ジャルファンダル王国

 一軒の料理店にお邪魔し、チャムとフィノに着替えをさせてくれるようにお願いする。奥方が出てきて快く請け負ってくれるが、カイとトゥリオも着替えるように命じられた。

「そこまでご迷惑を掛ける訳には…」

 青年が遠慮しようとすると、奥方は腰に手を当てて説教を始める。

「何を言うんだい! そんな血に汚れたままで入られるほうが迷惑だよ! そもそもあんた達のお陰でこうして無事でいられるんだ! あたしに不義理をさせないでおくれ!」

 濡れ手巾でも使って、血を拭おうとしていた彼らは呆気にとられる。

 案内された部屋に桶だとか湯だとかを出されながら、更にその話は続いた。曰わく、彼女には二十連れ添った旦那と、十六の娘を筆頭に二男三女が居るそうだ。その皆が今、生きて無事を喜び合えるのは、彼らの働き有ってこそだと主張する。


 そう言われると報われる気がする。無法を許せなくて、住民を救いたくてやった事でも、時には怖れられてしまうのも少なくないし仕方ないとも思っている。

 それをこうして態度で感謝を表されると、何とも言えぬ暖かさで胸が包まれるような気分になるのだった。


   ◇      ◇      ◇


「はあ、ひと心地ついたわ。ありがとね、おばちゃん」

 口調は雑だが、彼女の感謝の気持ちは深い。


 湯で身体を拭いて清め、長い青髪も拭ったらしいチャムが濡れ髪を押さえながら姿を現す。得も言われぬ色気が漂いカイの目が釘付けになっているが、上には上が居るものだ。

 胸装ブレストアーマーも外し、濡れて色艶と巻き具合を増した茶色の髪に布を当てながら、頬を上気させたフィノが出てくると、トゥリオだけでなく新顔の帝国人までがごくりと唾を飲む。それほどまでに艶っぽい空気を放っていた。


「おい、トゥリオ! お前のところの獣娘ちゃんは何者だ? これは尋常じゃないぞ?」

 囁きかけるディアンに、赤毛の美丈夫は溜息を吐きつつ肩を竦める。

「なあ、これが血統だって言ったらお前さん、どう思う?」

「何だって? 嘘だろ?」

「あの娘の母親はもっと強烈だ。近くに居るだけで頭がクラクラする」

「…マジか」

 奥方にもらった冷たい飲み物を口にしていたフィノが、注目を浴びていると気付いてあたふたする。

「どうしたんですかぁ?」

「いや、何でもねえ」

「世の中は広いって話をしていただけさ」

「馬鹿話ばかりしていないで、何が起こっているのか説明なさい!」

 チャムに指を突き付けられた二人は降参のポーズ。


「まあまあ、チャム。とりあえず腰掛けて落ち着きなよ」

 カイがコップに飲み物を注いで置き隣の椅子を引けば、彼女は大人しくそこに納まる。

「あなたがそう言うのなら」

「それに教えて欲しいんだ。ジャルファンダル王国って国の事」

「その前にまず腹ごしらえするんだよ」

 奥方が頼んでもいない料理を並べ始める。止める間もなくどんどん並んでいき、テーブルがいっぱいになった。

「じゃあ、遠慮なく」


 これ以上の遠慮は失礼に感じ、彼は満面の笑みで礼を言った。


   ◇      ◇      ◇


 ジャルファンダル王国は、先にフィノが言ったように島国である。

 カシューナッツのような形をした、850ルッツほど千km余りの外周を持つ島全体を領土としている。面積としては日本の五分の一にも満たない小さな島なのに、大陸の各国に注目されているのには理由がある。

 ジャルファンダルには貴重な産品が有るからだ。


 それはこの国の地形に起因している。

 ジャルファンダル島は火山島ではなく、海嶺が隆起し海上に現れた後に長い時間を掛けて、風雨や潮の満ち引きの侵食を受けて削られつつ出来た島である。その為に地上部分の島本体は海嶺内部に有った岩盤が露出したもので、周囲は侵食によって削られ流された遠浅の海が大きく広がっている。

