燐珠の漁場へ

 数してロルヴァの足の様子も十分な回復を見せてきたという頃、燐珠りんじゅの漁場に向かう話になる。

 急かした訳ではない。彼が長期に放置せざるを得なかった漁場を気にしていたのだ。それをミーザから聞いていた彼らは、むしろ制止するのに言葉を費やしていたというのが実情である。


 簡易な帆が掛けられた小舟に乗って漁場に到着。帆を畳んで錨を下ろす。

 冒険者達は正直、どうやって何の目標物も無い場所で決まった海域だと分かるのかという思いがある。ロルヴァは笑って「海の色を見ていれば分かる」と言う。その差が彼らには全く識別出来ない。それはよほど腰を据えて掛からないと無理な技だろうと諦めてしまった。


「大きく息を吹き込めば良いんだな?」

 水中呼吸器を初めて使うロルヴァは素直に指導の言葉に耳を傾けている。

「練習したほうが良かったんじゃねえか?」

「相手は専門家よ。本当に必要なのは私達のほう」

 カイ達の潜水活動に付き合ってもらう為に必要な水中呼吸器だ。本当なら彼は腰の重りベルトだけで潜るらしい。

「刻印は起動しませんのでクリップだけは使ってください」

「そうだな。口だけで呼吸というのは勝手が分からないから言う通りにしよう」

 海中でも自由に目が空けられるロルヴァには、目の気膜は不要だろう。

「じゃあ、潜る前に海面辺りで呼吸の確認だけしましょうか?」

「ああ、ちょっと慣らさせてくれ」

 彼が先に海に入ったのを見て、四人も鼻クリップの刻印を起動させて気膜を生み出すと、マウスピースを咥えて身を躍らせる。


 地上から見渡せば緑色の海だが、海中から見た足下は青く深く沈んでいる。それでも相当の深さまで昼の白焔たいようの光は届いているように見えた。

 ロルヴァの大丈夫の合図を確認したら、相互に距離を取り過ぎないようにして潜っていく。


 聞いた話では、燐珠りんじゅの漁場となる、この『熱き海』と呼ばれる海域の深さは海底まで5ルステン60m。遊びで潜れる深さではない。確かに作業時間まで確保しようと思えば、四十八呼四分以上の潜水時間が必要になるだろう。

 その内、1~3ルステン12~36mが大型肉食魚ユラルジャの活動深度だという。どれだけ早くそこを抜けられるかが勝負だとロルヴァは語った。


 しかし、潜水に不慣れな彼らがそんな素早い潜行などどう考えても無理な話だ。なので予め作戦が立てられていた。

 基本的にユラルジャとの遭遇を前提に考える。中心にフィノを置いて水流制御で沈めてもらいつつ、四人で四方を固めて撃退。そのまま振り切れれば良しで、状況に合わせて対応する手順になる。


 何より、今回はフィノの魔法以外の遠隔攻撃手段が無い。

 カイのマルチガントレットは使用が限定される。光条レーザーは使えても散乱が激しくてあまり効果が望めない。風撃ソニックブラストは使用不可。光剣フォトンソードも起動困難だろう。相手が魔法を使わないので光盾レストアには意味がない。

 使えないだけでなく、使用後は分解洗浄が不可欠になるだろうし、内貼りに至っては交換が必要かもしれないとなれば、無理に装備する理由がない。

 チャムの盾も、プレスガン、剣身射出器ブレードドライバーは使用不可で、盾としてしか用を成さないでは装備する意味はほぼ失われている。


 拠って潜行時の装備は、カイの薙刀、チャムの長剣、トゥリオの大剣、そしてロルヴァが愛用の三叉槍となった。それは銛のような形をしながら、中央の歯が刃状になった漁具のような武器だ。


 それぞれが近接戦闘武器を装備したまま、頭を上にしてフィノの水流制御に任せてゆったりと潜行していった。


   ◇      ◇      ◇


 まだ明るさが感じられる海の中。ゆらりと薄青い巨体が水を切る。

 ユラルジャと名付けられたその魚は、或る種の電磁波を放射して動くものの気配を探る。扁平型の頭部の両脇には、小さいながらも優秀な性能を持つ目。その間に電磁波の受容器官が有り、獲物を正確に捉える。

