勇者王の国

軍営天幕にて

 飽きもせずに長大な剣に目を落としている。そんな事をしなくともその特殊な剣は歪みや刃こぼれとは無縁なのだが、彼は時間が許す限り手入れもあまり必要の無い剣の点検に余念がない。まるでそれが精神を休める手段であるかのように。


 その剣の銘はナヴァルド・イズン。いわゆる聖剣である。

 世界で一番有名な聖剣かもしれない。なぜならその持ち主が勇者ではなく王だからだ。

「楽しい?」

 机から顔を上げた女性が問う。

「ああ、今陽きょうは機嫌が良さそうだ」

「そうなんでしょうね? 国王陛下は、王妃つまであるあたしより聖剣それとの会話のほうが多いんだものね?」

「皮肉るな」


 それは数えるのも馬鹿らしくなるほど繰り返されてきた夫婦の会話である。

 普通なら不仲を案じなければいけないのであろうが、当人達にとっては挨拶みたいなもの。特に気にするような内容ではない。

 それに彼らが国王夫妻であり、後継を残すと言う義務も問題無くこなしているとあれば口を挟める者も居ない。ましてやここは戦場である。多少は広いとはいえ、天幕の中での会話とあれば、指摘する文官の姿もない。


「退いたか?」

 時折り挟み込まれる伝令からの情報は彼女の元に統合され、現在の戦場の状況を表している。

「退いてない。でも、攻めてもこない。奴ら、機会を狙っているとしか思えないわ」

「あの情報は?」

「ネレイナが陣営で目撃された話? 確度が高いわね。奴らの動きがそれを裏付けしている。退きたい。でも退けない。攻め込まれるのは回避したいけど、攻め入る理由は失われた。そんなところ?」

「使者を送らないのか?」

 彼が言っているのは、停戦協議に向けた一時停戦の使者だろう。

「冗談。ここでこっちから退いてやる義理なんてない。天下の勇者王が統べる国に攻め込んできた代償はきっちり払わせるわよ?」

「ほどほどにしとけ」


 彼女もそれには従うつもりである。これからも付き合い続けねばならない隣国との間に必要以上の禍根を残したくはない。

 話し相手が国家主権者である国王では、形の上では意見を尊重しなければならない。次の戦闘ではしっかりと戦況を監視し、押し潰さないように機を見計らわねばならないと心に決めた。


 彼女にそう命じたのは、ラムレキア王国国王ザイード・ムルキアスである。その王妃のアヴィオニスは、王宮に籠もって国王の帰りを祈りながら待つようなタマではない。

 今の役割としては参謀長、要するに軍師になる。作戦立案から実行、指揮までを行う。全軍指揮官である国王ザイードが前線での戦いを望み、それを貫く為に彼女の権限は大きい。


 戦場にあっては軍師、王宮にあっては宰相というのがアヴィオニスの立場である。肩書きとしては王妃に他ならないが、公然の事実は前述の通りであると誰もが認めている。

 それは彼女にそれだけの実力があり、国王を筆頭に王宮の首脳陣はもちろん、国民の多くもがそれが最も国が安定する形だと思っているからである。

 だから、彼女は常にザイードの傍らにあり、表舞台で彼を支えるのが正しいと考えている。


 実に奇妙な関係であるが、この奇妙な成り立ちの国にはお似合いかもしれないと、彼女も思っていた。


   ◇      ◇      ◇


 ラムレキア王国の建国は、詰まるところ『暗黒時代』の終わりを意味する。


 四代前の勇者シェギンは東方西部に生まれ、乱立する諸国を巡りつつ魔王探索を行っていた。

 仲間の一人の故国、今は無きヤラカナン王国に差し掛かった時、それは起こる。隣国ヌヒルゼと関係悪化が著しく小競り合いの絶えなかったヤラカナンは、現状を生み出しているのは繰り返し国境侵犯をするヌヒルゼ側だと虚偽を勇者に吹き込んだ。憤った勇者はヤラカナン軍の陣頭に立って侵攻作戦に参加する。結果は当然大勝で、降伏したヌヒルゼは国土の半分をヤラカナンに差し出す事になった。


