語らい(2)
まさかカイがそんな風に思っているとは思ってもいなかったチャムは唖然とする。
「え? ど、どういう事?」
彼がとても苦い顔をしているのを見ると失敗したような気もするが、今更後戻りも出来ない。
「僕がジーナさんの傍に居てはいけないんだ」
彼が何を言い出したのか、全く予想が付かなかった。
「僕という力は拓己君やジーナさんのような人には劇薬なんだよ」
驚きに目を丸くして至近距離で見つめるチャムに、彼は自嘲の笑みを返している。
「劇薬って、毒になるって事?」
「そう、調和の柱を身の内に持つ人達には、負担になってしまう」
理解が及ばず、緑眼が揺らめいている。
「確かに拓己君は暴力に苦しんでいた。何の理由もない蛮行に曝され、逃げ場を失わせたのはあの三人に間違いないよ」
復讐鬼と化したカイが鉄拳制裁の上に社会的制裁まで与えた三人の少年達の事である。
「でも、拓己君を最終的に死に追い込んだのは僕じゃないかと思っている」
彼はそんな重大な事をさらりと告げた。
「拓己君が飛び降りる時、最後に背中を押したのは僕」
カイは目を瞑って、言葉を選びながら続ける。
「彼は僕という力を怖れた。その気になればその力を使えてしまう自分を怖れた。そこから解放される為に飛んだんだ」
拓己は、自分が一言「助けて」と言っただけで、全てが片付いてしまうのを良く知っていたのだ。それだけで彼の傍に居る力は解放されてしまう。その暴風は容易に自分を虐める三人を飲み込んでしまい、破壊してしまうだろう。
そうなれば、拓己は間接的に加害者側になる。自ら手を下していなくても、原因となるのは明白だ。彼の信念は絶対にそれを許容出来ず、その精神を苛んでいたのだろう。
拓己はそれほどに追い込まれていたとカイは思っている。出口の見えない暴力と、それを打ち壊してしまう強大な力。その狭間にいて、精神はボロボロに壊されていき、半ば錯乱状態で最後の決断をしてしまった。
もし、彼の自殺を知った時、カイが何を考え何をするかなど拓己には全部解っていた筈なのだ。それが意識に上らないほどに混沌とした精神状態で。
それは怒りの劫火に油を注ぐだけの結果にしかならなかったとあの世で後悔しているかもしれない。
「ごめん……、なさい」
辛そうに謝るチャムの頬はしとどに濡れていた。
「あなたに一番言わせてはいけない事を言わせてしまったのね。思ってはいても口にはしたくなかった言葉を」
背中に回した手に力を込めると、彼の肩に顔を伏せる。涙で濡らしてしまうが、それで彼女の後悔の念を伝えられるなら構わないと思った。
「私がつまらない思い違いと嫉妬をしてしまったから」
その気持ちが伝わったか確かめようと顔を上げようとしたチャムを、殴打音と衝撃が襲って驚かせた。
「何!?」
顔を上げると、カイの食い縛った口の端から血が一筋流れ、頬がじわりと赤く染まっていく。
「ど、どうして?」
「僕は決めていた事が有るんだ」
心配ないとばかりに、微笑みを浮かべるカイ。
「君を泣かせた奴を絶対に許さない、とね。まさか最初の一人が自分になるなんて思ってもいなかったよ」
カイは自分で自分を殴っていたのだ。
「バカね。辛い思いをさせたのは私なのに、なぜあなたが痛い目に遭わなきゃいけないのよ」
熱を持ち始めている頬を撫でながらチャムは苦笑い。
「早く
「あっ! それは勘弁して!」
悪戯な瞳で見つめてくる彼女に、慌ててカイは切れた口中を治療する。
「ふふふ」
再び背中に手を回したチャムは、彼の首元に額を当てる。
出会った頃は彼のほうが少し高いくらいの身長だった筈なのに、今ではそこにぴったりと頭がはまるくらいにカイの背も伸びている。
「私達、何をしているのかしら?」
