帝国討伐軍合流

 デニツク砦までは30ルッツ36kmの距離を置いて、四つの大隊に分かれていた帝国討伐軍は、再び翼軍単位一万二千に合流した。

 ここからは重装歩兵の進軍速度に合わせてもおよそ一の距離である。


 装備品がゆうに25ラクテ30kgを越える重装歩兵の行軍速度は、何の補助無しであればこの三分の一、10ルッツ12kmが精々だが、身体強化が強めに掛かっている体格の良い者を集めた重装歩兵部隊は30ルッツ36kmを踏破して見せる。

 その脅威の体力に裏打ちされた一軍を率いるのは、何と女性の身で翼将軍の位に在るモイルレル・ジャイキュラ子爵であった。


 最も合流の遅れたマンバス千兵長の大隊は、既に集結している九千の列に加わり、一万二千を形成した。

 すぐさま馳せ参じたマンバスに、ジャイキュラ子爵は鷹揚に応じる。

「ご苦労であった。貴殿の隊がどうやら激戦区に当たったようだったな。戦果報告も受けている」

「は、ありがたきお言葉。遅れました事、お詫び申し上げます」

 美麗な軽装鎧ライトアーマーに身を包んだ彼女は、良いと言うように手を挙げて制する。

 定期的にジャイキュラ子爵の元には報告兵を走らせている。全体の撃破数や、領軍に引き渡した捕虜数なども彼女は把握している筈であった。

「撃破数の割に損害は微々たるものだと言えよう。よくここまで率いて来てくれた」

「はい、お借り受けした兵を失う訳には参りませんので微力を尽くさせていただきました。いくらかの僥倖にも恵まれまして、ほぼ損失無く閣下にお返し出来た事、神に感謝しております」

「ふむ。して、殿下は?」

 急に声を落としたジャイキュラ子爵はマンバスに問い掛ける。

「冒険者の列に。後ほどお伺いになられるかと思われます。少々難しい事になっておりますれば、殿下よりご説明があるかと?」

「む? それは今後に支障を来すほどの事か?」

「場合によっては。そちらのほうはあまり口出しせず、お任せしておりましたのではっきりと申し上げられないのが心苦しくあるのですが」

 彼女は少し考える風を見せたが、すぐに思い直すと微笑みと共にマンバスに労いの言葉を掛けた。


 カイ達は従軍冒険者の列に加わり、軍全体を眺めている。

「これだけ揃うと壮観ね。この規模の軍に加わるのは久しぶりだわ」

 正確にはロアジン会戦以来になるだろう。国同士の戦争でもない限り、なかなか拝めない景色かもしれない。

「そうですよねぇ。昔のフィノは大軍の列に加わる事があるなんて想像もしていませんでしたですぅ」

「いつまでも『フードの魔法士』って呼ばれている訳にはいかなかっただろうがよ?」

「いえー、それで一生を終えても良いって思っていたんですよぅ?」

 冗談交じりの「おいおい」というツッコミが入る。

「悪いのに捕まっちゃったわねえ。あの人に付き合っていたら、どこまで連れて行かれるか分からないわよ?」

「そんな事無いですぅ。楽しみですよぅ。フィノにこんな冒険の陽々ひびを与えてもらえたのですから」

 二人に見られた当の青年は少し寂しそうにしていた。

 先陽せんじつまでパープルの鞍に括りつけた訓練用の薙刀には、五羽のチャモが留まって「ケクケク」と賑やかだったのだが、通りかかった小さな集落に引き渡してしまっていた。仲間も多数いたので、彼らはそこで幸せに暮らしていく事だろう。

「ふぅ、案外可愛いものだね、チャマって。飼おうかなぁ」

「旅暮らしじゃ飼えないでしょ? ホルムトの家に置くとしても、会えるのはたまになるのよ? それはそれで寂しいんじゃない?」

「そうだよね」

「ちるちー!?」

 自分が居ると言うようにリドが頭をてしてしと叩く。

「ごめんね、リド。僕にはこんなに仲間が居るから寂しくなんてないんだよね?」

「きゅるっ!」

 リドを胸に抱いてパープルの首を撫で、申し訳無さそうな顔になる。


 三人の笑顔やセネル鳥せねるちょうの大きな瞳、首に巻き付いて自己主張するリドに囲まれて、それ以上望むのは贅沢だと思うカイだった。


   ◇      ◇      ◇


 翼将軍ジャイキュラ子爵を中心に、副司令官や勢揃いした四人の千兵長と軍議が行われていた天幕。各指揮官の副官は大隊の纏めに戻り、五人が顔を突き合わせて今後の計画を練っているところへ、一人の美男子が僅かな衣擦れと共に入ってきた。

