懐かしの味
顔を傷だらけにして、一羽のチャマを抱えているトゥリオ。そして、さも当然であるかのように両肩を占拠されているカイ。
何が有ったのか不思議で仕方ないのだが、その様は失笑を禁じ得ない。
「何でなのよ?」
笑いの発作に顔を歪ませているチャムが訊く。かく言う彼女らも一羽ずつ抱えているのだが。
「捕まえようにもちょっと野性に目覚めててさ…」
見つけたチャマをトゥリオは追うが、枝葉の低い果樹に顔を叩かれて傷だらけになってしまう。普通に追っても難しいと判断した二人は餌でおびき寄せる作戦に切り替えた。
ところが、彼らが餌を撒くと敵は反転攻勢に出てきたのである。掴もうとするトゥリオの手を掻い潜るとその顔に蹴りを入れて爪で傷付け、カイが撒いた餌に飛びついた。
よほど腹を減らしていたかワッと餌に三羽が群がり、散々食い尽くすとその供給元であるカイに飛び乗る。そこに居れば今後餌に困らないとでも思ったのだろうか?
最後にプライドを掛けたトゥリオとの一騎打ちがあり、一羽だけは彼に確保されたのであった。
「人間相手だと傷一つ負わないくせに」
フィノに
彼女らも餌を使ったのは同じなのに、食べているうちにヒョイと捕まえてしまっていた。
「なかなか強敵だったよ」
今も尻尾を啄まれそうになっているリドがシャーっと威嚇している。
「それでそれは?」
チャムが視線を送っているのは抱えている玉子のほうだ。
「巣を作って生んでいたからもらってきた。実は欲しかったのはこっちのほう」
「へ? 玉子が欲しかったのですかぁ?」
にんまりと笑うカイを見れば、それが本心からの言葉だと分かる。
玉子は生鮮食品であるが故に、タイミングが合わないと入手出来ない。しかも、流通関係者に問い質したところ、『倉庫』への格納が不可能らしい。つまりは無精卵だとしても生命だと判定されているという意味だ。
幾度も議論を重ねても明確な基準が見えてこない、この辺りの判定が実に微妙だとカイとチャム、フィノは首を捻ったものである。新鮮な肉や魚は格納可能なのに、生命の一部品でしかない卵は生きていると見做される。しかも魚卵など、まだ生み落とされていないものは格納可能なのである。
「生命とは何ぞや?」という哲学命題が解明しないように、どこからが生命とされるかの基準も永遠の謎かもしれないとの意見で納得するしかなさそうだった。
「人間って贅沢なものだよね?」
様々な食品が手に入る時はそれぞれを楽しむ癖に、こうして食材の入手が難しくなると、色んなものが食べたくなってしまうものらしい。
「それで玉子なの?」
「うん。それも生で食べられるくらい新鮮なのが良いよね?」
「「「生!?」」」
また、妙な事を言い始めたと三人は思った。
◇ ◇ ◇
その
戦闘糧食というのは、基本的に嵩張らず調理が容易で短時間で腹に納まるのを求められる。
故に種類もかなり限定されるものだし、味も塩分補給を旨として塩っからい物が多かったりする。そして、来る
西方では堅パンが主流でスープなどに浸して食べるものだが、東方では主流なのは
やはりスープなどと一緒に煮て、雑炊のようにして食するのだが、塩の強い干し肉や干し野菜と共に煮るのだから味も代り映えしない。そんな中で、得も言われぬ香りが漂って来れば、兵達にとっては責め苦に近いものかもしれない。
「もうそろそろ良い感じだろ?」
先ほどから腹の虫との戦いを演じているトゥリオは、鍋の中が気になって仕方ない。
「もう少し待ったら、もっと美味しいですぅ」
「そうよ。大人しく待ってなさい」
「分かったよ。なあ、カイ、それ焼かなくて良かったのか?」
黒瞳の青年が傍らに置いている玉子の山に目をやっている。それは昼間にあの農村で拾い集めてきた物だ。
「だから生でいただくって言ってるよ?」
「あれ、本気なのかよ?」
