魔闘拳士の仲裁(1)
翼将軍モイルレル・ジャイキュラ子爵は膝から崩れ落ち、頭を抱えていた。
(こんなとんでもない陰謀に気付き、証拠まで出してきたから只者ではないと思っていたが、殿下の事にまで辿り着いてしまうとは…。これはもう取り返しが付かないではないか?)
何が始まったのかと取り巻いていた帝国軍陣営の兵士達からはざわめきが巻き起こっている。
それも当然だろう。彼らはディムザの事を、ディアンという単なる従軍冒険者だと思っていたのだから。それをこんな風に大々的に暴露されるとは思ってもいなかった。
この状況をどう収拾すれば良いのかもう彼女には分らない。
見れば、マンバス千兵長は剣の柄に手を掛けている。青ざめた顔に悲壮感さえ漂わせているところから、刺し違えてでも彼を黙らそうとでもしているのか?
それが通用する相手とは思えない。黒瞳の青年はガントレットを装備したままだし、彼の仲間の女剣士も油断なく自然体で構えている上に、魔法士もロッドを手にしている。呆然としているのは赤毛の美丈夫だけだ。
ピリリと緊張した空気が流れる。
「ふっ」
空気が抜けたような息遣いが聞こえる。
「あっはっはっは! はーっはははは!」
腹を抱えて心底愉快そうに笑始めたのはディムザ本人だった。
「いつから気付いていた?」
「あなたがトゥリオに接触してきた時から怪しいとは思っていました」
「おい、待ってくれ。そいつは顔を合わせる前からって意味だぞ?」
目に涙を湛えて笑いの発作を耐える彼に、片眉を上げたカイはいかにも不本意そうな表情で応じる。
「何かおかしな点でも? 裏工作の匂いを感じて、それをことごとく潰してきた以上、何らかの動きがあって然るべきでしょう? その機に誰かが不自然に近付いてくれば疑いもします」
「もっともだ! でもそれだけで俺がそうだって気付けるとは思えないな」
「顔を合わせてからはしっかり観察させていただきましたからね?
論拠を上げていくカイを、ディムザは口元を押さえて面白そうに眺めていた。
「それでは少し弱くないかな?」
いくら何でも結論が早いと思う。間違えていればただでは済まないだろう。
「あなたの事を調べ上げていた人物が居るのですよ?」
「ほう、俺をそんなに警戒しているのか、ホルツレインは?」
「いえ、帝国を危険視しているのは事実ですが、皇族一人一人を調べたりするほど警戒している人は数えるほどに過ぎません」
穿ち過ぎた考えに肩を竦めるカイ。その口振りに韜晦は無さそうだ。
「もっと帝国の脅威に直面している方ですよ。それだけに十分に調べていらっしゃいました。今回の件を話したら保証してくださいましたよ、第三皇子の仕業だろうと」
「ちっ! メルクトゥーの女狐か」
突如として不快感を露にする。取るに足らない小国の人間と侮っていたのが、とんだところで足元を掬われた思いなのかもしれない。
「決めつけは良くないですよ? 方々で恨みを買っている覚えは有るのでしょう?」
「ならそういう事にしておくさ」
誤魔化しはしたが、確かにカイが遠話器で連絡を取って確認したのは、メルクトゥー王国宰相シャリア・チルムその人である。彼女はディムザが中隔地方へもその食指を伸ばしかねないと、かなり前から帝国内に手の者を置いていた。実に詳しく
そして、ディムザも誤魔化されたりなどしない。それ以上、押したところでカイが口を割ったりはしないだろうという思いから退いただけなのだ。
「参ったよ。降参だ。確かに俺がディムザ・ロードナックさ」
単なるポーズとして腰に手を当て頭を掻く第三皇子。
「認めてくださいますか?」
「認めなければ他の論拠を上げてくるんだろう? なあ、魔闘拳士?」
更に驚嘆の声がほうぼうから湧き上がる。
破格の強さを見せつけられていた両陣営の者達でさえ、さすがに目の前にしている青年が稀代の英雄と目される人物だとは思いも拠らなかったのだろう。
彼らは今ここで何が起き、これからどうなっていくのか全く予想が付かない。それもそうだろう。二人の正体を知っていたモイルレルでさえこの会談がどこへ向かっていくのか不安で仕方ないのだから。
「殿下…」
警戒心も露なマンバスは、主を慮って前に出ようとする。
「構わないさ。もう手遅れだ。別に向こうだってこれから一戦交えようとは思ってなさそうだぞ」
「さすが、全ての刃を手足のように扱える
「賛成だ。こうなった以上は建設的にいこうか?」
これは真相究明や責任の所在を明らかにする訳でなく、落としどころを探り合う交渉になるとカイは理解した。
(何だ? 一体、何がどうなっている? こいつら、何をしゃべってるんだ? 訳が分からねえぞ…)
ただ一人混乱の渦中に取り残されたトゥリオは、言葉にならない疑問に苛まれていた。
「では、基本的に全ての原因はあなたの策謀にあるとも認めてくださいますか?」
ズバリと切り込んでくるカイに、ディムザは空とぼけた言葉を返す。
「何の事かな?」
「殿下! 彼の言った事は本当なのですか!? この戦争は殿下が計画されたのですか!? その為にこの北西部の民は苦しまなくてはならなかったのですか!? そうまでして…」
ジャルファンダル島を版図に治めたいと考えたのかと、モイルレルは聞けなかった。
魔闘拳士の言葉を信じるならば、ディムザはガッツバイル傭兵団を手駒に使い、まずはジャルファンダルの交易船を襲わせる。状況が煮詰まってきたところで、北海洋方面海軍を動かして
次に、動きを掴んでいるジャルファンダルの密使の鼻先に、素行は悪いものの一万もの兵力を持つガッツバイル傭兵団をぶら下げる。その餌に食らいついたのを確認して、新たな段階に入ったのだろう。
策を授けてウィーダス、デニツク砦と次々に陥落させると、後は反感を買わせるように好き勝手に暴れ回らせる。それらの悪感情が高まったところで、編成された討伐軍に自らを潜め、混成軍を撃破してジャルファンダル島上陸を目指して誘導していく。
「そうまでして玉座を目指さなくてはならないのですか? 殿下は我らが民の為の政治を行うべく邁進されたのではないのですか? そのお手伝いが出来ると私は喜び勇んでやってきたというのに…」
モイルレルの悲痛な叫びがディムザを打つ。だが、彼は素知らぬ顔だ。
「だから、何の事だか分からないと言っているじゃないか」
「ならば、もう一人の証人にお聞きしてみませんか?」
鼻白んだ様子のカイがそんな提案をしてくる。
「傭兵団長。おそらく多額の報酬と共にどこかに雲隠れする算段なのでしょうね?」
「俺は何も知らねえぞ」
後ろ手に縛られて座らされているグリドナーはしらばっくれる。
「彼のような策略家が、重要な証人になり得る人間を生かしておくと思いますか? 僕なら真っ先に消しますよ?」
「だから、知らねえと…」
「では、僕が消して差し上げます。あなたのような方を黙って見逃すつもりはありませんから。さて、彼は庇ってくれますかね?」
魔闘拳士の酷薄な笑みに、団長の額を一筋の汗が流れる。
「ま、待て! 殿下! 約束をま…」
その瞬間に言葉は途切れる。
彼の右の眼窩にはディムザの放った投げナイフが突き立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます