熱き海

 僅かに流れた足が重心を横滑りさせる。腕だけで振った剣は鋭さも勢いもなく空振りし、余計に上体を揺らせただけだった。

 そんな隙を許してくれる相手ではない。スルリと入り込んできた身体が踊るように回転すると、胸に刃潰しの剣身が叩き付けられた。


「ぐほっ!」

 衝撃に、詰めていた息を吐き出させられて力が抜ける。堪らずしゃがみ込むと首筋をトンと叩かれて終わる。

「地面を掴めてないからそんな事になるのよ?」

「無茶言うなよ。これだぜ、これ」

 トゥリオは見上げながら地面を掬って見せた。指の間からはさらさらと砂が零れ落ちていく。


 前には、若夫婦に教えてもらった誰も使っていない浜辺で、新しい水着のお披露目とともに一泳いだりして遊び回ったのだが、同じ浜でも今陽きょうは勝手が違う。

 足元が安定しない状態での戦闘訓練は足腰を鍛えるのには最適。変に踏ん張って足首を捻らないように気を付けさえすれば、どれだけ激しく転倒しようが怪我をする心配は少ない。

 そんな良い条件が揃っているので、毎朝の鍛錬は砂浜で行われるのが当然となっている。ただし、気温のほうは極めて高い。しっかりと水分補給をしながらでないと熱中症になるのは目に見えている。


「こっちですよぅ」

 荒い息を吐いている美丈夫の手を引いたフィノは木陰に連れて行くと横にならせ、用意していたコップに果汁を少し加えた水を注いで飲ませる。

「済まねえ。助かる」

「良いんですよぅ。こんな事しか出来ないんですぅ」

 あれこれと楽しそうに世話を焼いてくれる彼女に礼を欠かすなんて出来はしない。


 もっと湿気の多く蒸し暑い西方での活動が多かったとは言え、この鍛錬はトゥリオにもかなり厳しいものだった。

 それでもを重ねていくほどに下半身が安定してきているのは自分でも分かるほどだ。それだけに辛くとも止めようなんて口が裂けても言えなかった。


 立ち上がったカイに、チャムはやいのやいのと言っている。薙刀を手にしたのが気に食わず、文句を言っているようだ。


 頬を膨らます彼女に根負けしたのか、カイはマルチガントレットを装着した。


   ◇      ◇      ◇


 横薙ぎに放たれた剣閃は下からの掌底で跳ね上げられた。

 そのまま掻い潜った青年は背後に回ると、チャムの腰の後ろをポンと叩く。逆らわず右足を踏み出した彼女は、それを支点にグルリと回転し背後を薙いだ。それは牽制の斬撃で本気ではない。追撃を許さない為だ。

 返す一閃が砂を散らしつつ、地を這うように迫る。その時には、カイの姿は完全に間合いの中。束尻を左手で止めて振れなくすると、右手がチャムのお腹をポンと叩く。

 ずるずると後退すると、踏み込んできた彼は払いを掛けてきて、足が追いつかなくなる。堪らずトンボを切って跳ね避ける羽目に陥った。

 着地して衝撃を膝で殺していると、カイはもう目の前だ。突き出される左手を避ける為に、砂浜を足で掴んで横に跳ねなければならない。


(徹底的に腰から下を狙われて、足を動かされちゃってる)

 意図的に踊らされている感じは錯覚ではないだろう。この鍛錬での重点に誘導されている。

(こんなに動かされたらお昼から足が大変な事になっちゃう。でも、自分から密接組手に誘っておいて、今更止めてなんて言えない!)


