災厄、飛来

「ど、どうしてこんなところに!?」

 愕然と見上げる者達の口からはそんな台詞が零れ出てくる。

「どうしたもこうしたも無いでしょ!? 恨みを買っているとしたらあんた達のほうじゃない?」

「でも、まさか…」

「だから、まさかはあんた達だって言ってるの! 私だって、ドラゴンに喧嘩売る馬鹿を見るのは初めてだわ!」

 やっと自分達の愚行に気付いたようだが、硬直が解けるには今しばらく時間が必要なようだ。


 ディンクス・ローの街は恐慌状態に陥った。

 大都市の防護には遠く及ばないにしても、この街にも低いながら街壁が存在する。魔獣の群れくらいなら退けられるそれも、相手がドラゴンであれば積木細工と同列である。

 いち早く気付いた者の叫び声に端を発し、大概の者がまずは住居の中に逃げ込もうとする。そして、籠った瞬間に考えるのだ。その行為にどれだけの意味があるのかと。

 次に取るものもとりあえず逃げ出そうと考える。強欲な者は財貨を手に逃げようとするが、許される猶予はその程度が限界であろう。家財を持ち出せるほど、空から飛び来る災厄は鈍重ではないと分かるからだ。


 通りを埋め尽くす阿鼻叫喚の渦から、噴水広場は孤立していた。

 樹々が乱立し、舗装もされていないそこは逃げ道には向いておらず、周囲を巡る通りに人々は活路を見出している。

「おい! 逃げねえのか?」

 響き渡る悲鳴と怒号の中、トゥリオは腰を落としてどちらにでも動ける姿勢を取っている。

「普通は逃げるわよね?」

「逃げ切れる気がしないのですぅ…」


 フィノの感想が全てを物語っていると言っていい。誰もまともには認識できていないのだ。

 まず、距離感が完全に狂ってしまっている。飛来する巨体が徐々に大きくなっている事で近付いてきているのは理解出来る。しかし、目で見て感じる彼我の距離と、その大きさが合致しない。


「あれ、もしかしてディンクス・ローよりも大きい?」


 それは誤認である。

 都市ほどの規模ではないとは言え、緩やかな楕円形をしたディンクス・ローは長辺が100ルステン1.2kmはある。そこまで大きい筈はない。

 しかし、その存在感と醸し出す圧力がそう感じさせているだけだ。


「幾ら何でもそこまで大きくはなさそうだよ? 10ルステン120mよりは大きいだろうけど、20ルステン240mは無いんじゃないかな?」

 目をすがめるようにしているカイが訂正する。

 ジャンボ機などの航空機を見た事のある彼だから、多少は目算が利いたのかもしれない。

 だが、ルステンは生物に適用する単位ではない。主に土地の広さや山の高さなど、メックで表すには数字が大きくなり過ぎる時に用いる為に生まれたものだ。

10ルステン120mもあれば十分大きいですぅ!」

「まあ、フィノの言う通りよね」

「だよな」

 黒瞳の青年の生み出す空気に我に立ち返ったフィノが突っ込み、それに賛同する面々。

「あれがひと暴れしただけでディンクス・ローここは壊滅だぜ?」

「暴れなくとも、あの巨体に見合う魔法を使われただけで周囲数ルッツkmは何も残らないでしょうけど」

「逃げる意味なんてないですよねぇ」

「それは困るなぁ」

 その声に緊張感が足らないのに、そこはかとなくチャムは不安を抱く。カイは、この状況の危うさを正しく認識していないような気にさせるのだ。

「ちょっと、行ってくるよ」

「は?」

 続く台詞も軽いものだった。


飛行装置フライトユニット

 会話の流れと同じトーンで唱えられた起動音声トリガーアクションは、劇的な光景の序章に過ぎない。


 黒瞳の青年の背中には、金属製の箱が出現した。

 箱の大きさは、幅が25メック30cm、高さが40メック48cm、厚みも15メック18cmはある。下方には手の平ほどの開口部が左右に二つあり、金属板の仕切りのようなものが多数横切っていて、中身が良く見えない。上方に一つあるやや大きめの開口部も同様の構造だ。

