいけないわ」

「う…、すまん」

 単に大人ぶっている訳ではない。いずれ人前に立つのも日常となるであろう自分達に、必要な事だと思ってそうしている。それは彼にも伝わっているようだった。

「俺も持っている」

「だったら使いなさいな。あたしに面倒ばかりかけてないで」

 近い距離で言葉を交わす二人の子に、供の男はそれ以上口を挟んでこない。当主には報告しなければいけないと考えているだろうが。


「考えるのは嫌いではない。だが、苦手だ」

「まあ、そうよね」

 二人の交流は国王の耳にも届いているが、権威の誇示に汲々としているような王ではなく、特に咎め立てされるような事もなく、黙認されている。なので、アヴィオニスも口調や行動を改めるつもりはなかった。

「変に疎いところもあるものね?」

「遠ざけられていると思う時も有る」

「ある程度は仕方ないかもしれないけど…」

 王子ともなれば、つまらない讒言ざんげんを吹き込もうとする者が出てこないとも限らない。開かれた宮廷とは言え、王子と接触出来る人間は選別されているだろう。市井の者は城壁内では行けるところが制限されている。

「あたしがちゃんと教えてあげる。情報も捉え方もね?」

「本当か?」

 彼女なら屋敷に出入りする者との接触も緩いし、供だけを連れて街に出る事もある。世情にはザイードより詳しい。

「その代り、あたしに剣を教えてよ」

「剣を? お前が?」

「護身くらいは自分でやりたいっていうのは変だと思う? 女だてらに、とか言うの?」

 膨れるアヴィオニスに、彼は首を振る。

「お前は俺が守ってやる。聖剣を継ぐ者の務めだ」

「あー…、うん。でも、短剣ぐらい使えても良いじゃない」

 悪い気はしないながらも、引き下がりたくはない。「それなら」と首肯する彼に満足げに微笑む。


 そんな感じで二人の交流は深まっていった。

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