新たな景色

(青が基本色だったのは意外だったなぁ)

 メイスを振り下ろしながらカイは思う。

 そう言われれば当然なのではあるが、最も良く採れるとされる黄珠おうじゅが基本になるとつい思っていた。

(何か不純物が混ざっているのが普通の状態なんだから、後は足し算していくしかないんだけど)

 プランクトンが持っている鉱物成分が亜鉛と青を示す不純物ならば、更に別の鉱物成分などを足していく事で発色を変えていける筈だ。


 昨夜の光景は実験そのものの成功を意味している。だが、あの状態で出来上がるのは青珠せいじゅになるだろう。

 カイが最終目標としている、各種燐珠りんじゅの意図的生産には、更に実験を重ねていかなければならない。それも島人が普通に採取出来る材料が条件となるのだ。

 原則的には、火山の各所で採れる硫黄にもそれぞれ含有物の違いが見られるだろうが、今手っ取り早く行おうとしているのは湯の花の添加である。その添加によって、色の変化が有るか、また添加量でどういう色の変化が有るかを確認してみようとしている。

 実験的に散布した硫黄魚粉の簀囲いすがこいはそのままに、種を食んでから一定期間を経たものでも実験は可能だと判断した。それほど強くは光らずとも、燐珠りんじゅと呼べるくらいの廉価版は出来そうな感触だからだ。


 当初は、モルセアの働きかけで他の島人の簀囲いすがこいも使わせてもらおうとの提案も有ったのだが、それは止めておく。作り分けの多少の目処くらいはつかねば相手の希望にも応えられず、確実に興味を持ってもらえないと考えたからだ。

 燐珠りんじゅの生産も賭けみたいなものだったが、これからは販売も一つの賭けになる。養殖カンム貝での燐珠りんじゅの収穫が可能になれば、どうあっても値崩れは起きてしまう。試験的な出荷ならともかく、本格的な販売となると、不公平が出ないよう一斉に始めなければならない。

 不公平による諍い事を防ぐには、全島レベルでの調整が不可欠。それには長老会などの連絡機関を巻き込まねばならず、彼らを動かすには具体的な実績も必要になるだろう。それにはまず、計画的な生産が可能かどうかを示さないといけない。更にその前段階として、村人への説明の為に生産状況を見せなければならず、とりあえずは実験的な簀囲いすがこいを作る事から始める作戦だ。


 碾臼で上機嫌のチャムを先頭に、せっせと何種類もの硫黄魚粉を作り続けた。


   ◇      ◇      ◇


 このはシェシェの村で酒盛りが行われている。特に祭りという訳ではない。ただ、頼んだ大量の酒が届いて気が大きくなったトゥリオが、皆に振る舞っているだけなのである。


「美味えーなー、兄ちゃん!」

 赤ら顔の壮年の男が、遠慮なしにバンバンと彼の背中を叩く。

「当ったり前ぇーだっつーの! 結構値の張る良い酒ばっかだぞ? 味わって飲めよー!」

「おー、味わう味わう!」

 ほうぼうからそう聞こえては来るが、実際には酒杯は普通にあおられている。せっかく届いた酒だが、あっという間に無くなってしまうのは間違いないだろう。


 ロカニスタン島に上陸してから三往三ヶ月半以上が経っている。村とも馴染んできて遠慮など感じなくなってきても仕方がないと言えよう。


 燐珠りんじゅ養殖は順調だ。湯の花を使用した色彩変化は、青から黄緑までを網羅し、添加量の加減で微妙な調整も利くようになっている。青珠せいじゅ緑珠りょくじゅ黄珠おうじゅと呼べる物までは任意に作成可能になるまでは早かった。


 少し手間取ったのは紫珠しじゅである。火山の探索で発見出来た自然硫黄の数々を試してみても紫は出ず、皆で首を捻って行き詰まり感を覚え始めた頃、火山探索中ふざけて泥温泉に転げ落ちたリドを救い上げた時に、カイは妙な感触を得た。

