空の上

 破格の魔力量を誇る存在の前では、それが魔法による効果なのかは判然としない。しかし、黒瞳の青年では腹の足しにもならないであろう巨大な口が動いていないところを見ると、直接空気を震わせる魔法で言葉を紡いでいるのであろうと予想は可能だ。


「聞き入れてはいただけませんか?」

 意図的に強い落胆を込めて、再び問い掛ける。

「我らは畏怖されねばならぬ。それが生きる術だ」

「生きる術?」

 そこに込められた意味にカイは何かを見出し、喜びに少し顔を綻ばせる。


 それはつまり、彼らドラゴンは人を交わらない事で共存が可能だと考えているという意味だ。

 竜種が強大であるのは言うまでもない。その存在が災厄と呼ばれ、天災と同格に扱われるほどの力であるのは誰も否めない。それ故に近しく在ってはならないと考えているのであろう。交流は闘争の種でしかないと。


「接触の果てにあるものを敬遠していると思って宜しいですか?」

 少し力を抜いたカイはその真意に踏み出す。

「我が思う未来が、其の方と同じならばそうだ」

「僕は…」

 彼は金竜が想像している未来を読み解こうと口を開く。


 竜種からすれば、遥かに脆弱な人類種との付き合いは、或る意味それそのものが譲歩と感じる。そして、それを不健全と思う知性が対等へと導こうとするだろう。

 人類種は明らかに劣等種と知りながらも、ただへりくだるを善しとせず、知性持つ者同士として背伸びをしてでも対等を望み、実践しようとするだろう。

 その譲歩と背伸びから摩擦が生じ、軋轢へと変わっていく。

 竜種の傲慢と人類種の増長が交錯した時、決裂が訪れ取り返しの付かない闘争の歴史が刻まれていくと予想される。


「あなた方ドラゴンは人を怖れたりはしないでしょう。ただ、人の数と創造力は厄介だと考えている。敗れる事は無くても、泥沼の戦況に種が消耗するのを怖れているのではないかと?」

 聞きようによっては挑発とも思える内容だが、青年に隔意はない。包み隠さず向き合おうという姿勢が言わせた言葉だ。

「そうと知ってどうする? どちらにも利の無い結果しか生まぬであろう?」

「おっしゃる通りです。そこに建設的な未来が描けるほど、僕も楽天的ではありません」

「では、不用意に踏み越えた其の方らの罪を認めよ」

 慎重に進めなければならないところだ。答え如何で判定が下ってしまい兼ねない。

「一度で構いません」

「この上に望むか?」

「はい。どうかこのひと度だけ強者の寛大さをお示しください」

 巨竜の鼻先数百メックの所まで迫ったカイの請願には強い意志の響きが含まれている。

「僕は人の世の常識を変える力など持ち得ません。人類は今もこの先もあなた方を脅威と考えるでしょうし、それだけに興味の対象ともなるでしょう。もし、また似たような事が有れば、我慢など望むべくもありません」

「その時は諦めて見過ごすと言うか?」

「いえ、協力させていただきます。人は罪を知らなくてはならない」

 その過激な発想に、初めて金竜の表情が動いた。

「ほう?」

 その空気の響きに興味の色が混じる。


「人を裁くか? 『理の外側に佇む者』よ」


   ◇      ◇      ◇


 ドラゴンの接近が収まった事で、人々の恐慌は少しずつではあるが収束に向かいつつあった。今のうちに逃げ出そうという者は後を絶たないが、身体を震わせながらも空を見上げる者も出始めている。


「あんた達は逃げないの?」

 硬直は解けたものの、動揺が彼らを捕らえて放さないと見える。どういう方法で彼らの位置を突き止めたのかは判然としないが、ドラゴンを呼び込んでしまったのは自分達だという意識はあるのだろう。

