ウィーダス攻略戦

 傭兵として過酷な戦場を渡り歩いてきただけあってグリドマーのほうが反応が早かった。

 テーブルに立て掛けてあった長剣の鞘に手を伸ばし、椅子を蹴立てるように立ち上がったまでは良い。いかんせん、その時には白銀の爪を持つ拳が、相当な重量になるであろうガントレット筺体と共に横面を捉えている。

 金属が人体を打つ重く湿った音が鳴り、太くて四角い奥歯が飛ぶのと一緒に、身体も壁に叩き付けられている。跳ね返って四肢をついた姿勢になり、揺らされた脳に視界が定まらないのか頭をふらふらと揺らしている。


 比してジャルファンダル司令官オストズナは、軍人らしく反射的に姿勢を低く踏み出した。

 掴み取った剣の柄に手を掛けると、鋭く抜き打ちを放つ。しかし、その剣閃は容易に手の平で受け止められており、そのまま剣ごと引き上げられると真正面から顔面に拳が食い込んでいる。

 鼻の軟骨が潰れる感触に嫌悪感を感じつつ、派手に鼻血を噴きながら後ろに吹っ飛び、壁に後頭部を打ち付けて目の前に火花が飛ぶ。追い打ちを掛けるように裏拳が飛んできて、更に後頭部を打ち付けると腰から力が抜けてずるりと尻餅をつく。


 それで終わるようなら荒事師などやっていられない。無理矢理膝に力を込めて立ち上がったグリドマーが倒れていた椅子を投げつけて剣を抜く時間を稼ごうとする。だが、目前で宙を飛んだ椅子が木っ端微塵に砕け、その向こうから銀爪が迫ってきた。

 掴まれた顔が痛みを伝えてくるがそれどころではない。本能が危険信号を伝えてきている。このままでは殴り殺されると。

 両手でガントレットを掴んだら、それを支えに跳ね上がり両足で胸を蹴って引き剥がそうとしたが、相手はそんなに甘くなかった。足が浮いて踏ん張れないのを良い事に、そのままテーブルに叩き付けられる。今度はテーブルをバラバラにしながら床に打ち付けられて、意識が飛びそうになった。


 その頃になると激しい音に気付いた配下の者達が追っ付けやってきた。

 ジャルファンダル、ガッツバイル双方の頭領が、現状の対応の話し合いの席を設けている部屋まで駆け付けると、護衛に立っていた筈の男達は血溜まりに沈み、室内からはうめき声が聞こえてくる。

「だ、大丈夫ですか、団長!?」

「閣下、御無事で!?」

 オストズナは喉に流れ込む鼻血に咳き込みながら恨みがましい目で見つめ、床に伸びたグリドマーが何とか持ち上げた手で指差す先に男が佇んでいる。

「貴様ぁー!」

 気色ばんだ者達はすぐさま腰の剣を抜くが、指し向けられたガントレットの前面のギミックが瞬時に迫出せりだすと、そこから衝撃波が吐き出される。弾き飛ばされた男達が尻餅をついている間に侵入者らしい青年は駆け抜けていった。


 呼び子やラッパなど様々な鳴り物が用いられて侵入者が報じられる。ほとんどの者は敵襲と勘違いして動き出すが、駆け付ける者達が口々に侵入者の存在を明かすと躍起になって追い始める。

 黒瞳の青年が嘲笑うかのように速度を加減して逃げている所為もあるが、肝心の指揮官が真っ先に配下を制御出来る状態でなくなった為に混乱に拍車が掛かり、とめども無く追手の列が膨れ上がり始める。


 騒動の発生をいち早く察した住民は家々に籠って固く扉を閉ざす。往来が途絶えて広々とした通りを、たった一人が何百人を優に超えそうな数の追跡を受けつつ駆けていく。回り込んだり、待ち伏せたりもされるのだが悠々とそれらを躱し、更に行列を大きくしながら大通りに飛び出した。


