帝国の司令官

「して、殿下。何か予測不能の事態が生じたと聞き及んでおりますれば、わたくしに対処出来るのであればお話しいただきたく存じます」

 司令官ジャイキュラ子爵は、マンバスが耳に入れたその情報が心に引っ掛かってならなかったようだ。自分から切り出してきた。

「ああ、その件な…」

 ディムザが難しい顔を見せた事で、マンバス以外の同席者は息を飲む。


 彼らはジャイキュラ子爵の配下の千兵長で、この紛争で彼女に手柄を立てさせて盛り立てようと息巻いているのだった。

 ところが、そこに懸念事項が舞い込むのは思わしくない。彼らにしてみればこの千載一遇の好機を絶対に逃す訳にはいかなかったのである。

 彼らの上司モイルレルは軍人気質で部下思いなのだ。その敬愛する上司に活躍の場を与えたい。戦果を上げてもっと上を目指して欲しい。そんな思いで彼らの胸は満ち溢れているのである。無駄な障害は極力排除しておきたい。


「陣営にあの『魔闘拳士』が居る」

 それは彼らの目を剥かせるに値する事態だった。

「その…、殿下…? それは本当の事なのでありましょうか?」

「残念ながらな」

 ジャイキュラ子爵本人さえ唖然とする内容に、場は静まり返った。


 世界に覇を唱えようというロードナック帝国にとって西方の動乱は歓迎するべき事態であった。

 長引けば長引くほどに疲弊を招き、母国に付け入る隙を与える最高の状況を生み出す筈だったのに、一と掛からず終結した事態の裏側には、魔闘拳士の影ありと皆が耳にしている。

 今や、西方は帝国の脅威に成長しつつあるのがその場に居る誰にでも分かる以上、その立役者が東方に姿を見せているという意味を勘繰らない訳にはいかない。


「それはあまりに危険なのではございませんか?」

 震える唇を抑えようとする彼女だが、それはあまり上手くいっていない。

「俺も最初はそう思った。だが、感触ではそれほど腹意は無いように感じた。連中、まるで呑気に旅をしているようだ」

「あの…、殿下を疑っている訳ではございませんが、それはあまりに…」

「分かっている」

 とても軽視は出来ない。しかし重視する材料もない。彼は「敵はガッツバイル」だと明言したのである。

「無駄に危険を背負い込むのは下策だ。だが、戦力として有用なのも事実だ。それは認めない訳にはいかない」

「殿下がそうお考えであれば」

 力のほどを量っておきたいとは言わない。そのリスクをジャイキュラ子爵は見過ごせないと判断するかもしれないからだ。

「警戒は必要だが、それほど気にしなくていい」

 それは自分が何とかするという意味だ。

「協力致しますので、何でもお申し付けください」

「頼む。当面は接触してきても普通に対応しておいてくれ」

「御意」


 意見調整が済んで、ディムザが退席した後に軍議は解散となった。


   ◇      ◇      ◇


 気配を殺し夜陰を進むディムザの後ろに影がある。


「連中は自制が効かんのか?」

 押し殺した声はその影にしか届かないだろう。

「そういう輩だとご理解いただいていたのではないかと?」

「完全に壊滅すれば復興には時間も金も掛かり過ぎる」

 責める口調ではあるが、制御の効く相手ではないとも承知はしている。しかし、この対応の遅れや状況が、皇帝の不興を買わないとは限らない。

「海軍が騒ぎ出す前には事を片付けなくてはならん。分かっているな?」

「加減は難しいとお考え下さい。逆に言えば、こちらの配慮も不要ではありませんか?」

 ディムザにも叱責の意図はない。こうして状況整理の出来る判断力が有るからこそ彼の目にも留まったのだ。つまり一つ一つ指示をせずとも動ける人間を好んで使うという事だ。

「価値は有るという事か?」

(例えそれが捨て駒でも)

