街の暮らし

 街道が、帝都ラドゥリウス方面に向かう南東と、ラムレキア国境方面に向かう北東に分岐する場所に位置するこの街の前身は宿場町であった。

 その立地から一時逗留を求める者とこれからの旅路の物資補給を求める者が集まり、都市に近い規模に発展するのにそう時間は掛からなかったと言う。しかし、帝国が拡大政策を強め、ラムレキア王国との対立が過熱するに従ってきな臭さを増した北東街道の人の往来は先細りになる一方であった。

 必然、街の発展は頭打ちになってしまった訳だが、それでも補給拠点としての意味合いは強く残って、都市とも宿場町とも言えぬ中途半端な状態で歴史を刻んでいた。


 その街の名はディンクス・ロー。ロードナック帝国のぎりぎり西部に当たる場所に位置する街である。


「ひといっぱいだねー」

 それは紫のセネル鳥せねるちょうの背、黒瞳の青年の前に座るティムルの台詞。

「ちゅ-い!」

「賑やかだね」

「こんなにいっぱいの人を見るのは初めて?」

 その言葉に潜むチャムの不安感は僅かに抑えられている。

 ここまでの経験で仔竜が抱く人間への怖れも薄まっていると思っているからだ。

「はじめてー。でも、ぼく、ここしってるきがするー」

「もしかして、ここを通ったのか?」

「あ!」

 フィノの気付きと共に微かに高まる緊張感は、彼の恐怖がぶり返すかもしれないという懸念からだ。

「こんなのだったんだー」

 しかし、返ってきた答えはあっけらかんとしていて、杞憂であった事を示していた。

今陽きょうはもう時間も遅いし、この街でしばらくゆっくりしようか? ここなら色んなものが見られるよ?」

「おもしろいものあるー?」

「どれが面白いか色々見て回ってみましょ?」

「やったー!」


 純粋に楽しむ気持ちを前面に出すティムルに、チャムは安心して提案するのだった。


   ◇      ◇      ◇


 翌朝、街が落ち着く頃合いを見計らって、皆で繰り出した。


 朝食代わりに露店をはしごし、腹の虫を黙らせた彼らは、雑貨店や食料品店などを見て回る。

「とがったのばっかりー」

 武具店でのティムルの感想は微妙なものだ。

「魔獣とか怖い敵がいっぱいなので、牙や爪を持たない人間は道具を作るのですよぅ」

「おそわれたらたいへんだからー?」

「もちろん」

 護身だけでなく、もっと能動的攻撃にも用いる道具だと説明すべきなのか答え兼ねる。人が生活圏の確保の為に、時に外敵の駆逐に熱心なのを彼はどう受け取るか計り切れないからだ。

「これを持った人には近付かないほうが良いね」

「そうかなー?」

 それでも見せない訳にはいかない。知らないのが一番の大きな問題に繋がる。

「チャムもトゥリオももってるー。カイもすぐだせるー。でも、こわくないよー?」

 携える武器と向けられる武器の違いが理解出来ないのかと彼らは思う。

「どうぐはどうぐー。つかいかたがだいじー。ととさまやかかさまがまほうをおしえてくれるけど、つかいかたにきをつけなさいっていつもいうー」

「立派なご両親だね?」

「うん、だいすきー」

 後ろから温かく抱いてくれるカイを見上げて、仔竜は二パッと笑った。


 大切な事は十分に両親に教えてもらっているとは言え、ティムルが子供なのは間違いない。甘い匂いが漂って来れば、そちらへフラフラと吸い寄せられていくのは致し方ないと言えよう。

「いいにおいー」

「甘い香りが堪りませんですぅ」

 ただ、同じ目線で獣人少女も吸い寄せられていくのはどうなのだろうか?

