友情

「友情で皆が俺の言う通りに動いてくれるっていうなら、誰とでも友人になりたいさ。でも、人間はそれじゃ動いてはくれないだろ?」

「バカ野郎!」

 トゥリオは唾を飛ばして詰め寄る。

「そりゃ、お前が利用しようとばかり考えているからだ! ちゃんと相手の為に何かをしてやりたいって本心から思っていれば、言わなくたってお前の為に動いてくれるぞ!」

「それは無理な相談だな。そんな不確かなものに頼っていたら、玉座になんて手は届かない。分かるだろ? 君だってフリギアの王家の血筋に連なる者なら」

 言い募る事など出来なかった。ディムザはトゥリオの事まで調べ上げた上で接触してきたと分かったから。

「忘れちゃいけない、トゥリオ。君は個人であると同時に、魔闘拳士の仲間でもあるんだ。知っていれば慮外に近付いてくる者はいないぞ?」

「く…」

 フィノが服を引くままに後ろに下がって背を向ける。

 彼女はマンバス千兵長とその直下の部下が、剣呑な空気を放っているのを心配していたのだ。今はその優しさに甘えて、自分の中の迷いを振り払った。


 フィノとチャムに背を押されながら下がるトゥリオを見送ったカイは、不平たらたらでマンバスを従えるディムザを放っておき、モイルレルに目を向ける。

「後の事はお任せして宜しいですか?」

 驚いた事に、彼に敬礼を返してきた。

「お任せください、魔闘拳士殿。調停の労をいただき感謝致します」

「司令官殿?」

「貴殿の事は存じ上げていたのですが、立場上申し上げられなかった事をお詫びします。この度は、帝国北西部の民に数々のご配慮、立ち替わりまして礼を申し上げたく存じます」

 あまりにかしこまった様子に黒瞳の青年は苦笑いで応じる。

「僕はあなたのその心意気は好きですよ。ですが、現状の帝国では生き辛くはありませんか?」

「巡り合わせではありながら、こんな生き方を選んでしまいました。戦いの中にあれば、いつ果てるかもしれない命。常に笑って死ねる人生でありたいと願っています」

「あなたを尊敬します、モイルレル嬢」

 その握手には心が籠もっていた。


「さて、陸将殿。お願いがあります。同行させていただいても宜しいでしょうか?」

 撤退に向けて負傷者の搬送や戦死者の扱いについて手配しているオストズナに話し掛ける。

「おお、魔闘拳士殿! それはこちらからお願いしたい。此度の事、陛下に包み隠さずご報告申し上げれば、感謝の言葉も有ろうかと思われる。改めて我が国を救ってくださった事、感謝する」

 どうやら彼の中では王国の終わりが見えてしまっていたらしい。最後の抵抗で華々しく散りたいとでも思っていたのだろうか?

「いえ、それは問題です。どうにか講和交渉次第で元通りの形になろうというのに、僕を匿っていると知れば帝国の心象は悪くなってしまいますよ?」

「ですが、何かお返しが出来ねば、忘恩の徒と後ろ指を差されかねません」

「ですから一つお願いです」

 後ろ頭に手をやって、困った様子を見せるカイ。

「この通り、帝国の皇子の恨みを買ってしまいました。しばらくは帝国内をうろついたりは出来そうにありません。なので、ラムレキア航路の船にでも積み込んでもらって、あちらで放り出してくださいません?」


