精密射撃

 ほとばしる闘気が吹き付けて背筋を凍らせたのだと気付くのに、モイルレルは少し時間が掛かってしまった。

 あまりに激しい闘気の波に、身体が臨戦態勢に入る前に強い恐怖を感じてしまったのである。


「くっ! うう…!」

 堪え切れずに声が漏れる。

 それでも司令官としての強い意識で咄嗟にディムザを守ろうと強引に目を向けると、腰の剣の柄に手を掛けて抜きかけている彼の姿が在った。

(さすがは殿下! 刃主ブレードマスターとまで呼ばれたお方! これで動けるとは!)

 何とか堪えて魔闘拳士に刃を向けていないのは、相当の自制心が必要だっただろう。


 スッと身を寄せた青髪の美貌が腕を取ると少し闘気が収まったと感じる。

(あの状態で平気だとは、連中は慣れているのか?)

 それはそれで怖ろしい事だと彼女は思った。

(度を遥かに超えていたぞ? あれは人間か?)

 ディムザが張り付いている理由が身に染みて分かる。あれは見極めねばならないあいてだ。


「フィノ、どのくらいで橋が架けられる?」

 声に含まれる感情が重さを感じないだけ、逆に恐ろしく感じる。

「…十呼50秒ください!」

「ごめんね、無理を言って」

 頷きを返すだけに収めて獣人少女は集中に入ったようだ。その前で盾士の大男が大盾を手にして態勢を作っている。何かを始める気らしい。

 ディムザがチラリとモイルレルのほうを見やって、目顔で諫めてくる。自由にやらせろという意味だろうと彼女は了解した。


 六呼30秒ほど経っただろうか、黒瞳の青年がおもむろに右腕で城壁を指す。

「マルチガントレット」

 両腕に腕の太さの三倍近くは有ろうかという丸みを帯びたガントレットが展開された。

 その横では、女剣士が空中に読み取れない文字を描き出している。

「指向拡声魔法よ。解っているわね?」

「おう!」

 小気味良い応えがあると、羽虫が鳴くような音が彼女の耳に届いた。すると、城壁上で剣をこれみよがしにかざしていた男が、糸が切れたようにくずおれる。


 モイルレルには何が起こったのかさっぱり分からなかった。


   ◇      ◇      ◇


(まさか、あの鉄針か? この距離で届くとか言うんじゃないだろうな?)

 城壁を指す魔闘拳士に、ディアンは戦慄を禁じ得ない。もしそうだとしたら、これまでの戦争なんて一瞬で意味を為さないものに変わってしまう。

 しかし、あの破裂音が聞こえる事は無く、微かな振動音を耳が捉えたかと思うと一人の傭兵が狭間の影に消えた。

(何…、だ!?)

 頭を埋め尽くす疑問符に彼は狼狽える。

(鉄針じゃない。鉄針じゃないとすると…)

 その時、もう一つの不明点が脳裏に甦ってきた。

(人体に穴を開けた武装! これがあれか!?)

 ろくに音もせず、視認も出来ず、1ルッツ半1.8kmの距離をものともせず、確実に相手を屠る武装。それが今、自分の前で使われた。

 これが何なのか知り得なければ、魔闘拳士への対抗手段など失われてしまう。


 ディアンは全身全霊を持って耳を傾けた。


   ◇      ◇      ◇


 人質近くに陣取るガッツバイルの傭兵達がばたりばたりと倒れて城壁上の狭間の向こうに消えていく。

(見事なものね。練習の成果が出て良かったわ)

 次々と狙撃していくカイの姿に安堵の目を向ける。



 新型マルチガントレット完成後、すぐにその危険性には気付いていた。大口径、高出力にした光条レーザーは殺傷力が高過ぎる。

 それまで彼は光条レーザーは対魔法士用の牽制として扱ってきたので、照準に関してはそれほど重視していなかった。当てられればいいくらいに思っていたのだが、その殺傷力ではそういう訳にはいかない。不必要に殺害してしまったり、流れ弾で無関係の人まで被害を出してしまう可能性が有るのでは困る。


