緊迫の教会前広場
ジギリスタ教会クステンクルカ本部前広場は異様な雰囲気に包まれていた。
片や、黄色地に赤いドラゴンを模したロードナック帝国旗を掲げる帝国軍騎兵百余りを中心とした三百の帝国兵。
ひと際目立つ軍装を纏った指揮官らしい騎兵の横には小太りの男が当然のように胸を反らせている。その目は相手方の後方に控えている、波打つ黒髪の若い司祭を見据えていた。
彼女は周囲に「輝きの聖女」の名声を響かせるラエラルジーネ・トーミット。
片や、白を基調とした軽武装を纏った四人の冒険者。
中央に立つのは何の変哲もない黒髪黒瞳の少年かと見紛わんばかりの青年である。むしろ隣で微笑を浮かべる青髪の美貌を誇る女冒険者のほうが目立つであろう。更に燃え立つような赤髪を整えた、身長
ところが、その黒瞳の青年が、東方にまでその名を轟かせる英雄『魔闘拳士』なのだと言う。
昼過ぎに商都の大通りを駆け抜ける一群の姿は人々の目を惹き、噂を呼んだ。何事かと驚いた市民がその後を追うと、部隊は本部教会前に陣取ったという流れだった。
不安に駆られた老若男女は教会前広場を遠巻きに囲み、口々に囁きを交わしつつ推移を見守っている。一体何が始まるのか、彼らには予想だに出来なかった。
◇ ◇ ◇
ムダルシルト大商会の商会主ヴァフリーの執事を勤めるアイゼンフェルトは、主人の横で控えつつも相手の観察を怠らない。
本音を言えば、その黒瞳の青年が本当に魔闘拳士なのか疑わしいと思っていた。まずはあまりに若過ぎる。それに剛拳の拳士とは思えないような細身なのだ。強者特有の雰囲気も精悍さも感じられない。それなりの服を着せれば文官かと思わせるような、理知の光を瞳に宿らせている。
為人が解らない以上、不用意に仕掛けるのは悪手である。当面は彼の主人に流れを任せるべきだろう。
「聖女様があまりに色よい返事を下さらないので、迎えのほうが先に来てしまったではありませんか?」
小太りの商会主は、隣の人物を示しながら皮肉っぽく言う。まるでラエラルジーネが聞き分けが悪いからのようだ。
「そうですな、百兵長殿?」
「うむ、そうだな」
「地位ある方にご足労いただいたのですから、子供のように駄々をこねるものではありません」
肩を竦めて首を振るヴァフリー。
帝国軍指揮官には、事前に口を合わせてくれるようお願いしてある。当面は合わせてくれるつもりのようだ。
「わたくしにはヴァフリー様が何を申されているのか理解に苦しみます。帝都行きの件でしたらきちんとお断りした筈ですが」
「何をおっしゃる」
前もってカイ達に指示されたように、数段高くなった教会入り口から前に出ず、訴えるように声を張る彼女に、ヴァフリーは芝居掛かった風に困った声を出す。
「考える時間は十分に差し上げた筈でありますぞ? 皇帝陛下にお目通り叶って、庇護を請えば聖女様の未来が安泰なのは考えるまでも無いでしょう? 聡明な貴女様ならばすぐにお解りいただけるものと思っておりましたが困りましたな」
「そのような事は望んでいないとお伝えしました」
「ですから、まずは一度帝都に上がって改めてお考えになると宜しい。皇帝陛下の威光に触れれば間違いなく考えは変わりますとも。聖女様ほどにお美しい方であれば、もしかしたらもっと玉座近くに侍る事も可能ですぞ?」
商会主は全く聞く耳を持たない。
「例えば
女ならそれを望むのが当たり前のように言う。
(皇帝陛下に添わせる気満々だろうによく言う)
アイゼンフェルトは思う。
刃主に見合わせるのなど次善の策でしか無いだろう。皇帝に宛がって、あわよくば寵姫となってくれれば、彼女を送り込んだヴァフリーは御用商人への道も開けてくる。その辺りが彼の主人の見込みだと読んでいた。