 明らかに暴走状態となってしまった彼らは気付かない。既に術中にはまっている事を。

 興奮と狂乱で視野が狭くなっている者達は、何も考えずに扉も設けられていない街門を通り抜けた青年を追って、街の外へ飛び出した。


 一万の軍勢が待ち受ける街の外に。


   ◇      ◇      ◇


「わあぁぁ―――!」

 湧き上がった鬨の声に、熱狂に包まれていた者達ははたと気付いたようだ。自分達はどこに飛び出してきてしまったのかと。

 だが、もう止まれない。止まれば後ろの者に押し潰され踏みしだかれる。冷め切っていない頭でもそれくらいは分かったので機転の利く者は、横に逸れるように列から何とか外れて立ち止まる。

 そして、見送るしかなかった。帝国騎馬軍団が左右から街門に向けて回り込んでいく様を。

 退路は断たれた。


 帝国騎馬軍団は、ウィーダス街門から溢れ出していく軍勢の愚かしい様を眺めながら回り込む。

 自軍の攻勢に気付いた者が再び街の中に逃げ込もうとする。中からはまだ気付かぬ者が押し合いへし合い出てきている。当然そこには隙間など無い。興奮冷めやらぬ者は怒りを露わに剣を振り上げて退かせようと威嚇する。それに誘発されて出てきたばかりの者が剣を振り上げる。中には味方同士で斬り結ぶ者まで出始めた。

 これが一個の軍勢であれば多少は冷静さも保たれたのかもしれないが、そこに居るのはジャルファンダル正規軍とガッツバイル傭兵団の混成軍なのだ。ウィーダスに閉じこもっていた間も少なからずいざこざや悶着を散々繰り返してきた相手。狂乱状態であれば自制など効くものではなかった。


 そんな混沌の中、騎馬軍団は側撃を掛ける。必然、一方的な戦いになる。組織的な抵抗などほとんど見られる事無く刈り取られていく敵は、既に憐れを誘うような状態だった。

 それでも練度の高い兵は容赦なく攻め立て分断、包囲の輪の中へ追い立てていく。後続の軽装歩兵にその場を譲ると、街中に逃げていった敵に向けて追撃を掛けていった。


 その騎馬軍団の一団の中にはいつの間にか色とりどりのセネル鳥せねるちょうの姿も混ざっていた。


   ◇      ◇      ◇


 混成軍の引きずり出しに成功したカイは、帝国軍の突撃を受けて足を止めつつある背後の様子をチラリと見遣ると、すかさず駆け込んできたセネル鳥の背に飛び乗った。


「ありがとう、パープル。待っていたよ」

 振り返る大きな瞳に親指を立てて最適な時機だった事を伝える。

「キュルキューイ!」

「悪いけどもうひと働き頼むね?」

「キュイ!」

 タタッと駆け上がって首に尻尾を絡め、髪の毛を掴んだリドに「しっかり掴まっているんだよ」と声を掛けると、後ろを振り返る。

 そこにはもちろん三騎の仲間がやる気漲る顔で続いている。

「中に入るよ!」

「分かってるって! 逃げ込んだ連中が住民に被害を出さねえように片付けて回るんだろ?」

「正解よ! 良い子ね!」

「チャムさん、そんなに言っちゃ可哀想ですぅ」

 帝国騎馬軍団に何気無く合流すると、ウィーダスの中に駆け込んでいった。


 そういった訓練も繰り返しているのか、騎馬兵達は実に組織的に効率良く掃討作戦を実行している。

 十兵長の補佐的立場にある分隊長が数騎ずつを指揮し、逃げ回る兵を追い詰めたり、かんぬきを下ろされた扉を打ち壊そうとしている兵を背後から打ち倒したりなどして、確実に敵を戦闘不能にしていっていた。


「あまり出番が無さそう?」

 その様子を横目に歩を進めるチャムは微妙な面持ちだ。

「いや、奥の方がたぶん本番になるよ」

「ジャルファンダルの兵隊さんのほうが冷静だったんだと思いますぅ。軍服の人達が少なかったように見えましたからぁ」

「逃がす訳にゃいかねえな。船を押さえねえと」

 加速したセネル鳥の背で「そういう事」と答えたカイは、港のほうへと急いだ。


 果たしてそこには、軍船に乗り込むべく準備を急ぐ軍勢の姿がある。

「悪いですが、逃げられると困るのですよ?」

「また貴様か!」

 少しくぐもった声が返ってくる。


 撤退の指揮を執っていたのは、顔の下半分を赤く腫らしたオストズナであった。

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