人の世と

 地上ではよちよちとしか歩けない仔竜だが、空の住人であるだけあって舞い上がると実に速く上昇してきた。


 金竜ライゼルバナクトシールの手の平の上にいるカイに気付くと、その背後に降り立ち翼を広げて包み込むようにする。

【ととさま、カイにいたくしちゃだめー】

「テュルムルライゼンテールよ」

 金竜の呼び掛けには笑いの成分が混じる。

「それでは通じぬぞ。父の真似をせよ」

「…こーうー?」

 父竜の構成を読んだティムルは即座に模倣して、風魔法で空気を震わせて言葉を紡ぐ。

「良い。それでこの人の子にも通じよう」

「できたー! あーれー? ととさまとカイ、なかよしー?」

 魔法に関してはほぼ即座に習得出来るのは、ドラゴンの特性のお陰だろう。

「待たせたから心配しちゃった? ごめんね。お父さんと色々話し込んでいたんだよ」

「うん、へいきー。ととさまとなかよし、ぼく、うれしいもん」

「うむ、良き出会いであったな、息子よ」

 全く不機嫌ではない、むしろ機嫌が良さそうに見える父にティムルは安心したようだった。


「人の世は苦難であったか? 我が子よ」

 金竜は親の顔を見せて問い掛ける。

「さいしょはこわかったけど、おもしろかったー。にんげん、すごいねー。あんなにいろんなものつくれるんだー。とってもおいしかったよー」

 不幸な事故に遭った仔竜だが、地上での経験は彼に様々な感慨を抱かせるようで、父親に捲し立てるように語って聞かせている。基本的な感想が「美味しい」なのがいささか問題だとはカイも思ったが。少々、舌で釣り過ぎたかと思う。

「学ぶところは多かったようだな。重畳である」

「おやまもきらいじゃないけど、にんげんのほうがいろいろもってるー」

「お前が感じた通りであろう。人の子も様々だ。此度は不運だったが、今後は気を付ければ良いと知っただろう?」

 地上に降り立つ時にどう注意すればよいか身をもって経験出来た。

「うん!」

「それに人は貴方達ドラゴンに不用意に触れる愚を学んだでしょう」

 素直に頷き返すティムルに、カイは偶然の騒動も今後の糧に出来たと安心する。

「そう願いたいものだが…」

「少し距離を置き過ぎたのかもしれませんね」

 仔竜を背に張り付けたまま、青年は思案を口にする。


 ドラゴン達の方針は大きく間違っていないと感じる。確かに必要以上の関わりは無用の騒乱の基になるだろう。

 ただ、人間に限らず、生き物というのには好奇心がある。あまりに知らないものには近付いて行ってしまう傾向は否めない。

 ドラゴンに神秘性を感じてしまったからこそ、見世物興行主はそれが利益に繋がると考えたのだ。大き過ぎる距離感が、恐怖を押し退けたのである。


「なるほど。解らぬでもないな」

 カイの展開した理屈に、金竜は納得の意を示す。

「これからは少し姿を見せてみてはいかがです? 貴方がその威容を見せつけるだけであのように人々は恐怖します。その上で幾らか言葉を投げてみれば、それが畏れに繋がるのではないかと?」

「其の方の言う通りであろう。だが、加減が難しそうではあるな」


 その意図は違うところにあるとは言え、方法としては神々のやり方に似ていると金竜は言う。それを続けると、もしかしたら今度はドラゴン信奉者が現れてきてしまう可能性が捨てきれない。逆に不必要に距離を詰めようとしてくる者達の出現は本意ではないと語る。