 正面に捉えた獲物に急接近すると、水鳥のクチバシのような形をした大口を開いて食いつく。鋭利な印象はない口だが、その内側には極めて鋭く細かい歯が並び、獲物の骨にまで傷を付ける。それに強力な顎の力が加わり、噛み切って胃袋に収めるのだった。


 このも獲物の動きを認め、接近する。この辺りでよく見られる動きの悪い、食いつき易い獲物だ。時折り反撃してくる事もあるが、海中の動作で後れを取る事などまず無い相手の筈だった。


 ところが、いつもとは勝手が違った。


   ◇      ◇      ◇


(ぷっ)

 つい、吹き出しそうになった。

 青緑色に包まれる中で、うねる巨大な魚体を見たチャムが非常に渋い顔をしていたからである。


 ろくに装備を着けられない海の中。自在に身動きもままならない状況下で出会いたくないとでも思っているのであろう。

 これが釣り糸を通しての戦いなら彼女も嬉々として挑んでいったのであろうが、お互いが平等とは言えない状況での対峙となると、優位性を求める為に戦術を屈指しなければならない。同じ命を賭し合う戦いでも、その意味は大きく変わってきてしまう。


(チャムにはそういう所があるね)

 あくまで対等に戦いたいと考えるチャムはどちらかと言えば求道者なのだろうと思えた。

 自分には無いものだが羨ましいとは思わない。彼女とは求めるものが違うのだ。


 違和感を感じているのだろうか? 様子を窺うようにゆったりと泳いでいた巨躯がひるがえると、急速に迫り大きな口を広げて噛み付いてこようとする。

 対してカイも薙刀を突き出すが、その攻撃に地上ほどの鋭さはない。身を捩って躱したユラルジャは捉えたと言わんばかりに間合いに入ってくる。だが、薙刀の刀身がグルリと回転すると斬撃に切り替わった。

 刃に腹を見せていた魚体はその斬撃に対処出来ず、スパンと下顎から上顎までを断ち割られる。魚だけに痛みは感じなかったようだが、危機感は感じたようで身体をうねらせて距離を取った。


(サメみたいに血の匂いに狂ったりはしてくれないか?)

 海中に薄桃色の線を引いた個体は、他のユラルジャが居る辺りまで下がるが仲間に襲われている様子がない。軽く損傷を与えて共食いしている間に深度を稼ぐ作戦は使えそうになかった。

(じゃあ、フィノに任せるしかなさそうだね)

 今は潜り始めに付けた勢いで自然に潜行している状態だから、彼女は攻撃用の構成を編んでいるのだろう。それが完成するまであしらっていればいいという事になる。


 チャムは肘から突き出し、剣身を擦り抜けさせるように振っている。水の抵抗に負けないようにして、鋭さを維持しているようだ。間合いは短くなるが、確実にダメージを与える手段を取っているのは技量に自信がなくては出来ない技だと言っていい。

 トゥリオは相変わらずの大振りだが、抵抗がある状態での膂力は有利に働き、その衰えない攻撃力を発揮する。

 ロルヴァは手慣れたもので、鼻先に鋭い突きを何度も繰り出しては撃退していた。


「……!」

 マウスピースを咥えたまま、もごもごと喉を鳴らすだけに終わる起動音声トリガーアクションだが、あくまで意識の切り替えでしかない為十分に機能はする。

 薄く絞られた超高速水流の刃が周囲を舞い踊り、群れを為すユラルジャに押し寄せるとその身体を分断していく。

 みるみるうちに桃色に染まる海中に怖れをなしたか、遠巻きに周回していた巨躯は身をひるがえして逃げ去った。


 頷き合った五人はそのまま潜行速度を増していく。


 しかし、彼らも海底近くで緑色の目に迎えられるとは思っていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る