触れる心

 カイの言葉は皆の心に大きな波紋を起こした。


 誰も二の句が継げない中、ポランドン大司教は重たい口を開く。

 彼自身、今を含むこれまでの帝国の在り方と、これからに関しては思うところがあると。それ故に本当は口にすべきでない事実を告げてくる。


 ロードナック帝国もジギリスタ教会も一枚岩ではない。働きかけるにも限界がある。


 それは彼が見せた誠意であるだろうとカイは受け取った。


   ◇      ◇      ◇


「わたくしもあれから考え続けているのですけれど、答えが見つかりません。それを見出せないのに、あなたを止める言葉など持ち得ないのです」

 翌陽よくじつ、姿を見せたカイ達に彼女はそんな思いを告げた。

 それはラエラルジーネにとって苦渋の言葉である筈なのに、表情は晴れやかと言っていいものだ。


 カイの覚悟の壮絶さも大きな影響も与えていたが、ヴァフリーの行動も彼女の心に一石を投じた。

 いかなる言葉にも耳を貸さず、ただ己が意見を正しいとし貫き通そうとする意志の強さ、欲の深さが恐怖を呼び起こす。

「理不尽を行う者は、痛みを感じない限りは後悔などしない」

 それを繰り返してきた商会主がカイの言葉を証明している。和を生み出せるほどの言葉が彼女の中に無かったのは、悔しくもあったが発見でもあった。

 ラエラルジーネはそれを新たなる神の試練と受け取れる人間なのである。


「でも、いつかあなたを止められるだけの言葉を見つけ出して見せます。そこまで自分を高めていければ、何か一つの頂に達する事が出来るような気がするのです」

「それで良いと思います。貴女は僕のような力に惑わされず、そのままでいてください」

「そうね」

 チャムも彼女の考え方が許容出来るようになってきた。


(意識の多様性も人間の可能性なのね。甘い考えでも認めなければそこに生まれるのは対立だけだものね)

 対立も許容も大切な事なのだと思う。そこから未来が生まれるのだから。偏った一つだけでは選択肢は狭まってしまうだけ。


「悪かったわ。私は貴女を絵空事ばかり口にする世間知らずだと馬鹿にしていた。心なんて人それぞれで当たり前なのにね」

「世間知らずなのは本当です。でも、世間知らずだからこそ信じられるものが有るし、言える事が有るのです」

「何それ?」

 二人は笑い合う。


 カイの存在を認めたラエラルジーネの視野は広くなってしまうだろう。それは彼女を変節させてしまうかもしれない。それでも曲がらなかった時に到達出来る場所が有ると思えた。

 彼女はまだ、その内に持つ柱を育んでいってくれると信じている。


「カイ様はわたくしへの配慮から、誰一人殺める事無く解決してくださいました」

 瞑目した彼女は、カイの行動を思い出しているのだろう。

「自らの信条を脇に置いて、守られるわたくしの心までも傷付かないよう、寄り添ってくださったのです。ならばわたくしも応えねばなりません」

「え? まさかそれは……」

 傍に居たファクトランは、ラエラルジーネが彼らに付いていくと言い出すのではないかと激しく動揺している。ヌークトも慌てて言葉を継ぐ。

「ジーナ嬢! 早まった決断は!」

「いつのか、あなたが耳を傾けなければならいほどの言葉を届かせて見せます」

 狼狽する二人に首を振って勘違いを諭した後、カイに向けて強い意志の光を宿した瞳を向ける。


(大言壮語を吐くものね。これも若さかしら?)