「目的の為であれば…」

 子飼いの諜報員は「目をお瞑り下さい」と暗に意味を込める。

「ふん、好きにさせるし好きにしろと言うか?」


 闇に消える影に少々の皮肉を込めた言葉を投げておいた。


   ◇      ◇      ◇


 北海洋に近い地域とあって、デニツク砦周辺も本来は樹木や森の緑も濃い筈であった。

 しかし、それらの緑は片端から切り倒されてしまっている。おそらく燃料にでもしてしまったのだろう。踏みしだかれた薄茶色の野が広がっていた。

 それだけに、意図せずとも見通しが良くなっていて、帝国討伐軍の接近は砦側に筒抜けになっていただろう。斥候隊から報告でそれらが把握されていたので、特に行動に制限を付けられる事も無く、一万二千の軍は粛々と原野に展開していく。


「優秀な司令官ね。情報の把握も早くて正確。対応は明確かつ大胆とも言えるわ」

 既に時刻は午後の五の刻6時近くになっている。既に夜営準備が通達されて、兵達は慌ただしく動き回っていた。

「ああ、遠目に見たが女司令官だったな。普通なら大胆さに欠けるところが有っても変じゃねえが、こんなに見せつけるような用兵をする。砦の奴ら、気が気じゃねえから今夜は眠れねえぞ?」

「でしょうね? それでいて心配りの細やかさは女性を感じさせるわ。こういう人はあまり敵に回したくないものね」

「難しいかな」

 視線を送られた黒瞳の青年は首を捻る。

「帝国の将として侵略の先兵となって動くのならば、いつかは衝突しないといけないかもね?」

「だとしたって、あの砦に巣食う無法者とは違うぜ? 俺達だけでどうにか出来たりはしねえな」

 味方無しで挑めるような相手ではないのは皆が感じているが、それを見せつけられている感じがする。帝国の人材の厚さを思い知らされているようなものである。

「それは東方諸国の状況を見てからよ。そうでしょ?」

「そうだね」

「噂通り無茶をしているなら、きっと敵も多い筈ですぅ。敵なら味方になるとは言いませんけど、話してみる価値は有るんじゃないでしょうかぁ?」

(味方でなくとも敵同士なら意図的にぶつける手も有るけどね?)

(意地の悪い事、考えるのはやめなさい!)

 カイがそう考えていると、雰囲気から察したのかチャムに咎められてお尻をつねられた。

「フィノの言う通りよ」

 一転して優しい表情でフィノの頭に手をやるチャム。

「間違いねえ」


 陣営の外れで行われた会話は、未来にどんな影響を与えるのかは今は分からない。 


   ◇      ◇      ◇


 昼の白焔たいようが顔を覗かせ、朝の少し黄色い光にデニツク砦は焙られている。

 夜襲の警戒に当たった者を除き陣営が起き出す中、事態に変化が訪れていた。


 昨夕も城壁上には見張りの姿が見えていたのだが、今は更に多くの者の姿が有った。

「よく聞け! 帝国の猟犬共!」

 拡声魔法のお陰でその声は、城壁から1ルッツ半1.8km離れた陣営まで運ばれている。

「こいつを見ろ!」


 モイルレル・ジャイキュラ子爵がその声を耳にしたのは陣営でも最前辺りの事であった。

 ディムザは不要の関与を戒めるような口振りだったが、やはり司令官として危険因子には警戒が必要だと考えている。その為に現在、魔闘拳士と目される人物が居る最前まで馬の歩を進めて来ていた。

 そこにはディムザの姿も有り、彼女を認めると苦笑いを寄越してくる。


「そこから進んで来てみろ!」

 城壁上にはガッツバイル傭兵団員が数十名と、ほとんど半裸と言えるほどのボロを纏った女達が並ばされている。それはおそらく、周囲の街や村から攫われてきた者だろうと思われた。

1ルステン12mごとにこいつら一人の首を刎ねてやる! 手前ら自ら国民を殺してみやがれ!」


(何というおぞましい奴らだ!)

 怒りに奥歯を噛み締めるモイルレル。

「こいつら、馬鹿か? 終わったぞ?」

 手の平を上に肩を竦めるディアンの横で、赤毛の大男がそう口にするのが聞こえた。


 それと同時に、北部では感じられないような冷たい風が吹き付けてきたかのように感じた。

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