 気候的には亜熱帯に属し、西方密林地帯のように平均して一日に一度は豪雨スコールが降る。海洋プランクトンの死骸が堆積した海嶺表土の海底に、雨の侵食で発生した土砂が流れ込んで攪拌され、地味ちみの肥えた干潟が形成される。そこには多様性を持つ海洋動植物の楽園が出来上がった。


 海岸線の八割以上を干潟で囲まれたジャルファンダル島の外周は、他の地域では見られない光景が広がっている。そこはマングローブの楽園でもあるのだ。

 マングローブは植物の種類を表すのではない。海底に根を下ろし本体を海上に置く草木類の総称である。汽水域でなければいけない種もあるが、潮の満ち干で海底が露出すれば繁茂可能な種もある。

 ジャルファンダルで見られるのは後者であり、しかも多種多様な環境が出来上がっているのだ。この世界ではかなり多種のマングローブが確認されており、その多くがジャルファンダルの干潟の固有種という調査結果が出ている。

 果実をつける種も幾つかあって住民の口を潤しているのだが、それが産品と呼べるほどの収穫は無い。産品となっているのは異なる種のマングローブなのだ。


 それは巨木となる何種類かのマングローブである。

 干潟に見事な板根を張るそのマングローブは、高いものでは4ルステン48mにもなる。その巨木種でも成長には淡水を必要とするものの、海水に対する耐性が高いのは確かである。

 普通の木材でも海水による腐食防止は行われるが、このマングローブ材ほどの耐腐食性はない。更に、自重を支える地盤が軟弱でも耐えられるように比重は低く進化しているのに堅いのである。

 それはこの巨木種の特性に拠るものだ。海水を吸い上げて脱塩し利用する為に、有害な塩分を遠ざけるよう導管は樹皮近くに集中している。なので心材は密度が高く堅くなって、樹高が上がっても自立出来る組織構造に変化し、適応している。

 拠って、樹皮を剥ぎ外側を幾分か削れば、極めて優秀な木材が取れるのだった。


 この木材が最も有用なのは、船舶建材として利用した時である。

 堅い為に薄く加工しても十分な強度を保持し、軽い為に浮力を得やすく、そして耐腐食性が極めて高い。大きな一枚板も数多く採れ、大型軍船の建造にも向いている。ジャルファンダル王国は、各国が喉から手が出るほど欲しがるこの申し分ない建材の産出を盾に、大陸列強とも渡り合ってきたのである。

 時に輸出量調整をし、時に単価調整をして、どこの国にも加担しないよう巧みな外交を展開して国体を保ってきた。


 逆にそれしか出来なかったというのも一面真実ではある。

 狭い国土は多くの国民を養う事は出来ず、その少ない国民もかなりの割合でマングローブ林業に従事している状態なのだ。

 自給自足できる食料は非常に少なく、ほとんどを輸入に頼っているのが現状。その代りにお家芸とも言える船舶技術は充実しており、交易には力を入れて豊かな生活と富んだ国庫を保持していた。

 対海賊対策として海軍もしっかりとした備えをしており、安定した交易の確保に力を入れている。


 小さな島国が、国際情勢の中で生き残って来られたのはそう言った理由からであった。


   ◇      ◇      ◇


「ジャルファンダル王国の事情はだいたいこんな感じ。ずいぶん前の話にはなるけど一度渡った事が有るの。船から見たあの国の風景はなかなか見物よ。だって、海の上にいきなりドーンって巨木が生えていて陸地が見えないんですもの」

 料理に手を伸ばしつつ、チャムの語ったその島国の成り立ちと様子は相当特殊なものに思えた。

「それは壮観だね?」

「それだけにあの国が戦争を仕掛けるなんて非常に考え難いわ。完全に貿易立国なのよ。他国に喧嘩を吹っ掛けて生き延びられる訳が無いじゃない」


 理解出来ない状況に、彼女はしきりに首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る