「それこそ上手に導けば良いでしょう? ドラゴンには十分な叡智が備わっていると思いますが」

 窺がうような黒瞳に、金竜は口の端を歪めて見せる。

「言うてくれるな。一考しよう。緑竜がそれに近い事をやっていると聞いておるしな」

「良好な関係が出来上がると良いですね?」

「なかよし、たのしーね。いろんなこと、あるかなー?」

「有るよ、きっと」


「人の子、カイよ」

 黒髪に頬ずりする息子を眺めつつ父竜は重々しく空気を震わせる。

「我が子はまだ学ばねばならぬことが多い。時折り、其の方の元へ送りたい。面倒を見てやってくれぬか?」

「僕がですか? ただの人間にそれは重荷ですよ?」

「ただの人間と言うか?」

「ねー、カイはにんげんじゃないよねー?」

 彼らの視覚には、青年は普通に映っていないらしい。確かに出会った時のティムルも訝しげにしていたのを思い出す。

「儘ならないものですねぇ」

 それが仔竜が彼に簡単に馴染んだ一因かもしれないと思えば、良かったのか悪かったのかは明言出来ない。


「頼むぞ、界渡りの若者よ」


   ◇      ◇      ◇


「ふぅ、何とか帰ってくるみたいね」

 空に浮かぶ金色の巨竜から何かが飛び立つのを認めたチャム。

 そのまま降りてくるかと思いきや、二つの点はクルクルと宙を舞い踊りながら飛び回りつつ高度を下げてくる。

「きゃははは、たのしー!」

 声の届く距離には少し遠いと思えるが、そんな声が聞こえてくる。

(ん? 竜体のまましゃべっているじゃない、あの子)

 空の上では色々な事が起こったようである。


 見上げる人々の上空に達すると黒瞳の青年は停止した。

 彼の背中では「ヒュオオォ――――!」と飛行装置フライトユニットが唸りを上げていて、それをクチバシを開けたままポカーンと眺めるパープルの姿が印象的だ。

「皆さん! 今回の事は金竜殿のご厚意で水に流していただける事になりました!」

 群衆を見回しながらカイは言葉を投げかける。

「ただし、今回は・・・です! 今後、類似の事が起きればこの辺りは火の海になったとしても何ら不思議はありません! その事を良く心に留めておくようお勧めします!」

 その脅しは、ディンクス・ローの市民の心胆を寒からしめるに十分な効果が有った筈である。瞠目した市民達はぶるりと身を震わせ、互いに目を見合わせる。

「あくまでご厚意に拠るものだというのをくれぐれも忘れずに! では」

 仲間に目配せを送ると、彼は再び金竜の居る北方向へ飛び去るのだった。


「面倒な事になる前に逃げるわよ」

 チャムの囁きに、トゥリオとフィノは承知しているとばかりにセネル鳥せねるちょうに跳び乗る。阿吽の呼吸で、四羽は避難で人気の無くなった北大通りを駆け抜けていった。


   ◇      ◇      ◇


 がりごりごりがりごりがり…。


 紫色のセネル鳥は、カイの背中から伸びる噴射棒を齧り続けている。

「止めてもらっても良いかな、パープル?」

「がりごり…」

「いや、飛べるのを言っていなかったのは謝るから。別に隠していたつもりもないし、君達をなおざりにした訳じゃないんだよ」

 苦笑いしつつ彼は説得に掛かる。

「これで飛ぶのはすごく魔力消費が激しいんだ。とても長旅に使えるような代物じゃなくてさ、本当に君達だけが頼りなんだよ。そうじゃなきゃ、東方を巡るなんて十単位で歩く覚悟が必要になってくるんだから」

「キュー…?」

「パープル達が頑張ってくれると思ったから、この旅を続けていられるんだ。感謝しているよ」

「キュキュイ!」

「わかったってー」

 今陽きょうは通訳付きなので、話が早い。


「帰っちゃうのですよねぇ?」

 主に食欲的な意味で共感を得られていたフィノは寂しそうである。

「うん、かかさま、しんぱいしてるー。ごめんねー」

「はい、お母様を安心させてあげてくださいですぅ」

 ティムルの首に抱きつきつつ、彼女は優しい笑顔を浮かべた。


「全部持っていっていいよ」

 カイの差し出すお菓子の袋を、仔竜は全て『倉庫』に格納していく。

「フィノのも全部あげますぅ」

「いいのー? ありがとー」

「また買えばいいのですからぁ」

 ティムルは遠慮無く受け取っていった。

「大事に食べるのよ?」

「うん!」

 そうそう手に入るものではないと思って、チャムは親心を働かせる。

「なくなるまでにまたくるねー」

「また!?」

 皆がギョッとして仔竜を凝視する。

「いやぁ、頼まれちゃってさ」

「あなたって人はもう…」


 しばしの別れを交わした冒険者達は、父の元に飛び去るティムルを見送った。

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