畏れるべき存在

「あれは巫女か?」

 地上を睥睨するライゼルバナクトシールが問う。チャムを指して言っているのは過去の経験から分かる。

「本人はまだ明かす気は無いようですが、そう呼ばれているようですね」

「あれをそう呼ぶ者は多くは無かろう?」

 瞳がスルリと動き、巨大な頭部がこちらを向く様を見ていると不思議な気分になる。それが音も無く動くのについ違和感を覚えてしまうのだ。

 そんな違和感が、相手が生物である事を再確認させる。

「魔王と名乗っていましたが?」

「『黒き神殿の王』か。それなら話は分かる。関りが有るからな」

 空気の響きに納得の色が混ざる。

「其の方、黒き王と会うて良く生きてここに居るな?」

「残念ながら物別れに終わってしまって。隠棲を勧めたのですが、聞き分けていただけませんでしたので滅してしまいました」

「ほう? 魔の気配が薄れたのは其の方の仕業か?」

 魔王の存在は知っていても、繋がりは皆無のようだ。しばらく前の事になるのに金竜の耳には入っていないらしい。完全に世俗との関りを絶ち切って暮らしているのだろう。

「彼奴はそういうものなのだよ。あれは…、結晶だ。自らを形作るものからは逃れられん運命にある」

 しみじみと語るドラゴンの目には憂いのようなものが感じられた。



(巫女、か…)

 カイの意識の上ではそう変換されているが、その単語が彼の知る概念上の立場に当るのかは確認した事が無い。


 神に仕え、神に捧げられ、祈念を行う女性を指す。そういった立場であるのなら、或る程度は束縛される筈だ。そんな素振りは見た事が無く、大願に従い邁進しているように見える。

 では、神託を授かり、それを伝える器とされているのか? 彼女やフィノの語った神使の使命はそれに類するように思える。その方向性での繋がりがあると考えるべきであろう。

 だが、そこに大願の入り込む余地があるのだろうか? それとは別のところに目的があるような気がする。


「神…」

 思考に沈むカイからは自然と言葉が漏れてしまう。

「気になるか?」

「僕は口に出していましたか?」

 普段はそんな迂闊な事などしない彼だが、世界に深く関わっている巨大な存在の横に在り、そしてかけがえのない大切な想い人の事となると隙も出来てしまうものらしい。

「ふっ、巫女を枷にして其の方を動かしているのかと思うておったが、どうやら違うようだ」

「彼女の為に動いてはいますが、決して縛られている訳ではありません」

「ならば言っておこう。あれは碌なものではないぞ?」

 神を捕まえて、極めて不遜な物言いではあるが、確かにそれだけの力は有るだろうとカイは思う。

「やはり存在するのですか?」

「うむ、我らに干渉しては来ぬが、旧知であるのは違いない」

 そこに含まれる意味に、彼は軽い驚きを覚える。


 カイの感覚に於いて神は存在しない。

 理解はしている。それは一般的に言えば偶像や象徴として人々の中に存在する。

 人は生きる上での苦しみや悲しみを、全て己が行動の結果として受け入れるのは辛いと感じる。それを誰かが与えたものだと思いたいのだ。

 絶対なる存在が苦しみや悲しみ、楽しみや救いを与え、それによって人を量っているのだと考える。絶対者の思惑によって与えらえたものならば、人の身では回避しようがない。そしてそれを乗り越えた先に楽園を見れば、今は耐えられるのである。

 彼の考える神は、謂わば方便・・なのだ。


 しかし、この世界で宗教に触れたカイは、そこに異なる感覚を得る。妙に生々しいのである。

 人々は如何にもそこに神が在るように語り、その奇跡を当然のように受け入れる。その意を受け取り、行動の指針とする。現実に、勇者のように賜り物を授かる者まで出て来てしまう。

