カンム貝養殖
そのカンム貝は六
暖かいプランクトンの多い海で育つカンム貝は二
「これはまた大きいですね?」
ロルヴァはその言葉に笑いながら、
「まだまだ大きくなるんだ。でもあまり大きくなると扱いが難しくなるから始末してしまう」
「え? 逃がしてはダメなのですぅ?」
「ああ、これ以上大きくなって、人の足を噛むと溺れさせてしまうからな」
噛むと言ってもこの場合、貝が人間に噛みついてくる訳ではない。海中のプランクトンを濾して食べる為に貝殻を開いていたカンム貝の口に泳いでいた人がたまたま足を入れて、驚いた貝が口を閉じた為に起こる事故である。大きく育ったカンム貝はそれなりの重量があり、人が海中に引き込まれてしまうのだ。
天然のカンム貝で起こる事故はどうしようもないにしても、養殖貝を逃がした事で起こる事故は防がねばならい。その観点から、大きくなり過ぎたカンム貝は始末する決まりになっている。
「だいたい十
そう言いつつロルヴァは棚の上にカンム貝を置く。どうやらそれが作業台らしい。
「食べるのですぅ?」
「ああ、食べるよ。でも、全部は食べきれないから、刻んで漁の時の撒き餌にするか、その辺の魚にやっちまうな」
「美味しいのですぅ?」
フィノの興味の的はカンム貝の味に向いてしまっているようだ。
「悪くはないんだが、足が早くってな。いつまでも置いておけない。食べたいのかい?」
「あぅ! そ、そんな事ないですよぅ?」
「ははは。じゃあ、あとで大物を一枚潰そうか?」
そう聞いた彼女はバンバンと海面を叩いて否定する。
「大事な貝をフィノの為なんかに殺しちゃダメですぅ!」
「いや、気にしなくて良いんだ。時期が来たら感謝と共に潰すものだから」
「…申し訳ないですぅ」
会話の間にも作業は進み、樹の皮の繊維で作ったブラシで表面をザッと磨かれたカンム貝は海水で洗われて綺麗になっていた。
浮きの付いた道具箱にブラシを収めると、代わりに取り出されたのはガラス瓶。ロルヴァは貝を縦にすると、固く閉ざされた貝殻の合わせ目にガラス瓶の中身を少し垂らす。そのまま少し待つと、カンム貝の口はゆっくりフワーっと開いて中身を皆の目に曝す。
(筋弛緩薬!?)
口を開いたのは貝柱が緩んだという事だ。これほど劇的な効果を示すのは、それくらいしか思いつかない。
「さっきのは口を開けさせる薬だったのですね?」
「ああ、或る薬草の煮汁を冷ましたものだが、どこでも使っているよ」
アコヤ貝では開口器を使うが、これほど大型の貝でそんな事をすれば貝殻は割れてしまうだろう。
なるほど、そういう方法でないと作業は難しい。何気なく使っていたが、分量は加減されていたはず。量が多過ぎれば心臓まで止まってしまう。
「こうやって作業するんですね? 何て立派な…」
(分厚い外套膜)
それは貝の内臓を包む膜で、全体を纏めると共に保護し、更に貝殻を作る硬質タンパク質を分泌する組織である。
普通は中が透けて見えるほど薄いものだが、カンム貝のそれはかなり厚みがあり、中の内臓類が霞んで見えるほどだった。
「こことこれ、これもそう」
ロルヴァが外套膜の僅かな膨らみを指差す。中に白い球体が透かして見て取れた。
「へえ、こうやって出来るのね」
「こいつが真珠か?」
「何だか面白いというか可愛いですねぇ」
次々に覗き込んでは、真珠が出来ている様子を眺めた。
それは天然真珠が出来るのと、同じ理屈で出来ている。たまたま外套膜に入り込んだ異物の表面を、貝殻と錯誤した外套膜が硬質タンパク質で塗り固めた結果、真珠が形作られるのだ。それを人工的にやっているのだと一目で分かった。
アコヤ貝ほどの大きさの貝では、大粒の真珠を得る為に生殖巣という内臓の一部を使用しないと難しいが、カンム貝ほどの大型貝の厚い外套膜を利用すれば、その方法で大粒真珠が作れるのである。
「ほら、出来てるだろう?」
指先ほどの刃物を用いて外套膜の表面を小さく切ると、指で中の真珠を押し出し手の平の上に乗せて見せてくれる。
「本当だわ。綺麗ねぇ」
「真ん丸に出来てますぅ」
じっと見て、空に透かしてとチャム達は取り出したばかりの真珠を見ている。
「一度に結構な数が採れるのですね?」
「貝の大きさに合わせて仕込むからね。これくらいの大きさだと7~8個は採れる」
全部を取り出して見せてくれると、道具箱に収めた。
貝を海中に沈めて軽く濯ぐと、彼はそのまま隣の
「あれで
外套膜を傷付け続けると弱ってしまうのだろう。その為の行程だとミーザが教えてくれる。
アコヤ貝の真珠養殖では、内臓を傷付けるので一度だけで貝は死んでしまう。
その点、このカンム貝での場合は、休養期間を置けば何度でも母貝を利用出来るようだ。種を入れてからも一
「意外と数も採れるようだから、これなら儲かってもおかしくないように思えるのよね?」
戻ってきたロルヴァに真珠を返すと、チャムは疑問を口にする。
「普通の真珠はそんなに高価く取ってもらえないんだ。さっきの貝のは粒が揃っていて良い珠だったから一個
「え? ひと粒物の装飾品でも数
「装飾品って中間が幾つも入るからね」
モルセアのような卸し屋の手からは細工屋の手元に渡る。そこで加工が施されると、また別の装飾品卸し屋が引き取り、そこへ商業ギルドが噛んだりして宝飾品店へと渡っていく。その都度、利益が上乗せされていけば価格に反映されていく普通の経済理論だが、どうも宝飾品に関してはそれぞれの上乗せ割合が高めに設定されているようだ。
それは一つの商習慣のようなものだから、部外者が頭ごなしに批判する訳にもいかない。そう簡単には変わらない現実だと言っていいだろう。
「腑に落ちねえっちゃそうなんだが、仕方ねえんだろうな?」
トゥリオも腕組みして渋い顔をするのだが、生業としているロルヴァ達がどうしようもないと考えているようで苦笑いをしている。
「大変なお仕事なのに、儘ならないものなんですねぇ」
「一時はどうなるかと思ったが君達のお陰で続けられそうだし、ずっとミーザとやっていけるなら悪くないと思っているんだ」
「あら、お熱いわね?」
ミーザ本人も少し頬を染め満更でも無い顔をしているので、あまり深く議論するのも憚られた。
(でも、このままで良いとはちょっと思えない気がするね。
カイが内心でそう考えているとは、若夫婦は気付いていない様子だった。
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