 元々、光条レーザーは照準を付け易い。直線性が非常に高く用具を使用しない限りは偏光もせず空気散乱も少ない。つまり、正確に狙う事さえ出来れば精密射撃は容易である。

 そして、精密射撃に必要な知識は彼のタブレットPC内に存在した。いわゆる光学照準器がそれである。

 光学照準器は基本、望遠鏡のようにレンズを用いて拡大視野を確保し、事前に調整してある十字などのレティクルを目標に合わせ、狙撃する道具だ。

 望遠鏡ならこの世界にも存在するが、それはあまり性能の良いものではない。遠くをざっくりと確認する程度で、精度までは追求されていない。なぜなら、遠見の魔法が有るからだ。こちらのほうが汎用性が高く、臨機応変な調整も可能。ただ、遠見の魔法を習得している魔法士か、遠見の魔法具を操作出来る魔法士が必要になる。その代替品として簡単な望遠鏡が有るだけなのだ。


 ならば、わざわざ光学照準器を製作せずとも、照準にも遠見の魔法を使えばいい。幸い、カイは光系を得意としている上に、それを記述化・刻印出来る刻印士でもある。

 遠見の魔法は既に刻印記述化されているが、それは使用者の前に拡大視野を投影するものである。それでは照準も付けづらいし、射撃時に視界を遮られるのでは混戦の中での使用は躊躇われる。

 なので、カイは照準用に遠見の魔法をアレンジした。

 まず、遠見の魔法そのものは単純化し、重ね掛けで倍率操作をする形にする。それにより、狙撃距離の長短での倍率調整が楽になる。

 更にその拡大視野そのものを空間投影せず、魔力パルス情報に変換する方式にした。魔力パルスは腕を伝い使用者、この場合カイの視覚野に流れそこで処理されて像を結ぶ。つまりカイは脳内で直接照準器を覗いているような形にしたのだ。これによって通常視野を確保しつつ、照準用拡大視野も同時に手にする事に成功したのである。

 ただその処理にはやはり脳への負担が大きく、慣れも必要だったし操る為の練習も必須だったのだ。


 その練習を乗り越えたカイはもう精密射撃を自分のものとしている。それがここで証明されたのだった。

 現在、右腕のマルチガントレットの光条レーザー発射口の前には、金色に光るリングが延長方向に三つ並んで浮いている。その遠見の魔法の拡大視野により、カイには1ルッツ半1.8km先の目標が、数ルステン数十mくらいの距離に見えて・・・いる。

 この状態であまり激しく腕を振れば酩酊感を覚えるが、僅かにずらしつつ精密射撃を行うのは難しくない。

 訓練の結果、リング一つ分10ルステン120m級の狙撃までは行動しつつも可能で、その上のリング二つ分50ルステン600m級と、リング三つ分100ルステン1200m級の狙撃は不動の状態でしか使用出来ない。



 カイの精密射撃によって、人質周辺に居た十数名の傭兵は狙撃された。しかし、城壁上にはまだ数十名の傭兵が残っている。

 トゥリオが大きく息を吸うと、チャムが指向拡声魔法光述に触れて魔力を送り込んだ。

「逃げろー!」

 トゥリオの声は城壁上に響き渡る。それに反応したのは傭兵達のほう。彼らは背を向けると逃げ始める。しかし、それはチャムとトゥリオの思う壺だ。

 戦い慣れていない人質の女達は身がすくみ、その場にしゃがみ込んでしまう。そうすれば城壁上で立っているのは傭兵のみになった。


 カイは狙撃刻印を解除し、城壁上の空間を光条レーザーで横にひと薙ぎする。その一撃で激しい血飛沫が舞い、全員が倒れ伏したのが見えた。

「フィノ!」

 チャムの掛け声で獣人少女は、ロッドをかざして魔法を発現させる。

大地の角グランドホーン!」


 大きく魔力がうねり、大地が棘を生やす。その棘はぐんぐんと成長し、自重でしなるように城壁に向けて伸びた。

 先端が狭間にぶつかると、防御刻印の効果によって土くれに還る。突き刺さって城壁を破壊は出来ないのだが、それも想定内。


 そこには見事なアーチを描く橋が出来上がっていたのだった。

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