トゥリオとディアン
宿場町の夜の酒場。
約束通り、次の
「それで、何で帝国に舞い戻ったんだ、お前は? メルクトゥーに行ったんじゃなかったのか?」
グラスを傾け、少し強めの蒸留酒をちびりと舐めながらトゥリオは訊く。
「行っちゃみたさ。確かに賑わっていたんだが、どうにも水が合わなくてな」
「ああん? そんな悪いとこじゃなかったろ?」
「それだよ。悪くないってのが困りものでな」
ディアンは大男を指差しながら、贅沢な文句を言い始める。
「言っちゃあなんだが、良いところ過ぎるんだよ。皆が素朴で堅実で、古い文化を一生懸命守りながら幸せそうに暮らしてるんだぜ?」
「それの何が悪い?」
「都会生まれの都会育ちにとったらな、あの善意の投げ合いみたいな感じが居たたまれなくって仕方ない」
天敵だらけで流れの強い川に生まれた魚は、清らかで敵の居ない泉に放たれるとどこに泳いでいけば良いのか分からなくなってしまうらしい。
「俺はどこまで行ってもろくでなしなんだろうな。何か猥雑な感じがするところが無いと息が詰まっちまうんだよ」
「まあ、分からん事は無い。だがよ、ちったぁそういうとこで身を清めてきても良かったんじゃねえのか?」
冗談めかして言うトゥリオに向かって、紫眼の美男子は手を振って見せる。
「止してくれ。そんなとこで浄化されたら俺が俺でなくなってしまうだろ?」
「まあな。そんな自分が好きなんならそれで構わねえな」
笑いながらグラスをカチンと合わせた。
「それでお前はどうしてたんだ?」
メルクトゥーから船に乗って海路を帝国に戻ったと説明したディアンが、今度は赤毛の美丈夫の行動を問う。
「どうしたっつってもな。メナスフットじゃちっとばかり騒がしたが、ウルガンに抜けてホルツレインに一旦戻ったぜ」
「おい! そいつは…」
魔王との戦いをぼかしたつもりのトゥリオだったが、違うところがちゃんとぼかせていない。
「まるで魔境山脈を越えたみたいな言い方するなよ。魂の海を泳いで戻った訳じゃないだろう?」
「いやいや…」
ディアンは、一度死んだ人間が戻ってくる時の比喩を用いて問い掛ける。
「良く見ろ? 実体が有るだろう? 若い身空で死にたくはねえが、命の条理に逆らってまで生きたいと願うほどの未練はねえぞ。ちゃんと南下してから船で戻ったに決まってんじゃねえか?」
「なに、冗談さ、冗談」
トゥリオは背中の汗を悟られないようにするのが精一杯だ。
何か愉快そうな顔をしているディアンに上手な言い訳をしておきたいトゥリオなのだが、そもそもホルムトまで戻ってからまた帝国まで渡って北上してきたとか説明していると、
「しかし、お前な…」
変に掘り下げらえないよう、話を逸らさなければならない。
「こんなとこで騒ぎの中心に居て、家のほうは大丈夫なのか?」
「知れ渡ったりはしないさ。この辺りでは騒がしいだろうが、皇城はこんな地方のごたごたにいつまでもかかずらっちゃいられないってもんだ。もっと重要案件は山ほど転がっている。俺の家も西寄りだから気にしてない」
「なるほどな」
彼の家がどういう位置にあるのかは窺い知れないが、武門でない限りは従軍しても面が割れる事は無いだろうとトゥリオは思う。
「まあ、見捨てられていないだけ有難いと思っとけよ」
「ん? もうとうに居ない事にされているかもしれないぜ?」
「馬鹿な事言うな」
カウンターに肘を突いて向き直ると、彼は真摯な表情で諭すように語り掛ける。
「親兄弟ってのは、どんな奴でもどんな事があっても、血を分けた相手の事をそう簡単に忘れられるもんじゃねえんだぞ?」
「ああ、解ってる」
雰囲気を変えたいディアンが他愛もない話を始めて、その夜は更けていった。
◇ ◇ ◇
(色々有ったのかもしれないが、こいつはとんだ甘ちゃんだな)
先
第三皇子としての彼、ディムザは肉親の情になど触れた事が無い。
帝国の皇族は、常に血を血で洗う抗争の歴史を繰り返している。それは或る
帝国では、次の玉座に座るのは皇帝の長子とは決まっていない。一人の男子しか生まれなかった場合を除き、嫡出男子の内の最も帝国に対して貢献度が高かった皇子を皇帝が判断し、一応の承認を経て皇太子に任じられるのである。
この為、皇子達は生まれた時から玉座に向かっての競争を強いられるのである。辞退も可能だし、何もしないで事実上の辞退をする事も可能だが、実際には本人がどう思っていようが周囲はそう簡単に許してはくれない。
この仕組みでは、男子を生んだ正妃であればその順番に関係なく皇后になる権利を有するのである。
妃の実家はもちろん、その親類までもが皇子の支援を始める。当たり前だ。次代の至高の座に在る者との血縁があれば、どれだけの権勢を誇れる事か。その実現の為に誰もが血眼になったとしても不思議では無かろう。
無論、嫡出長子継承に於いても同様の現象は起こり得る。つまり長子であればよいのだから、年嵩の順に消えてしまえば順番が回ってくるのだから。
しかし、そういった暗闘の醜さに於いて劣る事があっても、競争が激化するのは否めない。帝国への貢献という、実に多岐に及ぶ条件が課せられるからだ。
貢献には様々な形がある。分かり易いところでは武勲が有るし、政策提起による国政に於ける手柄も有るだろう。時には軍事技術の発明や、有望鉱山の発見なども数に挙げられる。珍しいところでは、対立国家の都市に秘密裏に金銭的支援を行い、最終的に帰順させて国境を動かした例などもある。
それらの貢献を積み上げて、良い成績を残した皇子が立太子の栄に与かり、次代の皇帝になるのだ。
更に言えば、当代の皇帝の好みも関与してくるのだから難しい。例えば、戦場に於いて武威を誇り、より多くの敵兵の首を取った皇子が居たとしても、皇帝が「それは当然の事」と言ってしまえばそれは貢献度として挙げられないのだ。歴史上には、そういった皇帝も実在しており、その次代には文に秀で、多くの新政策を披露してきた皇子が玉座を勝ち得ている。
そう考えれば一芸に秀でた皇子よりは、多能な皇子のほうが親戚筋の支援もやり易かったりもするのだった。
その点で、ディムザの母やその親戚は非常にやり易い状況にある。
彼は
当代の皇帝は、裏工作という彼の分かり難い手柄にも理解を示し、その結果にも満足しているという。時流にも恵まれた第三皇子は順風満帆といった状況を見せていたのだ。
そのディムザに土が付く。
中隔地方進出の初手を挫かれたのがそれだ。中隔地方の現状を読み切り、相応の時間を掛けて準備したメルクトゥー攻略が完全に頓挫した。それは大きな痛手だった。
極めて大きな影響を与えたのが、魔闘拳士という一人の男によるものなのが彼には苛立たしい。その失地を取り戻さねば溜飲は下がらない。
だから十分に警戒して今回は事に当たっている。それにはこの隣の男にも利用価値がありそうだ。
(今回は俺の役に立ってもらうぞ、魔闘拳士)
ディムザはそう画策しているのだった。
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