 これはカイの感覚を揺るがすに十分な証拠になる。


 これまで否定は出来なかった存在を一言のもとに証明されたのでは、彼も苦いながらも認めざるを得ない。


「あれは世界のかなめたろうと欲する存在ものだ。人の子を導くと共に世界をも導こうとしている。竜種われらの志向とは相容れぬ考えを持っている」

 金竜は、その思想の正否を問い質そうとしているのではなさそうだ。ただ、現実を受け入れ、非干渉を貫こうとしているように見える。

「そうなのですか」

「関わらぬほうが良かろう。だが、巫女と共に在ろうとするなら、関わらざるを得ないかもしれぬな?」

 それでなくとも、あまり良い印象は抱かれていないと感じている。触らぬ何とかに祟りなしだ。

「僕も貴方のように超然と在りたい。でも、人の世に未練があるのです。お恥ずかしながら情けない男なのです」

「それは人の性であろう? 失えば其の方は人で在れなくなるぞ? それは望まぬ未来なのではないか?」

「心に刻んでおきます」

 大いなる存在の忠告は、カイに何らかの変化を与えるかもしれない。


「むう、姿を現わしてしまったか?」

 空間を伝わった大きな魔力のうねりで、カイも何があったのか薄々感じる。

「地上に居る間は、人の姿を保つように言い聞かせておいたのですが?」

「何か思うところが有ったのだろう。何にせよ、そのままにとはいくまいな」


 ライゼルバナクトシールはその目を地上の騒乱に向けた。


   ◇      ◇      ◇


 不安はあったが身動き出来なかった。

 通りには人が溢れ、そこに分け入るのは躊躇われる。彼らは主人から、自衛目的以外で人間を傷付けないようお願い・・・されている。命じれば良いものを、お願いされたのでは絶対に逆らえなどしない。


 じりじりしながらも待機していると、人の流れに少し変化が見える。多少は落ち着きを見せ始めた。

「キュラル!」

「キュリリ」

「キュ!」

「キューイ!」

 パープルが号令を掛けると応えが有り、皆で一斉に動き出した。


 普段なら属性セネルである彼らだけで行動していれば、良からぬ目で見られる事が多い。大概の人間は、騎乗具を着けているのだから誰かの持ち物だと認識するのだが、捕らえて売り払おうと企む人間も中には存在する。そういう輩には蹴爪しゅうそうをお見舞いするだけだ。よほど当たり所が悪くなければ死んだりはしない筈である。

 しかし、今は混乱の中で彼らセネル鳥せねるちょうに見向きする者は居ないようで、パープル達は人の波を掻き分けながら、主人の姿を求めて駆け出した。


 こういう場合、彼らの主人は騒ぎの中心近くにいる事が多い。人の流れに逆らっていけば、大抵は辿り着けると経験的に知っている。

 大通りを駆けて中央近くの広い空間に出ると、人だかりが出来ている。よく見ると人垣の向こうに、ドラゴンの仔の頭が見えた。

 人化したままでいる事を教えられていたはずだが、何らかの騒動が起こったという事だろう。

 もっとも、この騒動の原因は、あの空に浮かぶ巨大な金色のドラゴンである事は間違いないだろうが。


「キュルー!」

 ひと声鳴いて注意を引くと、人垣が割れた。突進してくるセネル鳥の姿を見て恐怖に駆られたのだろう。

「あら? 来てくれたの? 心配した? ありがとう」

「キュルキューイ!」

 敬愛する乗り手に労られたブルーは喜びの声を上げている。


【ととさまがよんでるー。いかなきゃー】

 仔竜がそう言っているが、彼らの乗り手達には「グルグル」と唸っているようにしか聞こえないだろう。

「あ! 行っちゃったわ」

 そうしているうちに仔竜はおそらく親であろう金竜の所へ飛び立っていった。


「あー、カイならあそこに居るわよ」

 主人の姿が見えないので、パープルが忙しなく見回しているとチャムが教えてくれる。

 指さす先は空の上。どうやらあのドラゴンの所らしい。彼の主人は、相手がドラゴンでさえ簡単にさらわれたりはしない筈だが?


 パープルには何が何だか解らなかった。

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