人の糧
夜の酒場は荒れていた。
見世物興行の興行主は、無理をしてブラックメダル冒険者まで雇って手に入れた目玉商品を奪われてしまって大損だ。
手付けは払っていたものの後金を工面しなければならないのだが、
不運に不運は重なるもので、辿り着いた都市には既に先約が居たのである。
見世物テントに並ぶ客を見た興行主は完全に項垂れてしまい、何の気力も浮かんでこなくなってしまう。ここで似たような興行を打ったところで、二番煎じではよほど叩き売りのような単価設定をしない限りは客は呼べないだろう。
今更別の都市を目指すにも、ブラックメダル冒険者との更新契約料や、魔獣を生かして運ぶ為の餌代などの捻出が難しい状態だ。ドラゴン捕獲の為に特別強力な麻酔薬の調達や強力
しかし、払うものは払わねばならない。彼は泣く泣く運んできた魔獣を先約の興行主に売り払う選択をした。トラブルに見舞われた事を匂わせて、何とか買い叩かれないで済ませたが、無駄に下げた頭さえ腹立たしくてしようがない。
酒でも飲まなければやっていられない状態である。
「くそっ! 何なんだ、あの訳の解らん事を言う冒険者どもは!」
テーブルに拳を叩き付けつつ興行主は愚痴り始める。
「ああ、解るぜ、その気持ち」
そこには一応契約通りの依頼料を受け取ったブラックメダル冒険者も同席していた。
ドラゴンを目玉にした興業が順調なら色を付けてもらう話があった彼も、面白くないのである。何より、彼のブラックメダルとしての
「あんな余所者に好き勝手やられて黙っていられるかよ! やり返さなきゃ気が済まないだろ?」
仲間に呼び掛けると口々に賛同の声が上がってきた。
「なあ、旦那、ひと口噛ませてくれよ? 俺達も依頼無しで動いたらマズい事になるが、依頼が有れば結構荒事だって何とかなるんだ。盗品奪還の名目で依頼を出してくれりゃあ、この辺の腕利き掻き集めて奴らに痛い目を見せてやれるぜ?」
「そんな事言ったって、お前達を雇う金なんてどこにも無い。新しく安めの冒険者を雇って魔獣を捕獲に行くのが精々っていう金しか残ってないんだ」
「安くて構わないからその金を回してくれ。奴らをとっちめたら、後は魔獣を捕まえに行くくらい付き合ってやるからよ」
酔いの所為もあるだろうが、男の目はギラギラと輝いている。どうやら本気らしい。
あの冒険者パーティーには女も二人居たが、この分ではどんな目に遭わされるか分かったものではない。
「悪くない話だな?」
興行主の中で嗜虐心が頭をもたげる。
「解った。その話、乗ってやる」
◇ ◇ ◇
銀色の金属片がスーッと放物線を描いて飛んいく。ぽちゃんと水音を立てると金色の瞳が放り投げた主に向かって称賛の視線を送った。
「すごいー! ふしぎー!」
純粋な感嘆につい苦笑い。
「変かしら? 普通に投げただけよ?」
「でも、まほうつかってないー」
「魔法なんて使わないわ。これは真剣勝負なのよ」
「しんけんしょうぶー?」
チャムが手元で糸を手繰っていると、竿がグンとしなり、引き込まれるように軋む。
「ふぁー!」
「見てなさい」
しばらく集中して遣り取りをしていると、こちらも目を丸くして息を飲んで見守っている。
水中に銀鱗の輝きを認めると一瞬口が開きかけたが、慌てて手で押さえてフルフルと震えていた。子供心ながらに邪魔をしてはいけないと思っているのだろう。
「そろそろ良いかな?」
「お願い」
たも網を繰り出したカイが引き寄せた獲物をその中に収めると、緊張感と感動からか小さな手が腰にギュッとしがみついた。
「さーかーなー!」
「ほら、釣れたでしょ?」
「うん! チャム、じょうずー!」
破顔した彼女は金髪の頭を撫でる。
行く手に幅が
最初は何が始まったのか全く解らなかった様子のティムルだったが、道具を使って何かをするのだと解ると、真剣な面持ちで興味深げに眺め始めた。
そして、魚が釣り上げられるに至って、興奮は最高潮に達している。
「いっぱいとれるねー?」
ここの川の魚も
「しばらく美味しい魚が食べられるわよ?」
「やってみるかい?」
「ううん、みてるー」
四人がどんどん魚を釣り上げている様が物珍しいのか、竿がしなる度にそこに走っていっては煌めく銀鱗に大喜びしていた。
少し獲物が溜まってきたのでカイは魚を捌き始める。鱗を落として内臓を取り出し、三枚おろしにしていった。
「……」
竿を振るチャム達の傍で駆け回っていたティムルが、調理台の上で捌かれていく魚をじっと見ている。
「面白い?」
「うん。いそがしい?」
「そんなでもないよ」
不安げに見上げていたが、構ってもらえると分かると二パッと笑って隣に回り込んできた。
「にんげんはまるごとたべないの?」
「食べてもいいけど、こうしたほうが美味しいからね」
「ふーん」
内臓は特に寄生虫が怖いので手を付けないのだが、それを説明しても仕方ないだろう。
「いいにおいするー」
「焼けてきているね」
塩をした魚が魔法具コンロに上で煙を上げている。その香りが漂って来て仔竜はクンクンと鼻を鳴らした。
魚を引っ繰り返しつつ、三枚おろしの身を反転リングから展開した燻煙器の中に並べて、削ったチップに点火した。
「なんかたいへんだねー」
「でも美味しいんだよ?」
そうしているうちに香りに釣られて竿を振っていた三人も戻ってくる。
「堪んねえぞ。いい匂いさせやがって」
「お腹の虫に負けちゃったわ」
「全然集中出来ないですぅ」
「じゃあ食べようか?」
軽く噴いたカイは、鍋の赤麦の炊き上がりを確認した。
焼き魚は尾頭付きだ。皆に行き渡ったのを確認して彼は「いただきます」と手を合わせた。
「なにそれー?」
その様子がティムルには奇異に映ったようで、目をパチクリさせている。
「感謝の気持ち」
「かんしゃー?」
「そうだよ」
一生懸命釣ってくれた皆に感謝。赤麦や野菜を育ててくれた農家の人に感謝。そして何より、人の糧として命を捧げてくれる全ての食べ物に感謝。青年は仔竜にそう説明する。
「ティムル達ドラゴンもそうだけど、人間も何かを食べないと生きていけない。だから、感謝と共にその手間と命をいただきますって言うんだ」
「かんしゃ…」
先ほどまでは今にも嚙り付きそうな雰囲気を見せていたティムルが、物思いをするようにジッと赤麦ご飯や焼き魚、魚のアラを煮出したスープを眺めている。
渡されたフォークをそっと皿の傍らに置くと、手を合わせ「いただきます」と唱えるように呟いた。
「偉いね」
「えらいー? えへー」
「ちゅちゅりちゅー」
撫でられて嬉しそうに笑う彼の横で、リドも焼き魚を前に前肢を合わせている。他の大人達もお手本として恥をさらさないように手を合わせて呟いた。
食卓は一時厳かな雰囲気に包まれるが、皆が料理に口を付け始めれば空気は一変する。淡泊な白身に脂の乗った川魚は、口中に幸せを運んできてくれるからだ。
食が進んで盛り上がる河原の脇を通る街道を、一羽のセネル鳥とその乗り手が進んで来ていた。
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