 それはアルミニウム系の化合物の泥。もしかしてと思って、持ち帰った泥を天日干しにして砂にし、魚粉に混ぜてみると見事に海が紫色に染まった。

 更に工夫が必要だろうが、将来的には紅珠こうじゅの生産の可能性というのも示してくれた。


「あー、美味ぇー。堪んねーなー」

 酒の肴に貝紐の燻製をしがんでいるトゥリオはしみじみと言う。彼のお気に入り中のお気に入りなのだった。

「君は本当にそれが好きだなぁ」

「んー? こいつの噛み応えは最高だろうがよ。そう思わねえか?」

「それはそうだが…」

 中でも一番の希少部位を好んで口にするトゥリオに、ロルヴァは呆れ気味だ。彼も結構飲んではいるのだが、冷静に杯を傾けている。相当強いほうであるのは付き合い始めてからすぐに分かり、トゥリオの世話役と認められている。


 発光色実験の傍ら、カイ達は島を巡って村々に燻煙室を作って回っていた。

 保存食として定着するかと思いきや、生活の足しにくらいの感覚でロイロイの土産物屋に置かれた燻製が大きな反響を呼び、それ専門の卸し屋まで島を出入りするようになってきている。

 これを機と見た島人は、カイの作った燻煙室を参考に複製品を作り上げ、今まで無駄にしていたカンム貝の身でも対価を得られるようになりつつあった。


 ただ、長老会の主導で燐珠りんじゅ養殖を始めてからは、カンム貝は生食が出来なくなった。

 熱湯でしっかり煮て硫化物を抜かない事には、食用には供せないようになったのである。ひと手間掛かるようにはなったものの、それで利益が上がるのなら苦にはならない。基本的に呑気な島人達も、片手間に燻製作りをするのが日常になってきたのだった。


「ほら、いい加減になさい! ロルヴァも困ってるでしょ? このでっかいお子様は!」

 割と売れ筋の貝紐ばかりを消費するトゥリオを困った目で見ているロルヴァに助け舟を出すチャム。それにフィノの避難がましい目まで加われば彼も自重せざるを得ないであろう。

「何だよ、もう。気分よく飲んでいるってのに」

「まあまあ、良いから飲もう。君の酒だけどな」

「水臭ぇ事言うなよ。金なんぞ、みんなで楽しむ為に使うもんだろ?」

 変に度量の大きさを見せるトゥリオに、男衆はワッと盛り上がる。それを女達が冷たい目で見ていると気付かないままに。


 燐珠りんじゅ養殖が軌道に乗るようになれば、こんな光景も普通になっていくのかもしれない。気の良い島の人々は、人の出入りが激しくなり生活にゆとりが出るようになろうとも、派手な娯楽に身を委ねる事無く、のんびりとした暮らしを続けていくだろうと思える。


 この気候と島の美しさが人に与える心の豊かさは、先祖伝来のものなのだから。


   ◇      ◇      ◇


 流木に腰掛けたチャムは、ほぅと大きく息を吐いた。


 珍しく少し飲んでしまった。意識が乱れるほどではないが、酒精の回った身体が火照ってしまい、夜風が恋しくなって浜辺にまで出てきていた。

 暗い林を抜ける事になろうとも、彼女は怖れる必要などない。何も言わずともそっと後ろに寄り添ってくれる、心強い護衛が居るからだ。


「はぁ…、気持ち良い。たまにはお酒も良いものよね?」

 隣をトントンと示すと、微笑を浮かべた黒瞳の青年が腰を下ろす。

「僕も少し飲んでしまったよ。とても良い雰囲気だから付き合わないのも悪いと思ってね?」

「良いんじゃない。あなたは正体を無くすほど飲む事はないし」

「そう?」

 空の星明りと海からの燐光に照らされた美貌が穏やかに微笑み、「そうよ」と囁く。


 はにかむように笑んだ青年は、そっと小箱を差し出した。

「これを受け取って欲しいんだ」

「あら、何かしら?」


 素直に受け取ったチャムが蓋を開けると、そこには緑色に輝く真珠のイヤリングが二つ並んでいた。

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