「お菓子の専門店ね。この規模の街になると有るわよねぇ」

 視線だけでも奪われてしまうチャムでは、彼女を咎められない。

 ニヤニヤと笑うトゥリオには腹が立つが、そっと腰を押してくれるカイの気遣いに甘えて、二人の後に続いた。


 中には焼き菓子を主に、様々な種類のお菓子が甘い香りを放っていた。

 それだけでなく、腰壁で隔てられた調理場の天火オーブンからは、菓子の焼ける香ばしい煙が漂ってくる。更に手際の良い菓子職人が働く様まで覗けるとなれば、腰壁の前には子供達が鈴生りになっていた。

「すごいー!」

「上手よねー?」

「かっこいい!」

 口々に飛び交う賛辞は、菓子職人たちの矜持を十分に満足させるだろうし、より高い技術を目指すのに大きく寄与するだろう。良く考えられた仕組みだと冒険者達は思った。

「あまくておいしー」

 それだけあって、菓子の味は上等らしく、店員にひと欠け味見させてもらったティムルは蕩けるような顔をしている。その横で、フィノも同様の顔を見せていたのは言うまでもない。

「この店ごと買い取らせ…」

「それは止めておきなさい」

 衝動と反射の応酬は、冒険者ならではと言って良いのか困るものだった。


 店ごとはいかないものの、結構な種類と量のお菓子を買い込んだ彼らは、街の中央にある噴水を中心とした緑地帯に移動する。そこには、くつろぐ家族連れの姿や遊び回る子供達が多く見られた。

 歩道以外は舗装されていないそこは、市民の憩いの場になっている。彼らも一本の樹木の傍に敷物を広げ座り込むと、買い込んだお菓子を一つ一つ取り出して並べる。


「ふう、落ち着いた」

 朝からティムルの気の向くまま街中を歩き回ったチャムは、紅発酵茶タルドーを口にして溜息を漏らす。

 場所柄を弁えて魔法具コンロまで使わず、フィノの魔法で沸かしたお湯を使ったが、お茶の温かさが身体の凝りをほぐしてくれるようだった。

「これも秀逸ですねぇ」

「しゅういつー!」

「ちゅりっちゅー!」

 意味も分からず真似をするだけのティムルとリドでも、クッキーを手にしてコリコリと齧る姿は三者とも同様である。

「そんなに食べていたらすぐに無くなってしまうわよ? ゆっくり味わいなさいな」

「無くなったらまた買えばいいのです!」

「かうー!」

「ちゅるー!」

 今は止める術は無さそうである。


「ふしぎだねー?」

 何種類かのお菓子をその胃に収めたティムルが漏らす。

「何がだい?」

「にんげんってこんなにおいしいものつくれるのー」

「これまで多くの人が色々な工夫をして形にしてきたものだからね」

「そうよ。だからこんなに種類が有るし、それぞれが違う美味しさを持っているのよ」

 何の気ない会話に思えたのだが、その次の仔竜の台詞に息を飲む事になる。

「うん。いっぱいのにんげんがいっぱいくふうすればなんでもできるのー。だったら、なんでぼくをつかまえようとしたのー?」

「……」

「がんばればにんげんだけでしあわせになれるんだから、ぼくたちはかんけいないのにー?」

 カイはティムルの肩に手を置く。伝わる事を願うように。

「ごめんね。幸せになろうと頑張る人が多いんだけど、中にズルをしようとする人も居ちゃうんだ」

 見上げる金色の瞳に、出来るだけ真摯に応えたいと思う。

「他者の命や尊厳をないがしろにしてでも幸せになろうとしてしまう人がね」

 申し訳無さそうなカイは「マルチガントレット」と呟いた。

「こんな所にまでやってくる連中みたいなのがさ」


 噴水広場に剣呑な空気を持ち込んだ者達は、彼らを取り囲むようにずらりと並ぶと、それぞれに得物を手にした。

「やっと追いついたぜ、手焼かしやがって。ただで済むと思うなよ?」

「ただで済まないのはあんた達のほう。まだ自分が何をやらかそうとしたのか解らない訳?」

 追い掛けてきたのは、あのブラックメダル冒険者と多数の腕利き冒険者、それに見世物興行主である。

「抜かせ、盗人が!」

 気を大きくして吠えるにも理由がある。

 苦しげに歪む青髪の美貌は恐怖に耐えている様子でもあり、獣人少女は真っ青になって今にもへたり込みそうな風情なのだから。

「ビビるくらいなら、最初から俺達の仕事に手を出さなけりゃ良いものを!」

「まだ解らないの?」

 チャムがスッと指差したほうに目を向ける。


 その空の一点には、ディンクス・ローに徐々に近付いてくる金色の巨体が在った。

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