小さな災厄

 カイはその箱が最初から気になってしようがなかった。おそらく同じ理由でフィノも目を惹かれていると分かる。


 他の荷台の檻が普通に置かれて中身が曝されているのに対して、その荷台の上の檻は木板で囲われているからだ。それはただの荷物を詰めた木箱などではなく、彼とフィノにはサーチ魔法で中に生物が入れられた檻なのが丸分かりだったからである。

 更に言えば、その生物は異様に高い魔力を放っている。それが単なる木板を通過して、外に多量に漏れてきている。どんな魔獣か知らないが、普通ならあまりに危険な存在だと言えよう。


 フィノに目をやって頷きを送った後、木箱に近付く。表面に手を当てると、変性魔法の分析効果でおぼろげながら中の様子が伝わってきた。

(何だこれは!?)

 そのイメージは今に至るまで感じた事も無いものだ。

(ほとんど魔力塊じゃないか!)

 とても生き物だなんて思えないが、サーチ魔法はそれが間違いなく生き物だと伝えてくる。初めての経験でも、彼には知識としてその生き物に心当たりがあった。

 そして、それはこんなところに居てはいけないものだという知識もある。チャムが交わしている会話の中に出てきた「駆除対象」になど該当する訳が無い。


「マルチガントレット」

 すぐさま両腕展開の起動音声トリガーアクションを口にすると、木板に爪を打つ。

 剥ぎ取った先の空間には、眩しそうにしばたたれる目蓋を持つ瞳。そこには不安の色が揺れていた。


 カイは安心させるように、出来るだけ優しく微笑み掛けた。


   ◇      ◇      ◇


「ドラゴン!」

 カイの行動に注目していたフィノは、僅かに見えた箱の中身に驚愕の声を上げる。

「それは絶対にダメですぅ! そんな事をしたら…。そんな事をしたら…!」

 彼女の脳裏には焦土と化した世界が広がっていた。


 英雄譚や勇者譚に度々登場するドラゴン。

 しかして人類とその脅威の種との接触の記録は極めて少ない。

 正確に言えば、確認記録は十分に有ると言っていい。その脅威度を高いと認識しているが故に、生息地を国内に持つ国家は再々調査隊を派遣し、分布の調査に励んでいるのが実情である。その確認方法も、ほとんどが遠見の魔法頼りであり、近付くなど以ての外だ。

 その結果判明しているのは、東方では数十か所に及ぶ高山、隔絶山脈の一部高地、魔境山脈の各地とされている。西方北部密林の奥地にも生息地があるとされているが、そこは調査の手も入れられないほどの危険地帯であり、確認はされていない。


 当然その生態に興味を持つ学者も居るには居るが、接触調査を成し遂げた報告など皆無と言っていい。世に出回るそれは、名声を求めて虚言を展開した学者の眉唾ものの与太話を纏めたような代物でしかない。

 真実を求めて生息地に踏み入っていった学者は、誰一人として戻ってきていない。ドラゴンに食われたのだろうと実しやかに囁かれるが、本当にドラゴンにやられたのか、そこに至る過程で他の魔獣にやられたのかは判然としない。

 ただ、フィノは後者だと思っている。もし、ドラゴンが普通に人を餌だと考えていたり、嗜虐の為に殺害する性向が有るのだとしたら、人類はこれほど版図を広げられたりはしなかっただろうと考えるからだ。


