ムダルシルトの終焉

「例の商品の仕入れに向かった者達がそろそろ西方に着く頃です。あれが上手くいけば立て直しくらいどうとでも」

 執事アイゼンフェルトの囁きに商会主ヴァフリーははたと手を打つ。


 貴金属取引で景気が良く資金力がある現在、ムダルシルト大商会は一つの大博打を打っていた。とある目玉商品の仕入れに、大金と人材を投入して遥か遠方の西方まで派遣していたのだ。


「反転リング! あれの仕入れが上手くいって定期調達の手筈が整えば、我が大商会の繁栄は確約されたも同然だ」

 注目を浴びる興奮に少々声の大きくなったヴァフリーは、自信を取り戻してふてぶてしい表情で睨み返してくる。

「反転リングですか」

「そうだ。『倉庫持ち』でなくとも『倉庫』能力が使える画期的な発明品だぞ? 仕入れただけ幾らでも売れる間違いのない商品だ」

 前にした冒険者四人が揃って呆れたような雰囲気を漂わせている。その様子にアイゼンフェルトは疑念に眉根を寄せた。

「それはどこの商品だかご存知ですか?」

「ルドウ基金というホルツレイン王国の資金組織だ」

 答えを返しつつ商会主は、何かに気付いたように焦る。

「まさかそこまで口出しできるなどと大言壮語は吐くまい? 曲がりなりにも西方二大国の一つ、ホルツレインの下部組織だぞ?」

 それほどの組織となれば一個人が影響を与えられる訳もない。

「良い事を教えてあげましょう」

 近付いてくる黒瞳の青年に帝国兵が警戒を強める中、ヴァフリーとアイゼンフェルトは彼の自信がどこから来るのか窺い知れないでいる。

「僕の名前はカイ・ルドウ。発明者にして権利者です」

「…………!」

 二人は愕然とした顔を晒していた。


 既に明確に対立状態になっている相手が、商品を卸してくれる訳が無い。そんな事は商人である彼らは重々承知している。

 いや、相手が商人ならば交渉次第で持っていきようはあるかもしれない。だが、利益を求めていない武威と義の英雄相手では交渉の余地も無い。


   ◇      ◇      ◇


 商会主と執事は茫然自失という体だが、それでは収まらない者もいる。


「ちっ!」

 ゼクセンの口からは小さく舌打ちの音が漏れる。

「さて、お困りの事でしょうね、デュラッカーム百兵長殿?」

 ゼクセンは、窺うようなカイの流し目に苦虫を噛み潰したような顔を見せる。

「何の事か?」

「おや? お困りでない? ムダルシルト大商会がこのような状態では、謝礼金という名の賄賂は望めませんよ? 彼らは存続の危機に晒されているのですから」

 百兵長の周囲を固める兵達がざわりとする。

「何らかの理由を付けたにしても、これだけの兵を借り受けるのには、それなりに袖の下が必要だったでしょうね? それが丸損となるのは仕方ないにしても、この先どうやって兵を動かすのです? 事が大きくなる前に退かれてはいかがでしょうか?」


 副官として付いている数名の十兵長がゼクセンの顔色を窺っている。事前に話を聞いて、報酬の約束でもしてあったのだろう。それで収まらないのが一兵卒達である。


「どういうことなのでしょうか、指揮官殿? これは要人警護任務ではなかったのですか?」

 彼らはそう聞かされていたらしい。

「黙れ! 奴の口車に乗るな! その場で待機だ! それとも俺の命令が聞けんというのか!」

 そこまで言われると反論は出来ない。訓練された兵というのはそういうものだ。

「出鱈目で兵を惑わすとは詐欺師のような男だな? とても伝説の英雄だとは思えんぞ?」

「どう思おうがご自由に。 しかし、強情ですね? もう無理ですよ?」


 ゼクセンは、青年の黒瞳に浮かぶ嘲りの光にはらわたが煮えくり返る思いを抱いていた。


   ◇      ◇      ◇


 既にカイの目標は変わっている。直接押して折れない相手を構っていても仕方がない。そういう時は、外側から揺すって根元からへし折るまでだ。


「さて、皆さん! 残念な事にご覧の通りです」

 大きく手を広げると、周囲の観衆に向けて呼び掛け始める。

「ムダルシルト大商会は、皆さんが敬愛し慕う輝きの聖女様を、本人の意向を無視して帝都に売り渡そうとしています。いくら商人が集う街、商都と云えど、そんな横暴が許されるのでしょうか? そのような商会から商品を買いますか? そのような商会がこのクステンクルカに存在するのを許容出来ますか? 人身売買は世界的に禁じられている罪です。僕は魔闘拳士の名に賭けて、彼らを許すことなど出来はしません」