「どう申し上げればご理解いただけるのか?」
弁舌を得手とするラエラルジーネさえ言い淀ませるほどにヴァフリーの舌鋒は鋭かった。それは彼も弁舌を武器とする商人なのもあるだろうが、十分に練ってきた理屈である所為もあるだろう。
「お考え下さい。もし皇后となられた暁には、帝国全土に聖女様の思想を広めるなど容易な事なのですよ? ひと言述べるだけで、一筆書くだけでそれは触れとなって国内を駆け巡るでしょう。従わぬ者など居りますまい」
(そんな事はあり得ないだろうがな)
刃主が、アイゼンフェルトが聞いた裏社会の噂通りの人物なら彼女など口を挟む暇も無いと思われる。
第三皇子ディムザも皇帝同様に帝国の拡大政策に注力する右派の一員である。国内や周辺諸国を漫遊して諸問題を解決し皇帝の歓心を買っていると言われているが、裏工作を得意とする謀略家だというのが実情らしい。
「そのような方法ではわたくしの思いまでは伝わりません」
「それは時間を掛けて成就なされると宜しい。まずは言葉にすることでありましょう?」
目的と手段が逆転している。そんな方法では、受け取る側は理不尽としか感じないだろうが、効率を旨とする商人にどう説明すれば理解してもらえるかは咄嗟には出てこないようだった。
「ともあれ、こうして迎えの方がいらしているのです。ご迷惑をおかけする訳にはいかないでしょう?」
「うむ、このまま諦めて帰れと言われれば、自分は陛下に合わせる顔がありませんな」
口篭もったラエラルジーネに、ヴァフリーは指揮官を促し、畳み掛けるように繋げてきた。
「そんな無茶な……」
「嘘ですね」
そこへ遮るように黒瞳の青年が言葉を挟んできた。
「何を言う。部外者は口を慎め」
商会主は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「いえいえ、そんな暴論に付き合う訳には参りませんよ」
(出てきたか、魔闘拳士)
アイゼンフェルトは彼の言動に目を光らせる。
「そんな穴だらけの理屈にどうして従えというのです?」
少し前に進み出た彼は、傾注を促すように見回した。
「こう申し上げては何ですが、ここは十分田舎と言っていい地方都市ですよ? 輝きの聖女の噂が広まるにしても、帝都ラドゥリウスに届かせるには相当な時間を必要とします。事実、流しの冒険者である僕達が彼女の噂を耳にしたのは、周辺に近付いてからの事です」
この世界の情報伝達速度はそれほどでない。緊急を擁するものならともかく、噂話となるとその伝播手段は旅人や商隊などが精々だ。
「確かにジーナさんの美しさやその慈善行動は噂になってもおかしくはありません。でもそれは、ただ同然で癒しの魔法を与えてくれる司祭が居る程度の話で、富める者の耳目を引くほどではないのです」
「それがどうした? 聖女様に関しては私が帝都に報告を上げた。これはその結果だと解らんか?」
「それも奇妙な話でしょう? 一地方の商人が上げたくらいの報告が、どうしてこれほどの大国の首長の耳に届くというのです? 信憑性が乏しいにもほどがあるでしょう?」
腕を組み、首を傾げて見せる。
「たとえ報告が耳に入ったとしても、確認するものでしょう? そうした調査の方はこちらに来られましたか?」
「いえ、そのような方とは会った事もございません」
振り返って問い掛ける黒瞳の青年に聖女は否を返す。
「うむ、そもそもそのような話があるのなら、まずは儂のところに話があるのが筋であろう」
聖女の後ろから声を掛けた、泰然とした人物の登場にアイゼンフェルトは顔を顰めた。
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