 それと同時に全員が膝を突き、首を垂れる。


「お待ちしておりました、殿下。本来であれば直接全軍に下知げちをいただくのが正道でありましょうが…」

「いや、これでいいのさ」

 口上が長くなりそうなジャイキュラ子爵を手で制す。

「元気そうだね、モイルレル。顔を出すのが遅れて悪かった」

「もったいないお言葉」

 恐縮した様子を見せる彼女にディムザは笑み掛けた。

 彼が合流したのは、全軍を四大隊に分けてからだ。その前後も、ずっと配下の諜報員を用いて彼女に指示を送っていたのである。

「お忙しいところを現地までお出で下さいましただけでも、身に余る光栄にございます」

「お前こそ、それほど近しくもない俺の要請に従って、こうして戦地に赴いてくれている。こちらが感謝せんといかんところだ」

「いえ、次期皇帝と名高い殿下のお声掛けをいただいた以上、如何な地にも馳せ参じましょうぞ?」


 モイルレル・ジャイキュラ子爵は、陸軍西部方面軍に属する翼将軍である。今回の出征は、正式な命令書によるものだったが、彼女のところには事前に内々の打診があり、それを了承の結果発行された辞令であった。

 本来、皇族の直下で動くのならば基本的に中央軍が動員される。しかし、現場が帝国最西端に近い場所の所為もあろうが、異例とも言える抜擢で彼女が推挙される形になっていたのだ。


(硬いな)

 ディムザはそう感じている。

(それでも女だてらに翼将軍まで駆け上がってきた将だ。噂は帝都にまで聞こえてきている。それほどまでに優秀なら顔を繋いでおくのは悪くないと考えていたが…)

 ここまでの行軍でその片鱗は十分に感じられた。

 ディムザ直下の千兵長マンバスを送り込んで様子を見させたが、実に効率の良い運用が見られたと聞いている。周りに、実務に長けた配下も育っているようだし、今後が楽しみな将であると思えた。

(十分な戦果を上げられれば頭将軍に取り立ててやってもいい。恩を感じさせて俺の陣営に取り込んでおけば西側の押さえに使えるだろう。西に強い『剛腕』への睨みを利かせられるなら、軍務卿を動かすくらい安いものだ)

 彼の脳裏に一番上の兄の顔が浮かぶ。

 通称『剛腕』と呼ばれる第一皇子ホルジア・ロードナックは中央から西寄りにその勢力を伸ばしている。そこへ楔を打ち込めるのなら、人事権を持つ軍務大臣に金を渡すくらいの価値は有ると考えているのだった。


「頼もしい限りだな」

 ジャイキュラ子爵の肩に手をやって立たせる。

 彼女は見目も悪くなく、美姫とは言わないが端正な顔立ちに引き締まった女性らしい身体つきをしている。当主や兄弟に突然の不幸が訪れなければ、政略上の縁繋ぎに役立った事だろうと思われた。

「ホルジア兄上が羨ましい。貴殿ほどに優秀な駒を抱えているのだからな」

「いえ、その…」

 彼女は言い淀む。

「わたくしはホルジア殿下にはあまりよく思われておりませんようなので、ディムザ殿下のご推挙をいただかなければこのような華々しい戦場には立つ事も叶わず、感謝の言葉もございません」


 それも調査通りの内容だった。

 ホルジアは『剛腕』の異名通り、質実剛健を旨とする。女性を戦場に置く事を毛嫌いし、彼女を疎んじているようなのだ。もっとも、そうでなければディムザが食指を伸ばすのも叶わなかったであろう。


「期待している」

「はっ!」


 モイルレルの紅潮した頬は貴人の言葉に心酔する者のそれであった。

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