空を飛ぶ災厄

箱の中

 自分がなぜそこに居るのか解らなかった。

 優しいながらも躾に熱心な母と、強いながらも子供の意思を重んじてくれる父に挟まれて幸せに暮らしていた筈だ。


 あのもコリファルの実がなる樹に、母に断って出掛けただけだった。

 見つけた時にはまだ若かった実も、指折り数えて丁度熟した頃合い。それを楽しみに山を下りると、樹には黄色い実がたわわにぶら下がっている。ツヤのある果実はまるで金色に輝いているかのようだ。


 堪らず彼はひと房を持ち上げると、下のほうに嚙り付く。口中で数粒の実が弾けると、甘酸っぱい果汁がいっぱいに広がり舌を刺激してくる。

 目を瞑って咀嚼すると、ぷりぷりとした実からは更に果汁が溢れてくる。そうすると少し渋みも感じるし種も出てくるのだが、完熟のコリファルは全然気にならないほどの甘さを伝えて来てくれる。


 その後の記憶はちょっと怪しい。夢中になって貪り食べてしまっていたのだろう。ほとんど誰も来ないような場所なのだが、あまりに警戒が足りなかったかもしれない。

 背中の数ヶ所にちくりとした痛みを感じると、急激な眠気に襲われてしまう。かろうじて振り返ると、そこにはいくつもの影があったように思う。そこで記憶は途切れてしまった。


 次に目覚めた時には光が感じられない場所に居た。

 金属の匂いもするが、主に木で囲まれた四角い空間の中。外には数人の人の気配がする。

 思わず切ない声が漏れてしまった。自分は捕らえられてしまったのだ。逃げ出そうにも、どうにも上手く力が出ないし、この空間は魔法がきちんと発現しない。

 自分の迂闊さと父母の恋しさと落胆と諦めがない交ぜになって涙が零れた。


 幾度もの昼と夜を過ごした。

 時折り、投げ込まれる食事にも、最初は口を付ける気にならなかった。それでも空腹が先に立ち、食べてしまう。そんな自分が情けなくてまた泣いた。食事は涙の味しかせず、ひどく味気ないものだった。


 急に外が騒がしくなった。

 揺れや喧騒は幾度か感じてきたから不思議とは思わなかったが、それはいつも外に多くの人の気配がする場所だったと記憶している。今回はそれほど多くの人が居るようには思えない。

 派手な音がして、木に何かが打ち込まれると裂ける音と共に剥ぎ取られた。久しぶりに感じる強い光に一瞬目が眩んだが、すぐに外が見えるようになる。


 そこには、優しい光を宿す黒い瞳があった。


   ◇      ◇      ◇


 乾いた草原を吹く風に湿り気が混じっている。北西から迫ってくる雲が雨をもたらすのかもしれない。こんなは町に泊まりたいところだが、足の届く範囲に宿場町は無さそうだ。


 そういう時でも、彼ら四人の冒険者達は困らない。人目が無ければ、小部屋リングを使う。

 これはホルムトにいる間に、お風呂リングの応用で作製しておいたものだ。火が使える場所が有るなら夜営で構わないし、それ用の簡易テントも有るのだが、降雨時はさすがに厳しい。

 その為に、狭くとも平らな場所があれば使える小部屋リングを男女用それぞれに一つずつ用意しておいたのだ。二人が横になれるだけの広さしかないが、雨風は十分にしのげる。

 中に撥水布も収めてあり、この二部屋の軒同士に張れば、セネル鳥せねるちょう達の雨宿りも出来るような構造になっている。


 ただし、反転リングを使用している上に、その便利さである。誰もが欲しがりそうな製品であるために、あまり人目に晒すと盗難目的などの要らぬトラブルに発展しそうで、出来るだけ誰にも見せないほうが良いと意見が一致していた。


 今居るここも、辺境だけあって街道上に人影はほとんど見られず、少し外れた木立を選べば小部屋リングを使用出来ると踏んでいたら、前方に馬車列が見えてきて彼らを苦い顔にさせる。雨が降り出す前にそのまま通過すれば問題ないのだろうが、接近するほどにその馬車列の異常さが浮き彫りになってきた。