 チャムはそう思うが、彼女の横に立つ青年は一概に否定はしない。


「貴女の名が世界に轟いた時、僕のような男は無用の存在と化すでしょう。そのを僕も心待ちにしています」

「あら? まるで隠居を望んでいるみたいな言い方ですわ」

「隠遁したいです。でも、それ以上にやりたい事が有るのです」

 そう言ってチャムのほうに視線を送る。

「心に信念を抱く人間は、それに突き動かされるように走り続けなくてはいけないのかもしれません。捨て難い欲求のように」

「解るような気がします」

「僕に仲間が居るように、貴女にも助けてくれる人々が居ます」

 ラエラルジーネは左右を固める次期領主と同僚司祭を見て、力強く「はい!」と答える。

「その力が有れば貴女も走り続けていけると思います」

「頼りになる素敵な殿方達ですもの」

 商人の娘らしく、僅かに見せる蠱惑的な笑みは二人からは見えなかっただろう。


「その信念を貫くのは難しい世界です。それでも挫けないでください。そして……」

 見つめる黒瞳を何かがよぎったような気がした。


「生きて……、ください」


「カイ様……」

 ラエラルジーネはぽろぽろと大粒の涙を落とす。

「ジーナさん!?」

「ジーナ嬢!」

 大丈夫というように首を振った彼女は、手を伸ばしてカイの胸に触れる。


「初めてあなたの心に触れたような気がします」


 伝えたくても伝えられなかった言葉が、ここに昇華していく。


   ◇      ◇      ◇


 商都クステンクルカの通りを行く四羽のセネル鳥せねるちょうには、もう一羽の白いセネル鳥が加わっている。街門を抜けてもその歩みは緩やかなままで、急ぎの旅でない事を示していた。


「あなたも街を出るの?」

 チャムは白い騎鳥の背の灰色猫に問い掛けた。

「面白かったけど、飽きたにゃー」

「そう、なら私達と一緒に来る? うちのパーティーならとやかく言う人間なんて居ないし、歓迎するわよ?」

「そうだぜ。うちには斥候士スカウトが居ねえから丁度いいしな」

「獣人仲間が増えるとフィノは嬉しいですぅ」

 にっこりと笑ったファルマだが、続く言葉は否定だった。

「止めとくにゃ。可愛いファルマちゃんは気ままな流れ獣人にゃ。何か面白いものを探して流れていくにゃ」

 その言葉に彼らは口籠もる。


 ファルマも獣人でありながら魔法士である。しかも、闇魔法という希有な属性を扱う獣人だ。どこの出身かは知らないが、相当の苦労を重ねてきたであろう事は想像に難くない。ごうを持たない流れ獣人だというのは、そういう意味だと思える。

 だからチャムは差別は無いと告げたのだが、深い人間関係は彼女の自由を奪ってしまうだろう。辛くとも逃げ出せない状況は大きな負担以外の何物でもない。

 今までそんな経験を積んできたのだろうファルマに強くは勧められない。フィノのように最初から仲間に強い羨望と信頼が有る訳では無いのだから。


「でも、みんなの事は気に入ったから、また会いたいにゃ。会えるにゃ」

 軽い口調だが、本心からの言葉だと思いたい。

「そりゃ、縁が有りゃまた会えるだろうが、東方は広いぜ?」

「カイの匂いは覚えたにゃ。気が向いたら嗅ぎつけて捜し当てるにゃよ」

 いくら獣人でもそれは難しいと皆が思うが、それだけの意味ではないようだ。

「カイ達が思っているよりずっと強い匂いにゃ。魔闘拳士という匂いは」

「ああ、そういう事ですかぁ」

 情報を嗅ぎ回る彼女にとっては、確かにかなり強い匂いなのだと想像出来る。

「だからいつでも会えるにゃ」

「そうだね。僕もまた会えると思うよ」

「だったら、いっぱいモノリコート用意しておいてくれにゃ!」

「まったく。現金な猫ね」


 笑い合って別れたその背中は寂しそうではなかったし、必ず会えるような気もした。


   ◇      ◇      ◇


 闇の中、近付いて来た男の言葉に耳を傾ける。


「とうとう東方にまで姿を現したのか、魔闘拳士」

 動揺は有るが、強くは面に上げない。

「首座様には?」

「耳にはお入れしました」

「何とおっしゃっておられた?」

「特に興味を持たれた様子はございませんでした」

「そうか、まあいい」

 彼は少し考える。

「今は動けん。だが、方向は悪くないから何とかなるかもしれない。運任せだが」

「仕掛けますか?」

「いや、無闇に接触するな。油断ならない男だ」


 指示を与えた刃主ブレードマスターディムザ・ロードナックは、闇に消える男に一瞥もくれずに背を向けた。

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