 しかし、困ったのは一時の気の迷いで勇者を巻き込んでしまったヤラカナンのほうだった。

 ヌヒルゼ国内では、一方に加担した勇者の行動に非難が集まり、教会や冒険者ギルド経由でその情報はヤラカナン国内まで聞こえてくる。シェギンの仲間であるバイアルド・ドゥニガンを介して勇者一行の足留めに心を砕いたものの、そんな刹那的な対応がいつまでも続く訳もなく、彼らの耳にも情報が届いてしまった。


 使嗾されたと知った勇者一行は、ヤラカナン国王に抗議するもはぐらかされる。のらりくらりと追及を躱そうとする姿勢に業を煮やした彼らは、見切りを付けてヤラカナンを後にしようとしたのだが、バイアルドを人質のように利用されてしまって身動きが取れなくなってしまう。そのまま国外に出られて、勢力を拡大したヤラカナンを警戒する近隣諸国の反攻勢力の旗頭に祭り上げられては適わないからだ。


 その裏では陰謀が進行する。

 絶対に勇者シェギンの一行を国外に出す訳にはいかない。しかし、勇者を拘束し続ける事そのものも、近隣諸国との戦争の大義になってしまう。事態に窮したヤラカナン国王は最悪の決断を下した。

 国王はドゥニガン男爵を呼び出して命じる。勇者を弑せよ、と。

『勇者と魔王は対である。魔王在れば勇者在り。失えど、魔王在る限り生れ出ずるのが勇者である』と。


 ドゥニガン男爵は説き伏せられてしまった。

 勇者は再び生まれてくるが、一度滅んだ国は元の通りに復興する事はない。今のヤラカナンは二度と戻らず、彼の地位が失われるのはもちろん、領民も苦難に耐えなければならなくなる。

 思い悩んだ男爵だが、失うものの大きさに耐え切れずに禁忌に手を伸ばしてしまう。

 そして、ドゥニガン男爵邸に滞在中であった勇者シェギンは毒殺された。


 勇者との繋がりを絶たれた仲間は多少は使えるだけの凡人に過ぎない。事態の証人たり得る彼らは取り押さえられ、バイアルドを除いて秘密裏に斬首された。

 国王は、勇者シェギン一行は既に魔王探索の旅を再開したと発表し、全てを闇に葬ろうと図る。ヤラカナンへの疑惑が晴れる事はなかったが、証拠が無く大義も無い戦争は回避され、それは一時的には成功したのである。


 しかし、生き永らえたのも一時に過ぎなかった。力を増した魔王が、魔人の軍勢を以って侵攻を開始したからである。

 当時、東方の三分の一を版図としていたロードナック帝国内に存在した黒き神殿から差し向けられた魔人の軍勢は、ヤラカナン王国だけでなく周辺諸国をもあっという間に滅ぼしてしまった。

 その最中脱出したバイアルドは少数ながら国民を率いて、逃亡する皇帝を擁するロードナック帝国軍の一部と合流し国民を託す。そして、彼自身は戦いに身を投じる傍ら、事の真相を文書にしたためた。

 それが後に、勇者を各国の政治から切り離し、教会の管理下に置く必要性を証明する元となるドゥニガン文書である。

 そして、バイアルドはその後に自害した。自分は咎人の血を持つ者であると唱えて。


 魔王の手に落ちた地域は実に東方の三分の二に至り、後に暗黒時代と呼ばれる時世は四十に渡って続いた。

 中隔地方に生まれた新たな勇者が、魔人の軍勢を討ち破りつつ攻め上り、魔王を滅するに至って暗黒時代はようやく終焉を迎える。頑強に抵抗を続けていた帝国皇帝は領土の回復に成功すると、勇者の功績を称えて北部の一画を与えた。

 現役勇者を国王にいただく、ラムレキア王国の誕生である。


 しかし、後にそのラムレキア王国が帝国の覇道の最も大きな妨げになるのは、皮肉以外の何物でもないと言っても過言ではないだろう。

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