 そんな頼み事をされれば、オストズナには微妙な笑いを返すくらいしか出来なかった。


   ◇      ◇      ◇


「まさか君のほうから声を掛けてくるとは思わなかったな。もう顔も見たくないとか思ってたんじゃないのか?」

 ひと際大きい背中の隣の席。幅広の大剣が立て掛けられているのとは反対側に腰掛けたディムザは、特に萎れている風も見せずに陽気に大男に声を掛けた。

「後味が悪ぃからな」


 ウィーダスの損害調査に帝国兵が駆け回っている中、一人を呼び止めたトゥリオは第三皇子への手紙を託した。中には待ち合わせ場所とする酒場の名前だけを綴って。


「彼にはこの事を伝えてあるのかい?」

 この期に及んで魔闘拳士が接触を許すだろうかと思う。ディムザが何か仕掛けるとしたら、絶好の好機となるのは明白だ。

「言ってある。ちいとばかし呆れていたみたいだったがな、別に止めはしなかった。チャムには煩いくらいに油断するなって言われたし」

「当たり前だろ? 馬鹿にもほどがある」

「ああ、その馬鹿な元友人から一つだけ忠告だ」

 先ほどからトゥリオはずっとグラスの中の氷ばかり眺めている。一度たりとてディムザと目を合わせていなかった。

「あいつを怒らせるな。もし本気で怒らせたりしたら、その瞬間にお前は終わる」

「ずいぶんと物騒な話だな。色々と見せてもらったつもりだけど、そこまでか?」

 目の前に置かれたグラスの中の琥珀色の液体をひと口嘗める。ピリリとした刺激が舌の根元を通り過ぎて、食道の形が分かるくらいに熱く焼いた。

「あいつは全然本気を出してねえよ。はなからお前を警戒していたみたいだからな。そう簡単に手の内を見せたりするもんか」

「なるほどね。だとすれば、空恐ろしい気分になるんだが?」


 鉄針にせよ、遠隔射撃魔法にせよ、魔法無効手段にせよ、どれか一つだけでも対策には相当の時間を要すると思えた。それがまだ見せて良い程度の手の内だとすれば、まるで底が見えないと言えよう。

 これが単なる魔闘拳士からの脅しである可能性は否めない。しかし、それを仕掛けるには不適格な人材だ。重い口をぽつぽつと開いている様は、どう考えても嘘だとは思えなかった。


「うーん、困ったね。相当頭も切れるというのも分かったから、あながち嘘とも思えないしな」

 トゥリオが呷ったグラスを前に置くと、店主は新しいグラスに蒸留酒を注いで取り替えた。

「あいつも同じ策略家だ。策略を看破する頭も持っているし、それを逆手にとって謀るくらいの芸当も平気でやる」

「ああ、中隔地方からこっち、痛い目ばかり見させられているんだ。思い知っているさ」

「だが、その気になりゃあ、そんな策略もの吹っ飛ばしちまうくらいに強え。お前じゃ絶対に勝てねえ」

 ディムザは置いたグラスに突っ伏すようにして肩を震わせる。

「言ってくれるねえ。これでも刃主ブレードマスターって云えば、東方じゃ知らぬ者とていないとまで言わしめた使い手なんだがな?」

 その時、初めてトゥリオはディムザを見る。その瞳には哀れみに近い光が宿っていた。


 それが彼の癇に障るが、何か言い返そうとする前に「ピュイィ―――!」と妨げるように音が聞こえる。トゥリオは腰袋から欠け盆みかづき型の魔法具を取り出すと耳に当てた。

「何だよ? …ああ、…何てだ? …分かった。それだけか? …参ったな。宥めといてくれ。用が済んだらすぐ帰るから」

「…そいつが例の遠話器ってやつか?」

「そうさ。カイから後ろの奴に伝言だとよ。もし俺に何か有ったら、冷たくなった主と対面する事になるってさ。聞こえたか?」

 僅かに椅子を鳴らす音がトゥリオの耳に届いた。おそらく腰を浮かせかけたのだろう。

「くっくっく、まったく厄介なんてもんじゃないな、あの御仁は。もういい。下がれ」

 最後のほうは命令だったのか、背後で人の動く気配を感じる。

「この通りだ。あいつはこんな馬鹿でも大事に思ってくれている。お前には愚かしく見えるのかもしれねえがな、これが普通だと俺は思ってんだぜ」

「実に愚かだね。どれだけ強かろうが、自分で自分に弱点を作っているんじゃ先が知れる。だが、何となく解ってしまうんだよ? 皇子としては君には利用価値しか見出せないが、一人の男としては君みたいな馬鹿が嫌いじゃない」

 彼は、影には絶対に聞かせられない台詞を口にする。


 しばらくは二人とも無言でグラスを傾けた。そして、大男は硬貨をカウンターの上に放り出すと、席を立つ。


「じゃあ、また・・な」

 ディムザは目も向けずに答えた。


「ああ、また・・な」

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