 カイ本人は、踏み込む足を流れるも埋まるもそれに任せ、重心を完璧に制御して綺麗な体捌きを見せている。あれはあれで十分に鍛錬になっているのだろうと分かる。

 自分もあれだけ重心を流さないようにすれば、無理に砂浜を掴みにいかなくても良いのだろうが、なかなかその境地には至らない。

 他人には注意しておいて、自分がこの体たらくは情けないとチャムは思う。


 でも、しばらくは踊らされそうだった。


   ◇      ◇      ◇


「やっぱり見事なもんだね?」

 砂浜に顔を見せたロルヴァが組手を眺めている。

「そうは見えねえかもしれねえが、これでも俺らは戦闘職だからな」

「剣呑だったり、殺気立った感じは全然しないから忘れかけそうだ」

「素人にそんな風に感じさせているうちは駆け出しって言われても仕方ねえな」

 装うとは言わないが、常に暴力の香りを漂わせていたら、魔獣相手に長くは生きられない。喧伝しているようなものだ。

「大陸の人は大変なんだろうな」

「お前だって海の中じゃ人を襲うような魚相手に切ったはったの生活なんだろ?」

「違いないな」

 似たもの同士な感じがして、自然と拳を合わせる。


「お疲れさまですぅ!」

 組手を終えたらしい二人に、フィノが両手にコップを持って、大きく尻尾を振りながら駆け寄っていく。

「ありがとう」

「最高よ。良い子ね」

 あおったコップを受け取って、チャムに頭を撫でられている彼女はとても幸せそうだ。

「見ていたんですか?」

 息は切らしていないが、かなり汗をかいているカイがロルヴァに目をやる。

「歩いていたら見かけたんでね。覗かせてもらった」

「どうです? 結構戻りましたか?」


 栄養は気を付けて十二分に摂らせるようにしているし、少々無理をしても夜にはフィノの治癒キュアを受けている。なにより、腰くらいの海中作業が多いのが功を奏して、ロルヴァの足は急速に回復していた。


「すごくいい感じだ。おそらくもう走ろうと思えば走れると思う」

 右足で砂を蹴っている様を見ると、かなり力強い感じがする。

「それでも数は様子を見ましょうか? 経過次第でよほど激しい運動でなければ大丈夫だと思います」

「ありがたい。もう海で働くのは無理だと思っていたからな」

「それはもう心配ありません。時間の問題です。その件で折り入って相談が有るのです」

 何か懸念事項が有るのかとロルヴァは不安げな表情を見せる。

「何か有るなら早めに教えておいてくれ。今なら大概の事は受け入れられる。治療費なら一生掛かっても頑張って払うから時間が欲しい」

「いえ、それは一切求めたりはしません。そんなつもりで近付いたのではありませんから」

 彼にはカイ達の意図が全く分からない。

燐珠りんじゅについて知りたいのです。同行させてもらえませんか? それとも場所は秘密なんでしょうか?」

「いや、秘密って訳じゃない。君達の願いなら叶えてあげたいんだが、あまりに危険だから同行は考えものだと思っている」

「見てもらった通り、僕達は戦闘が専門です。確かに水中戦闘は不慣れですが、そう簡単に後れを取る事はないくらいの実力は有る筈ですよ?」

 そこでカイがピンと指を一本立てる。

「何よりフィノが居るんですよ?」

「ん? 彼女は魔法士なんだろう? 水中では出来る事が限られるんじゃないか?」

「水中だからこそというのが正しいですね。周りは彼女が制御下に置ける水ばかりなんですよ?」

 魔法に不慣れなロルヴァには理解に苦しむ話なようだ。


「問題はどういう場所なのかです」

 カイには不安な点があるようだった。

燐珠りんじゅは『熱き海』で獲れる。秘密にしなくても誰も彼もが行ける場所じゃない」

「攻撃的な大型魚が居る以外では、どんな問題があるのでしょう?」

「そうだな。せめて一詩六分の三分の二くらいは潜っていられないと厳しいだろうか?」

 それを聞いてカイは非常に渋い顔をした。最低四十八呼四分というのはかなり高い要求だ。

「実は僕、泳ぐのも潜るのもあまり得意じゃなくて…」

昨陽きのうは普通に泳いでいたじゃないの?」

「あまり長距離は泳いでいなかったでしょ?」

 よく思い出すと確かに泳ぎを競ったりはしなかった。

「潜るとなると十二呼一分…、一詩の六分の一も無理かも?」

「それはちょっと難しいぞ?」

 皆が苦笑いになる。誰にせよ、要求を満たせそうな人間は居なかったからだ。


 カイは何か方法を考えなければならないと首を捻った。

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