魔闘拳士の仲裁(2)
(黙らせやがった。ディアン…、お前…)
その行動は図星を突かれた証でしかない。トゥリオには、新たな衝撃と落胆をもたらすナイフだった。
(そうなのですね、殿下? あなたの胸の内の野心には、帝国民の安寧や配下の忠義と期待に報いようという思いは含まれてはいないのですね? 残念で仕方ありません)
打ちひしがれたモイルレルは、かすかに涙の滲んでしまった瞳を、敬うべき皇族の一人に向ける。しかし、そこに敬愛の光はもう欠片も残っていなかった。
「それが答えと受け取っても宜しいですか、ディムザ殿?」
「……」
カイの問いに
「ああ、厄介だ。実に厄介だ。厄介極まりないね、君は? どうしたら見逃してくれる? 西方には手を出さないと誓約書でも書けば良いのかい?」
「帰ってお父上に伝えてください。くだらない野心は捨てるようにと」
その嘲笑は、カイの心を動かしたりなどしない。
「簡単に言ってくれる。それだけ頭が回るなら、政治というのがそんなに単純じゃないって分かっているだろう? 一部の思惑だけで物事は動かないんだよ」
「それを上手に調整するのが為政者の仕事でしょう? 怠って一足飛びに結果を求めるから無理が出るんです。そういうのはそちらが専門なのだから、解って言っているとしか思えませんね」
「皮肉らないでくれ。俺は俺の立場で出来る最大限の努力をしているつもりさ。人の欲は尽きる事を知らないと思うかもしれないが、現実には物理的限界が存在する。その飽和点に達した時にやっと振り返る事が出来るとは思わないか?」
抽象的な論法だが、惑わそうという意図ではないだろう。込められた何かがある。
「まるでそれが自分の意思ではなく、制御出来る道を探っているかのような口振りですね?」
「その聡いところが相手に好感と恐怖を与えるのだと君は知ったほうがいい」
「覚えておきましょう」
カイは思いを巡らせるように顎に手をやった。
(何だ、こいつら。自分達だけで納得して終わらせるつもりか? 周りの人間を置いてけぼりにして幕を引く気なのかよ?)
赤毛の美丈夫の中で徐々に怒りが首をもたげ始めていた。
「さて、ご覧の通り、ジャルファンダルは一方的に陰謀劇の出演者にされていた節があります、陸将殿」
振り返ったカイは「証拠は失われてしまいましたが」と言い添えつつ、オストズナに視線を合わせる。
「それが本当なら事実は追及させていただきますぞ、ディムザ殿下!」
「いえいえ、問題があるのは帝国側だけとは言ってませんよ?」
歩み寄った青年は、戒めるように語気を強める。
「確かに操られるようにガッツバイル傭兵団との契約に及んだのかもしれません。追い込まれた中で他にない選択肢を採らざるを得なかったのでしょう」
「だから責任の所在は帝国に有るのではないかと…」
「彼らの専横を許したのはあなた方でしょう? 帝国領内を荒らし回っている事くらい把握していた筈ですよ? 止めも諫めもしなかったのは罪なのではないですか? 僕はあなた方にも少なからず瑕疵が有ると思っています」
ぐうの音も出ないとはこの事だ。彼の指摘はオストズナの被害者意識を貫き通して、最も深い部分を抉ってきた。
「それまでは優勢に有ったとは言え、軍事強国相手にいつまでも現状を維持出来るなどと思ってはいなかったのでしょう? 占領という行為に手を染めながら、傭兵団が一手に反感を引き受けてくれるなら都合が良いとでも思ったんでしょうね」
「う…、く。…その通りだ」
「では、退きどころもお分かりですよね?」
事ここに及んで島国の陸将は、彼が事実をつまびらかにしようとしているのではなく、仲裁をしようとしているのだと気付いた。
「あ! ああ、帝国にも我らにも非が有り、両国とも少なくない被害者を出しているのだ。ここは痛み分けという事で手を打ちたい。軍は撤退させる」