 その長広舌から一瞬の間をおいて、周囲から一斉に非難の声が上がり始める。

「そうだ! 許されるものか!」

「商人の面汚しめ!」

「絶対にムダルシルトじゃ物を買わないわ!」

 その声はいや増すばかりだった。


   ◇      ◇      ◇


 アイゼンフェルトは迷いの渦中にいた。


(起死回生の一手は有る。だが、ここでそれを使ってどれだけ効果が有るだろうか? 最悪、余計に反感を買うだけかもしれない。しかし、しかしだ。もう既にクステンクルカに居場所はない。それならば!)


「もうそろそろ良いよ、ファルマ」

 決意して合図の手を挙げようとした瞬間、カイが誰かに声を掛ける。

「やっと出番にゃー。遅いにゃよ」

「ごめんごめん。首尾は?」

「可愛いファルマちゃんに手抜かりはないにゃー。残りは裏に転がしてあるにゃ」

 教会裏手からスルリと現れた灰色の毛皮を持つ猫系獣人は、両手に覆面をした男を二人引き摺ってきている。カイが覆面を剥ぎ取って見分した。

「おや? 見た顔ですね。どうやら一度ならず二度までも聖女様を誘拐するつもりだったのですか、ヴァフリー殿?」

「他の連中も剥いだけど、この前トーミット家に侵入しようとしたのと同じ面々だったにゃよ」

 今度ばかりは大変な騒ぎになってしまった。


「これはいささか聞き捨てならない話ですな?」

 今にも物さえ投げ入れられかねない騒乱を制するように、ポランドン大司教がヴァフリーを糾弾する。

「な、何を言う! こんなならず者達の事など私は知らんぞ!」

「誰に指示されたか教えるにゃ」

 ファルマが片方の男の顔を覗き込むと、途端に目をとろんとさせ、スッと指差す。

「アイゼンフェルト様に指示されました」

「…………」

 執事が見せた怒れる獅子のような表情は、ラエラルジーネを怯えさせた。


「デュラッカーム百兵長殿」

 アイゼンフェルトはもう声をひそめる事も放棄してしまっている。

「手ぶらでは帰られますまい? あの黒瞳の男は魔闘拳士」

 視線で射抜こうかというように睨め付けながら指差した。

の者、西の大国ホルツレインの尖兵。首をお持ち帰りになれば、皇帝陛下はお喜びになられるのではございませんでしょうか?」

「それは!」

 開き直った執事の目は座っている。ゼクセンは慄き、ヴァフリーは彼が何を言い出したのかすぐに理解出来ない。

「何を言い出す、アイゼンフェルト!」

「もう逃げ場はございません、旦那様。我らはその戦果の余碌でも受け取らなければ、浮かぶ瀬も無いのですよ?」

「しかし、相手は魔闘拳士。千人斬りの……」

「マルチガントレット」

 銀爪の煌めく光が彼らの目に飛び込んでくる。

「そこまで言うのなら戦いやりましょうか?」


 瞬時にして空気が変わる。

 黒瞳の青年から放たれる濃密な闘気は衝撃波のように周囲に振り撒かれた。

 多少でも心得のある者はそれだけで圧倒される。肝の座っていない帝国兵の一部、三分の一ほどは腰を抜かしてへたり込んだ。

 闘気を明確に感じられない周囲の群衆でも、まるで青年が何倍にも巨大化したかのように感じたという。


 目覚めたのは究極の強者。獰猛な肉食獣を超えた何かに睨み据えられた者達は悲鳴を上げる事さえ許されなかった。

 そのまま呑み込まれるかと思った瞬間、何者かの声が空気を揺るがす。


「待てー!」

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