水中呼吸
当然注目したのは魔法である。
それとともに発展してきた文明を持つ彼らなら、潜水に関する魔法を編み出している筈だと考える。しかし、専門家からは思わしい返事が聞けなかった。
「潜水魔法というのは聞いた事がないですぅ」
別に責めている訳ではないのだが、申し訳無さそうにフィノは言う。
「水から空気を生み出す事が出来なかったのですぅ」
「出来ないね」
淡水にせよ海水にせよ、空気に含まれる成分とは割合があまりに異なり過ぎている。
水は確かに水素と酸素で出来ている。制御下に置けば分解して酸素を生み出す事は可能かもしれない。しかし、酸素だけを呼吸する事など出来ない。一定割合を越えた酸素は人体に有害になる。
空気の八割を占める窒素は、海水中には化合物としてごく微量含まれているが、利用出来るほどの量ではない。なので、海水の成分を制御したところで必要な窒素を生み出すのは不可能だ。
海水から空気を生み出す試みは無理だと言える。
「水魔法では無理だったら風魔法と思うんですけど、それほどの効果は得られなかったのですぅ」
魔法とは言っても出来ない事が多いのは、フィノが一番分かっているだろう。
「身体の表面に空気の膜を作る事は出来ますぅ。でも、それで呼吸の賄うのは無理ですからぁ」
「どう考えても絶対量が足りないよね?」
「はい。それなら大きな泡で人体を包めばいいのですけどぉ…」
彼女の尖らせた口から続く言葉は出てこない。
「沈まないだろうなぁ」
泡で人体を包み、水中に没させるのは難しいながらも不可能ではないだろう。泡を作る風魔法を制御しながら、水を押し退ける水魔法を制御をすればいいのだ。水の位置制御を繰り返す事で移動も可能かもしれない。
ただし、それは泡の浮力を無視出来ればの話である。重力制御が魔法には不可能である以上、泡の浮力は無効化出来ない。いくら周囲の水を移動させても泡の浮こうとする力が常に働いているのであれば、移動させなければならない水の量は莫大なものになってしまう。
早い話が、膨大な量の水流で泡を沈めながら意図した方向へ進める制御が出来なければ実現しないのだ。これに必要な複雑な魔法構成と想像を絶するほどの魔力量が、それを不可能という結論に導いてしまう。
「フィノ自身も実験として色々試した事有るのですけど、有効な方法は思い付きませんでしたぁ」
開き直りなのか、小さく舌を出しながら犬系獣人少女はのたまった。
「でしょうね? 私も水中で呼吸を補助する魔法は知らないわ」
「そんな便利な魔法が有るのなら、すぐに記述化されて製品化されているよね?」
「ほわっ! 分かってて聞いたんですかぁ? ひどいですぅ!」
思案げにするカイだが、その背をフィノにポカポカされている。
「そういうカイさんには何か方法が有るんですかぁ?」
頬を膨らませたフィノが睨んでくるが、上目遣いの顔は可憐でしかない。
「思い付きは有るけど、技術的な問題を潰しながらやってみないといけないかなぁ?」
「やりましょう! お手伝いしますぅ!」
ご機嫌は一瞬にして治る。知的好奇心のほうが勝るのが彼女である。
◇ ◇ ◇
第一に思い付くのはスクーバダイビングである。圧縮空気を詰め込んだタンクを背負って潜り、水中活動時間を増やす方法だ。
風魔法を使えば、高密度圧縮空気を作り出す事は出来る。潜行しても水圧に耐え得るタンクを作るのも簡単だ。
しかし、それを呼吸に使用するには減圧する仕組みが必要になる。弁などの細かい機構が不可欠となれば、それを作り出す技術はカイにはない。
だが、彼には代案があった。
吸気と呼気に於ける酸素の絶対量に変化は無いのである。端的に言えば、酸素が二酸化炭素に置き換わっているだけなのだ。更に要約すると、酸素が炭素と化合しただけと言える。
ならば話は簡単だ。二酸化炭素から炭素を抜き出せば酸素である。これはカイが得意とする、物質の状態変化を司る変性魔法の専門分野となる。これを利用しない手はない。
基本の設計思想はそれで、部品作りに入っていく。
まずは内圧外圧両方に耐えるホースが必要。
芯となるシリコンチューブに、シリコンゴム材に浸した防刃布を幾重か巻き付け硬化させる。更にシリコンゴムで表面を覆って肉厚の耐圧ホースにした。
マウスピースを作って、中に逆流防止弁を形作ると、ホースに溶着させる。
次に本体。
金属筺体はステンレス製にする。圧力に耐えるよう厚みを付けると少し重たくなるが、中はほとんど空気になるので、水中の取り回しで困ったりはしないだろう。
ただ、内容量を4000ccくらいに押さえたかったので、そのまま中の空気を呼吸するのは難しくなる。吸って内圧が下がれば吸い難くなるし、吐いて内圧が上がれば吐き出し難くなる。金属のボトルを相手に息を吹き込んだり吸い出したりが難しいのと同じ理屈だ。
なので、ホースに接続するのは、筺体内部のシリコンバルーンにする。筺体内圧は低めに設定しておき、呼気は低い内圧の補助でバルーンを膨らませ、吸気はバルーンが収縮する力を補助にする形だ。
そして気体成分交換の仕組み。
配管に二酸化炭素から炭素を抜き出す記述を刻印して、起動線を
更に、小さな圧縮空気ボンベを三つ備える。これは水中で体内の空気を吐き出してしまった時の予備だ。仕組みとして、体内の空気とバルーン内の空気の量のバランスが取れていなければならない。それが失われた時に、配管に直接放出して代用空気にするもの。それが予備ボンベになる。
それらの機構を組み込むと、肩甲骨を覆うくらいの小さめの背嚢ほどの大きさになった。右肩の後ろからホースが伸びてマウスピースに繋がり、頭の後ろに当たるその横には予備ボンベが三つ並ぶ。それぞれを押し込めば作動する仕組みにしてある。
それを両肩のシリコンバンドで背負う形状になった。
「出来上がりですぅ! 使ってみたいですぅ!」
知恵を出し合いつつ作り上げた水中呼吸器をフィノが使いたがる。
「待ってね。まず実験台は僕がやるから」
「はいです…」
危険な役回りはさせてもらえないと分かっているから彼女もすぐに引き下がった。
作業中の木陰の前の砂浜で、休み休み鍛錬を続けていたチャムとトゥリオもやってくる。
「出来たの? 案外小さく仕上がったのね?」
「大きくすると水中戦闘に支障が出そうだったからね。出来るだけ小さくしたかったんだ」
カイは水中呼吸器を背負いマウスピースを前に垂らすと、クランプのような物を取り上げる。それは鼻を押さえて水が入り込まないようにするとともに、目の下に伸びた腕で目の周りに空気の膜を保持し視界を確保する魔法具で、フィノの発案で作ったゴーグル代わりの魔法具である。
「じゃ、やってみるね」
大きく息を吸ったカイは、マウスピースを口にして強く呼気を送り込む。そして覚悟を決めて吸い込むと、その目は
「成功しましたぁ!」
何度も呼吸しても大丈夫だと分かると、今度の水中実験はフィノが申し出る。
早く潜りたがるフィノに水中呼吸器を背負わせて海まで行くと、彼女はさっさとマウスピースを咥えてざぶんと潜る。そこには熱帯の海の美しい光景が待っていた。
その後は、同様の物をロルヴァの分まで合わせて五人分を組み上げ、それを装着した彼ら四人は陽暮れまで遠浅の海で泳ぎ回って楽しんでいたのだった。
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