ムダルシルトの誤算
「ラエラルジーネ・トーミットは、当教会の司祭です。至高の座におわす方でも、ジギリスタ教会総本部を通して召喚していただかねばなりませんな」
現れた人物は高位の聖職者らしく、装飾の凝らされた祭司服を纏っている。
「お騒がせ致しまして申し訳ございません、ポランドン大司教猊下」
「構いません。我が子の事です」
その人物を知らない者達にも紹介するように呼び掛けるラエラルジーネ。それに対して鷹揚に応え、なおかつ教会に属する者は全て自分の子供と同然だと言われて、彼女は喜びに顔を綻ばせ最敬礼を腰を折って返す。
「初めてお目に掛かる、魔闘拳士殿。ウェンダット・ポランドンと申す。愚息が迷惑を掛けたかな?」
「いえ、御立派な思想をお持ちだと思いますよ」
それは皮肉ではないと続ける。
「ただ守るべき主義を押し通す事と、無謀な行動は別のところに有るのです。それは学んでもらいたかっただけなので」
「なるほど、これには良い勉強になったと思いたい」
大司教を呼びに走ったであろうヌークトは、恥ずかしげに顔を伏せている。
「世に聞く英雄とは少々異なるお方のようだ。儂も見識が足らないという事か」
大司教もカイに対して、単なる武闘派とは違う印象を抱いたと知ってラエラルジーネは安心する。彼女と大きく違わない判断をされたと思えた。
「ヴァフリー殿、あまり無理を通そうとされるのはいただけませんな?」
一瞬、顔を歪めた商会主だったが、すぐに笑顔の面を被って応じる。
「これは申し訳ございません、大司教猊下。お話のほうが進んでから、改めてご挨拶に伺おうと思っておったのですが、段取りが上手くいかず順番が前後いたしました事をお詫びいたします」
深く腰を折って見せる。
「ですが、この通り皇帝陛下からの迎えの護衛兵が派遣されているのです。事後承諾とはなりましたが、どうかご納得いただけませんでしょうか?」
「ふむ、それに関しては魔闘拳士殿が疑念を抱かれておられるご様子。まずはそちらを解決なさってはどうですかな?」
「なぜそのような事を? この男は我が帝国ともジギリスタ教会とも縁もゆかりも無い者。関係ありませんでしょう?」
あくまでカイは交渉相手ではないと主張しようとするヴァフリー。
「しかし、我が娘はこちらの御仁に思い入れがあると聞いている。誰もが納得出来る形をお望みなら、順を追っていただけないだろうか?」
「…………」
当然面白くないであろう商会主はこころよい返事などしない。
「ここはひとつ、事を荒立てないように進められては?」
「仕方あるまい」
囁くアイゼンフェルトに、ヴァフリーは苦いながらも肯う。執事は、どうあろうと相手は武人、論破出来るものと読んでいた。
◇ ◇ ◇
「では指揮官殿。百兵長でしたか? お名前を伺っても?」
どうやら話を進めていいと思ったカイは、再び相手に向き直る。
「ゼクセン・デュラッカームだ」
ゼクセンは百兵長だという。ロードナック帝国での指揮官階級は、下から十兵長、百兵長、千兵長、その上は、万人単位になる事が多い一翼を担う翼将、一軍を担う頭将、方面軍を担う頭大将、そして軍人として全軍を担う軍帥となる。
この場合の百兵長は、百人を超え千人に満たない部隊を指揮する階級であり、通常は五百人以下とされている。三百人の部隊を率いているゼクセンの階級は適正だと言える。
「デュラッカーム百兵長殿、正式にジーナさんを召喚する指令が下っているというのなら、それを証明する物を見せてください。この規模の部隊を動かすのに、指令書などの書類が何一つ無い筈は無いでしょう?」
具体的な証拠の提示を求めるカイ。
「馬鹿を申すな。指令書は軍内部の機密であり、他国の者に見せられるような物ではない」
「僕自身はどこの国にも属していませんし、そもそも僕が確認しなくても当事者であるジーナさんにお見せしないのはどうかと思われますが、それでも?」
「自分は軍職に在る者である。軍の機密に関わる書状を民間人に提示する事など有り得ん」
理由として弱さを感じるのだが、ゼクセンは頑として拒む。
「仕方ありませんね。では、ここに居る理由を断って差し上げましょう」
百兵長は、彼が何を言い出したのか解らなかったようだ。
◇ ◇ ◇
「失礼」
黒瞳の青年は、隠しから
「あ、クエンタさん、お忙しいところを……、いえいえ、そんな訳では……、そうおっしゃらないでください。今度寄らせてもらいますから。……嘘ではありませんよ。気長に待ってください。……へそを曲げないでください。……ええ、少しお願いが……、ありがとうございます。では、帝国のムダルシルト大商会との取引があるでしょう? ……はい、……確認出来ましたか? では、その取引を今後一切停止してください。その取引先の責任者には犯罪の疑いがありますので」
「なにっ! 貴様!」
遠話器で通話中の言葉尻を捉えたヴァフリーは異議を唱えようとするが、カイに手を翳して制される。
「……はい、帝国領内ですよ? ……ええ、なのでそうおいそれとは戻れませんので。……すみません。なんでしたら、こちらで買い取りますよ? ……おや? それは宜しい事で。……はい、すみませんが人を待たせておりますので、またゆっくり。……はい、それでは」
魔法具をもう一度操作すると、彼はまた視線を送る。
「お待たせしました」
「貴様、何をした?」
「メルクトゥー王国との取引を全て止めさせてもらいました。あの国から貴金属や宝石類が貴方のところに入ってくる事はありません」
「まさか……」
商会主はもちろん、アイゼンフェルトも呆然としていた。
執事は目の前で何が起こったのか理解が遅れた。ここでやっと以前耳にした情報が意識にのぼってくる。メルクトゥーの内乱を終結させ、復興に尽力したのは魔闘拳士だと。
(あれが事実なら、そんな事は造作も無いだろうが、今のは何だ!? まさか今のがあの夢のような道具と言われる遠話装置か? 西方で実用化されたと
アイゼンフェルトは頭を振って気を取り直す。
(いや、それどころではない! ムダルシルト大商会は生命線を断たれた! 待て! まだだ!)
彼は熱が出そうなほど頭を回し始める。
「今ので止めたというのか? 下らん戯言を! そんな茶番に乗るものか!」
ヴァフリーはカイを指差し、喚き立てた。
「そうお思いならご自由に。事実は変わりません」
「旦那様、クエンタ女王陛下と魔闘拳士の繋がりがあるのは本当です。これは由々しき事態です」
「何だと!?」
囁きかける執事に、仰天の声を上げる商会主。だが、弱みを見せるという醜態を悟り、すぐに声をひそめて問い掛ける。
「しかし、先程の猿芝居に何の意味がある? 信じられんだろうが」
「あれはおそらく遠話装置でないかと?」
「遠話装置? いや、待て。聞いた事が有るぞ。あの西方で発明されたという極めて特殊な魔法具の事か? 確か『遠話器』だったか?」
さすがに商売に関わりそうな情報に関しては、ヴァフリーのほうが明確に記憶しているようだ。それなら一目で見抜いて欲しいとアイゼンフェルトは思うが。
「では、してやられたのだな?」
「いえ、まだです、旦那様。我がムダルシルト大商会は終わってなどいませんぞ?」
そう前置きした執事は、主人の耳に挽回策を囁いた。
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