 この世界の物流はほぼ『倉庫持ち』能力者頼りだと言っていい。その為に馬車列がそれほど長くなる事は無い。商隊馬車列の馬車は荷物を乗せるのではなく、『倉庫持ち』能力者を乗せるものなのだ。問われるのは客車キャビンの積載能力である。

 商隊の警備費用を浮かせたければ、馬車列は短いほうが良いに決まっている。


 ところが、その馬車列は異常に長い。その理由は、馬車の積み荷が見分けられるようになって判明した。

 荷台に乗っているのは『倉庫持ち』以外の生き物だ。それぞれに檻が乗せてあり、その中には魔獣の姿がある。確かに『倉庫』に格納出来ない生物であれば、こうして運ぶしかないのは納得出来る。

 しかし、それは運搬方法の問題であって、魔獣を運搬する理由とは別の問題。しかも、檻の中の魔獣は、かなり凶暴なほうに分類される種ばかり。

 その理由は、彼らには皆目見当が付かなかったのだった。


「ずいぶん物騒な積み荷じゃない」

 似たような感想を持つ四人を代表して、チャムが馬車列の周りを囲む警備の冒険者に声を掛ける。

「知りたいか?」

 突然の美人の登場にピューと口笛の鳴る中、ニヤつく一人の男が問い掛けてくる。

 髪色のバラエティーの豊かさから、東方の住人ではないと見て取った男は、下心の垣間見える親切心を発揮してくれそうだ。

「教えてくださる?」

 そんな事はお見通しの彼女は、舌が良く回るよう扇情的な流し目と共に応じる。

「こいつらはな…」


 彼曰く、その魔獣達は見せ物にするのだそうである。

 辺境に住む人々にとっては恐怖の対象でしかない魔獣も、一生を都市内で終える人にとっては、ある種の興味の対象になるらしい。彼らの雇い主は、この魔獣達を陳列したテントを建て、見物料を取って生計をたてていると言う。


「危ない橋を渡るものね。その為に、檻に高価な強化魔法散乱レジストの刻印まで施して?」

 無論、魔獣は檻に閉じこめたくらいで大人しくはならない。爪や牙が外に届かなくとも、彼らには魔法という武器がある。

 しかし、それも檻に刻印された魔法散乱レジストの強化版によって阻害されている。魔獣に抵抗の術はない。

「それだけ儲かるってだけの話だろ? 俺達にゃ分からないがな。何せこの商売を誰かが始めたのは、ここ十くらいの話らしいぜ。もう、何組か似たような商売している奴らが居るとさ。うちの大将も猿真似」

「言いたい放題じゃない? 曲がりなりにも雇い主でしょうに」

「金払いが良いだけのちんけな野郎さ。そうじゃなきゃ、俺達みたいな高ランクパーティーが付き合ってやるもんか」

「へぇ」

 自慢げにニヤリと笑う護衛に適当な返事を返す。


 その男は、「その内、世界的に広まるかもな」とも言う。

 だが、少なくとも魔獣の密度が遥かに濃い西方では流行りはしないだろうとチャムは思う。

 西方の人々にとって魔獣はもっと切実な脅威である。決して興味本位で眺めるような存在ではないし、駆除の意識も段違いに高い。似たような事を考えようなら、危険を生活の場に持ち込む者として袋叩きに遭っても変ではないだろう。

 おそらく魔境山脈に接する中隔地方でもそれに近い反応が有るだろうし、こんな商売が成り立ってしまうのは、魔獣の数の少なさに平和ボケした東方人だけだと思える。


「どうせ駆除対象として殺されちまうんだから、俺達の飯のタネになってくれても良いんじゃないか?」

 命に対する不遜な考えには同調出来ず黙っていると、チャムのところに護衛の冒険者達が集まってくる。ジロジロと眺められるのは不快だが、あまり騒ぐとカイが怒るかと思って自重する。

 ところが、当の黒瞳の青年は少し離れた大きな木箱の前に居る。この馬車列の持ち主らしき男が慌てて駆け寄ろうとしているが、その前に彼は動いてしまう。

「マルチガントレット」

 銀爪は木箱に打ち込まれて、木が裂ける音と共に剥ぎ取られた。

「これが駆除対象ですか?」

 カイの視線は極めて冷たい。


「僕は『彼ら』が人を襲うなどと聞いた事が有りませんよ?」

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