「うーん……、違う人間、ましてや男女なんだから、これくらいの擦れ違いって普通なんじゃないかなぁ。経験が無いから解らないや」
客観的に見て、それが痴話に過ぎないように見えるとは彼は思っていないらしい。それが可笑しくて、彼女はカイの顎に頭を押し付けるように腕の力を強める。合わせるように彼が腰に回す手の力も少し強まった。
「ふふふ……」
「ははは……」
「何だか恥ずかしい」
「僕はとっくに許容量を超えているよ。脳が沸騰しちゃいそうなんだけど?」
本音なのだろう。未だに抱く腕に硬さを感じる。
「ほんとに
「こんな経験初めてなんだって」
「んふふ」
二人の熱が溶け合って化学反応を起こし、幸福感を生み出しているくらいは気付いて欲しいと思うチャムだった。
◇ ◇ ◇
「ただいま帰りま……、ひょわっ!!」
扉を開くと抱き合うカイとチャムの姿。思わず口から異音が零れてしまった。驚きに硬直してしまい、あんぐりと開いた口からは「あう!あう!」と言葉にならない声を発してしまう。
「し、失礼しましたぁ。ど、どうぞお続けください~」
硬直が解けるとそのままそっと扉を閉じようとする。
「別に構わないのよ。入って来なさい」
「うん、別に変な……、いや、嬉しい事していた訳じゃないから」
チャムが彼の両頬を手で挟むと自分のほうを向かせる。
「どういう意味? 今の状態は嬉しくない訳?」
「いえ、至福です」
フィノの目から見れば、ほぼ睦み合いにしか見えない。
「入って来いと言われてもぉー」
「そうだよ。ちょっと意見の相違を擦り合わせていただけだから」
そう言われても、抱擁を解かない男女の傍に寄れるほどフィノは無神経ではない。
「どんな論理を飛躍すれば、意見を擦り合わせるのに抱き合う必要があるんですかぁ?」
疑わしいという意思表示をするように、半目で二人を見るフィノ。
つまみ食い目当てで彼女に付いて行ったリドも、カイの肩に登って黒髪の頭をてしてしと叩いている。嫉妬しているらしい。
「変かしら? 触れあっていたほうが気持ちは伝わり易いじゃない?」
「チャムの言う通りだよ」
「ひゃわ~ん♡」
手を伸ばしたカイに、髪が指に絡まるほどに頭を撫でられるとフィノは妙な声が漏れてしまう。垂れ気味の目は余計に垂れて細まり、蕩けた顔になってしまった。
「って違ーう! そんな事で誤魔化されませんよぅ! まあ、仲良しなのは良い事ですけどぉ、そんなに露骨だとこっちが恥ずかしくなってしまいますよぅ」
もじもじクネクネとしながら訴えられれば、二人も苦笑を漏らすしかない。
「さあ、こっちの色々は解決したし、あの欲惚け親父をとっちめるわよ!」
そう宣言するチャムの表情の陰りは完全に払拭されている。心なしか頬がツヤツヤしているようににも感じるフィノ。
「と言ってもどうすれば良いのか分からないんだけど」
「自慢げに言う事ですかぁ?」
やっと離れた二人がソファーに着いてくれたので、少しは話し易くなった獣人少女は隣のチャムに突っ込む。その結果、垂れ耳をくいくいと引っ張られてしまい、後悔する事になったが。
「心配しなくても、挑戦状だけはしっかり置いてきたからね」
カイは、ラエラルジーネを拉致しようとした隠密達をムダルシルトの屋敷の玄関先に放り出してきたと伝える。その意地の悪さに二人は顔を見合わせるとけらけらと笑った。
「放っておいても、向こうから仕掛けてくるさ」
◇ ◇ ◇
その頃、百騎を越える騎兵と十数台を数える馬車が商都クステンクルカに向け、土埃を上げながら進んでいる。
旗手らしき騎兵の一人は、黄色地に深紅のドラゴンの意匠が描かれたロードナック帝国旗を掲げていた。
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