 ドラゴンは絶対的とも言える強者。

 冒険者ランクの最高位がドラゴンスレイヤーとされているのは、彼らを倒すのが至難の技だからではない。

 人類がドラゴンを倒す事など不可能だからだ。不可能を可能にするほどの実力を持つ者の代名詞としてそう名付けられているだけなのである。


「に、逃げましょう!」

 獣人少女がそんな事を言い出したのは、そういったこの世界の常識が頭の中にしっかりと入っていたからである。

「ああ、こいつぁさすがにマズいな」

「凄く小さいから仔竜でしょうけど、それでも凄い力を持っていると思いますぅ。もし、逃げ出したら大変だし、最悪、親が…」

 想像するだに恐ろしい結果しか思いつかない。


「あんた達! 何やらかしてんのよ!」

 その事実を確認したチャムは目の色を変えて吠える。

「ちっ! 見られちまったか! おい、どうするよ、旦那?」

「黙らせとけ! こんなとこで騒がれたんじゃ堪ったもんじゃない!」

「だとさ。悪い事は言わないから、ここで見た事は忘れてどっかに行っちまえ。もっとお近付きになりたかったとこだが、大人しく言う事聞いてくれよ?」

 男が手を掛けたのは剣の柄ではなく、首の革紐だった。

 引き出された冒険者徽章の中央には黒いメダルが填まっている。ブラックメダルである自分には絶対に敵わないという意味だろう。

「あら、そう?」

 チャムも自分の徽章を取り出して見せる。

「ちぃっ! 面倒臭ぇ! 手前ぇもかよ!」

 唾を吐いた男は鞘を鳴らせた。


 変に噂が広まるのを嫌った雇い主の指示で混乱状態に陥った現場だが、そんな事には一切関せず、我が道を行っているのは黒瞳の青年である。

 彼にとってはドラゴンも一つの個であり、その幼い個体をこんな目に遭わせるのは虐待としか考えていない。周囲にお構いなしに木板をバリバリと引き剥がし始める。

 当然その音は護衛の目を惹いてしまうのであった。

「何してやがる! この野郎!」

「何って、少し剥がしただけではこの子が出られないので、穴を大きくしています」

「そういう事を言ってんじゃねえ!」

 脅しのつもりか剣を抜きざまに斬り掛かってくる男だったが、力任せに振り抜かれた裏拳を食らうと、ドラゴンのように羽根も無いのに空を舞う。

「あ…」

 描かれた放物線を目で追ったトゥリオとフィノは、大地とキスをして捲れる男を不憫に感じてしまった。

 知らないというのは恐ろしいものである。相手が何であれ、子供にひどい仕打ちをした者がカイにどんな目に遭わされるか二人は身に染みて知っていた。


 ブラックメダルの男と共に、チャムを取り囲んでいる連中も、明らかに攻め手に欠いていた。

 どんな攻撃を送り込もうが、児戯を嘲笑うかのようにヒラリヒラリと躱されてしまう。間合いを取って一斉に仕掛けようとしたら、小魔法が群れを成して襲いかかってきて追い散らされてしまう。結果、各個撃破されて逆に数を減らしている始末だ。

 その上にギャンギャンと吠え立てる雇い主に煽られて拳士に攻撃を掛けるが、散発的な仕掛けなどカイに通用する訳もなく地に伏せる仲間ばかりが増えていくだけであった。


「ごめんね、時間掛かって。すぐに出られるようにするから」

 十分な開口部を作ったカイは、内側に残っていた檻の格子に爪を掛ける。変形魔法を働かせると、格子は粘土のようにぐにゃりと曲がって伸び、隙間を広げていく。

 仔竜とは言え、体高だけで160メック2m近くは有りそうな身体だが、出入りできそうな大きさは確保出来た。

「さあ、お父さんとお母さんのとこにお帰り。きっと心配して待っているよ?」

「ギルル…」

「大丈夫。追いかけさせたりはしないから安心して良いよ」

 そう声を掛けると彼は戦闘中の仲間を振り返った。


 後は一方的である。チャムとカイに挟まれて、フィノの魔法援護まであるとなれば為す術はない。間を置かずに瓦解してしまった。

「あの子以外は確かに駆除対象魔獣だと思います。お好きに連れて行っても構いませんよ」

「その代わり、後の事は知らないわよ? 事故が起きたら自分達で責任取りなさいよね!」

 追い立てられた連中は、馬車列を率いてほうほうの体で逃げ出していった。


 残った馬車から、よちよちと仔竜が這い出してきた。

「逃げていいって言ったのに義理堅いな。お礼はいいからね」

 一応の距離が開くまで馬車列を警戒するカイの背後まで歩いた仔竜は、両肩に前肢を置いてピタリと張り付くと頬ずりを始めた。


「あれ?」

「懐いちゃったわ」


 さすがに一歩引いて観察しているチャム達だった。

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