それを生んだチャマ達は、カイが差し出したもち麦に群がり、その手の平を突き回しているのだった。
「本気も本気だよ。今まで渇望していたものにやっとありつけるんだから」
「はぁ、未だに理解出来ねえや。お前のとこの食習慣」
もう一つの竈に掛けてある、赤麦の鍋蓋をコンコンと叩いて炊き上がり具合を見ているカイに胡乱な視線を向けている。
「いいよー、別に理解してもらわなくても。僕が美味しければそれで十分」
取り付く島もなかった。
鍋蓋を開けると、ご飯の炊き上がりのあの何とも言えない良い香りが周囲に漂う。
慣れないとそれが良い香りだとは感じないものらしいが、炊飯食に偏り始めてきている四人にはご飯の味を連想させる幸せな香りに感じられるようになっていた。
「はうぅ~ん、これはいけませんですぅ…」
「こらこら。フィノ、よだれが垂れているわよ?」
「無理ですぅ。これは止められませんよぉ」
カイがお手製の木のしゃもじで掻き混ぜると、炊き立てご飯は更に香りを撒き散らし、フィノを刺激して止まない。
「鍋のほうももう出来ているよね?」
限界間際のフィノに、丸椀によそったご飯を手渡すと、ふさふさの尻尾が大きく打ち振られている。
「いただきもふ」
「もう食べているじゃないの?」
語尾辺りではもう口の中にご飯が放り込まれているので、くぐもった音になっていた。
「まあ、いいわ。いただきましょ?」
「おう、食おうぜ。いただきます!」
戦場らしくない食事風景の始まりである。
「さて、僕もいただきますか?」
温かい食事に皆が舌鼓を打つ中、おもむろに彼が動き出す。
炊き立てご飯がよそってある碗に、さぞ当たり前のように卵を割り入れる。そして軽く魚醤を垂らすと豪快に掻き混ぜた。
「おお…」
正気かと言わんばかりにトゥリオの口から声が漏れる。
程よく玉子がご飯に絡んだところで、カイは潔く椀に口を付けて掻き込んだ。
「あー、これ…。堪らない…」
むぐむぐと咀嚼した後に、耐え切れないように漏れ出した言葉。彼の口内は今、懐かしさに溢れていた。
鍋にも手を伸ばさず、しばらくはその『玉子ご飯』の味だけを堪能した。
色こそ赤麦ご飯に黄身が混じって薄い朱色のようになっているが、それは間違いなく幾度も味わった玉子ご飯の味に近似している。そのねっとりとしたコクと旨味の大波は、カイの舌を蹂躙し、立ち直れないほどに打ちのめしていく。
「日本人に生まれて良かった」
溜息と共に漏れたそれは心からの言葉として周りの者にも伝わっていく。
「フィノにもください!」
耐えられなくなった獣人少女は、ぷるぷると震える腕を玉子の山に伸ばす。その切なげな表情は、何も無い荒野を食べるものなく旅をし、たった一つ見つけた瑞々しい果実に手を伸ばす時のそれであった。
「食べるの?」
「食べたいです!」
強い要望に、フィノの前に置かれた椀には玉子ご飯。匙を入れて口に運ぶと、ぶちの有る垂れ耳がピコンと立つ。
「ほわあぁ」
「お、美味しいの?」
「何か幸せな味ですぅ」
彼女の顔は蕩けているが、玉子まで生で口にするのは躊躇いのあるチャムとトゥリオには、何とも受け取りにくい答えが返ってきた。
「どうするの?」
「いってみるか?」
もう一つの椀に作られた玉子ご飯を口にした二人は微妙な表情。
「不味くはないわね。でも、それほど美味しくもないかしら?」
「だよな。何かねちょねちょして舌触りも悪いし」
「だから別に食べなくっても良いって言ったのに。これは僕の味の原風景なんだから」
不評に不満は無いようだった。
「何やってんだ、あいつら?」
そこだけ違う空気が流れているような一画を眺めて、ディアンは冒険者仲間と共に肩を竦めた。
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