「に、逃げるに決まっているじゃないか! おい! 行くぞ!」

 口火を切ったのは見世物興行主である。

「うるせえ! 逃げたきゃ逃げろ! あのドラゴンはどこまでも追ってくるだろうがな!」

「恐ろしい事言うな!」

 足が竦んで一人では逃げ出せない興行主は、虚勢を張る元気も無い。彼を見下すように視線を送ったブラックメダル冒険者だが、空へまたチャム達へと忙しなく目を配っている。罪の意識と恐怖が混然一体となって、身動き出来ないのだろうとチャムは思った。

「ふん! まだ私達とやろうっての?」

「……」

 上手い言い訳が思い付かないのか、口元を歪めるに留まっている。

「私だって、こうして黒いメダルをぶら下げているけど、ドラゴンの鼻先に飛び込む勇気の持ち合わせなんてどこにも無いわ。それでもまだ彼に喧嘩を吹っ掛けようって訳?」

「…なあ、あいつ、食われちまったんじゃないのか?」

「そんな訳無いでしょ?」

 彼らに逃げ出す口実を与えてやろうとしたのだが、乗って来ないのが不思議だ。一応はブラックメダルに見合う胆力と覇気くらいは持っているという事か?

「あの人は自分に出来る事と出来ない事を良く知っているわ。逃げ時を間違ったりはしないから」


 そう言い放ったチャムの緑眼も僅かな不安に揺れていた。


   ◇      ◇      ◇


 緊張感は拭えないが、一度も一触即発という空気にならないのをカイは不審に感じていた。

 

「そんなものまで視えるとおっしゃるのですね?」

 理由の一つが判明したように感じた彼は問い掛ける。

「うむ、視える。我には其の方が、僅かにこの世界とズレて存在しているように視えている」

 巨大な目蓋がスルリと動き、目を細めるようにしてカイを見据える。

「その目には世界の理が映っておるのであろうな? 『界渡りかいわたり』よ。我はどのように視えておる?」

「まるで固有形態形成場…、世界の理で形成された純粋なる魔力塊のように視えます。生物というよりはむしろ魔法に近い」

 決して退く事をしないという決意の表れのように外さなかった視線を、思考が邪魔して彷徨わせる。

「それでいて質量は伴っている。普通の進化系からは著しく外れているとしか思えません」

「ふっ」

 笑みの気配が伝わってきた事に、カイは少なからず驚きを感じた。


「来い」

 全体から見れば不釣り合いとは言え、あまりに巨大な前肢が差し出され、手の平を上向きに開かれる。

「もっと語らえ。我は其の方を知らねばならん。その絡繰りは少々けたたましい」

 飛行装置フライトユニットの噴射音は、風に攫われていって会話の大きな支障にはならないが耳障りだったらしい。

(これは試しだ)

 カイはそう思う。

 ドラゴンに手の平に乗れば握り潰す事など造作も無い。カイに敵対意思が無い事を示せと言っているのだ。

「では失礼します」

 大胆な訳でも無神経な訳でもない。それをしなければ始まらないなら、彼は躊躇ったりはしない。

「柔らかい…」

 舞い降りて飛行装置フライトユニットを停止させると、滑らかな皮膚に微かに足が沈むような感触が伝わってきた。

「軽いのう、其の方は?」

「ご覧の通り、ちっぽけな存在です」

「その身体にどれほどの力を秘めておるのか?」

 向けられる頭部が傾げられたように見えた。

「我を倒せるのであろう?」

「……」

 いきなり即答出来ないような問いが降り掛かってくる。


「…出来ます」

 一つ大きく息を吐いてからカイは答えた。

 光子魚雷フォトントーピードの最大出力でなら焼き尽せるだろう。神々の領域ラグナブースターを起動させれば時間は掛かろうが可能だと思える。思考に上らせるのも躊躇いたくなるような方法も幾つか脳裏をよぎる。

「では、なぜ倒さぬ?」

「あなたには全く落ち度が無いからです」

 これは実に簡単な質問だ。カイは心にあるままの答えを返すだけで良かった。


 これまでに増して厳かに空気が震える。


「我は金竜ライゼルバナクトシール。空を統べる者の一つである」

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