「それが宜しいかと。如何ですか? 帝国も矛を収めて、今後の交易の事でも話し合われたほうが建設的ではありませんか、翼将軍閣下?」
「おお、そうだな! それが良い!」
会話の流れに撤退の機を見出していたモイルレルは露骨に食い付いてくる。これまでの様子を見て、彼女が何も知らされず、不本意な役回りを演じさせられていると気付いたからこそカイはここで話を振ったのだった。
「ここで出しゃばってくるか、ジャイキュラ子爵?」
第三皇子の声は冷たい響きを孕んでいた。
「申し訳ございません、殿下。私は殿下の期待にはお応え出来ません。この討伐軍を率いる翼将軍として、撤退を命じます。どうかご寛恕くださいませ」
「分かっているか? もう貴殿には浮かぶ瀬は無いぞ?」
「重々承知しております。私はこれ以上、民への信義にもとる行いをすれば自分が許せなくなってしまいます」
「覚悟の上なら構わないさ」
不快感の表れか、軽くひと睨みしてもう顧みる事はしなかった。
「まったく君には困ったものだよ、魔闘拳士」
口ではそう言うが、困った表情など見せず、むしろ笑みさえ浮かべている。状況の変化に素早い切り替えが出来ねば謀略家などやっていられないのを象徴するかのようだ。
「ああ、つまらない。後は文官共に任せてさっさと手を引くぞ、マンバス」
「御意」
(これで終わりなのか!)
トゥリオの中で何かが弾ける。
「…おい、それだけかよ?」
怒気の込められた呼び掛けにディムザは振り向く。
「詫びが欲しいのかい、トゥリオ。戦略上の話にそんなものを求めてもらっても困るんだがね?」
「そうじゃねえよ。お前は俺を利用しただけだってのか? 俺が感じた友誼も偽物だったのか? 答えろ」
「蒸し返さないでくれ。さっき、魔闘拳士が言っただろ? 彼の仲間だと知った上で接触したんだって」
怒りに赤く染まり始める。顔が歪み鼻に皺が寄って、辛さと憤りが渦巻く内心を如実に表していた。
「そうかよ! 俺が馬鹿なのかよ! 何だ、お前らまで平気な顔して! 知らなかったのは俺だけか! くそっ!」
「そ、そんなに怒らないでください…」
仲間を見回すトゥリオに、おろおろしていたフィノが辛そうに手を伸ばす。
「トゥリオさんに言ったら、その…」
「ああ? 俺には教えられなかったんだろ!? 馬鹿が突っ込んでいくと思って!」
「黙んなさい!!」
フィノとの間に入ったチャムの平手が、大男の頬で派手に打ち鳴らされた。
視線が孕んだ怒気に、トゥリオは怯んで数歩後退る。
「八つ当たりするんじゃないわよ! あんたがそんなのだから言えなかったんでしょ!」
凄まじい迫力に彼は言葉が継げない。
「ディアンが怪しいって言ったらどうするわけ!? あんたなら、相手を見るなり突っ掛かっていくでしょ!? その時止められる人間がいればまだ良いわ! もし一人だったらそのまま突っ込んでいってやられちゃうじゃないの!」
トゥリオは自分の性分を顧みて、彼女の言う通りの行動をするだろうと思ってしまう。
「そうなっちゃったらフィノがどう感じると思うの!? 私は!? そしてカイは何をすると思うの!?」
美丈夫は腰から落ちて座り込む。目の前の美女の剣幕に慄く。獣人少女の瞳に溜まる涙に悔いる。そして、黒い瞳に浮かぶ申し訳無さそうな色に己が愚かさと仲間の思いやりに気付く。
それだけにやるせない気持ちが彼を衝き動かした。
「こんなに青臭くて馬鹿な俺でも必要だって言ってくれる仲間が居るんだよ! こんなに俺の事を解ってくれる仲間が居るんだよ! これが友情ってやつじゃねえのか! それなのにお前は俺が感じた友情も否定すんのかよ!」
睨み付けるトゥリオの言葉には、願いも含まれている。
「お前はどうなんだ! ディ…、ムザ!!」
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