 箱からは、胸と腹に巻き付くように金属腕が伸び、胸の金属椀に接続された皮ベルトが肩を回って箱に伸びて自重を支えている。腹の金属椀からも二本の皮ベルトが伸び、股間を回って箱に接続されている。股下には、より厚めの皮が溶着されて、食い込まないようになっているようだ。


 箱の側方には、「く」の字型の太い金属棒が取り付けられている。

 くの字の折れ部分が箱に接続されていて、長さは斜め上方に40メック48cm、斜め下方に60メック72cmは有りそうだ。やや外向きのそれは、上は頭頂を越える位置、下は膝裏辺りまでの長さになる。

 金属棒のそれぞれ端部は、やはり多数の仕切り板を持つ開口部になっている。更に金属棒の側面には、幾つかの隙間スリットが設けられていた。


「出来るだけ努力はしてみるけど、もしもの時はすぐに逃げてね? チャム達が逃げ出せるくらいの時間は稼いで見せるから」

 その顔に不安の色はないが、案ずる様子は見て取れる。だが、彼らにはカイが何をしようとしているのか理解出来ていない。

「ちょっと、何を…!」

 チャムが声を掛けようとしたと同時に、「ヒュオーッ!」と箱が唸りを上げ始める。彼の周囲の空気が風を巻き、箱上方の開口部や金属棒の隙間スリットに吸い込まれていっているのだ。

「じゃあ、行ってくるから!」

 音に負けじと声を張り上げたカイは、「シュバッ!」という噴射音と共に、200メック2.4mほどの高さまで浮き上がると、マルチガントレット手の平を振って見せる。

「ほわっ! 飛んでますぅ!」

「マジか、こいつ!」


 下方に伸びた金属棒は回転して、今は斜め前方を向いている。箱からの斜め後方への噴射とバランスをとって噴射し、空中に浮いている状態を保っている。要するに、いわゆるホバリングをしているのだ。

 自在に回転するらしい金属棒が僅かに角度をずらすと、カイの身体は横回転をし、ディンクス・ローに迫る金色のドラゴンのほうに向く。そして、くの字が正位置に戻り噴射音がひと際増すと、青年の身体は矢のように虚空を裂いて飛んでいった。


 後には唖然とした顔をした一同が残されるのみだった。


   ◇      ◇      ◇


「何なんだ、ありゃ!? 魔法具か!? 魔法具なのか!? あんなの見た事も無いぞ!」

 空を指して喚き立てるブラックメダル冒険者に、美貌のブラックメダルは返す言葉を探るのが精一杯だ。

「知らないわよ! 私に訊かないで!」

 そうは言っても他に訊く相手は居ないのだが、トゥリオやフィノにも答えようがない。

(何なの! 相も変わらず突拍子も無い事を平然とやっちゃうんだから、あの人は!)

 呆れと腹立たしさがない交ぜになったチャムは地面を蹴り付ける。

(隠し事をするなとは言わないわ! でも、何が出来るかくらいは教えてくれておいても良いじゃない! もう!)


「な、なあ…、どうするよ?」

 明らかに苛立っているチャムに、トゥリオは恐る恐る問い掛ける。じろりと睨まれる不条理を嘆きながら。


「とりあえず、様子見よっ!」


   ◇      ◇      ◇


 風を切り裂き上昇すると共に、空気の冷たさを感じ始める。

(あー、そう言えばこの飛行装置フライトユニット用に、風の結界記述をチャムに教えてもらおうと思ってたの忘れてた。失敗したなぁ)

 そんな事を考えているうちに、緩やかに羽ばたく金色の翼がみるみる近付いてきた。

(やっぱり大きいや。うーん、15ルステン180mはゆうに有るなぁ)


 金色の巨竜の頭部は、当然カイなどより遥かに大きい。見た感じ、彼の身長など目玉の直径に満たないと思える。

「カイ・ルドウと申します。少々お時間をください」

 礼を失しないようまずは名乗る。

「憤りのこととは存じます。ですが、どうか思い止まってはいただけませんか?」

 鼻先5ルステン60mの位置で静止し手の平を突き出すカイに、厳しい答えが返ってくる。


「出来ぬ」

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