ジャンウェンの介入者
商都クステンクルカの中央通りを先触れの騎馬が走り、人々や馬車に道を開けさせる。そこを多数の騎馬が駆け抜けていった。
無茶をやっているように見えて、その一連の流れは整然としており、誰一人として怪我人は出ていない。それが、非常によく訓練された一団の行動だというのを証明していた。
僅かに残る舗装路の馬蹄の痕跡を追って、本部教会前広場に近付くと、一騎の騎馬が突出する。
「待てー!」
先触れ隊が押し分けた群衆の間を縫って、騒乱のただなかに飛び込んできたのは、精悍ながらも非常に整った容貌を持つがどこか少年のような若々しさを感じさせる青年。
「待て待て! この場に於ける殺生沙汰は許さないぞ!」
対峙する者同士の間に分け入った青年は、両手を掲げて両者を圧し留めようとする。帝国軍に睨みを利かし、もう一方に目をやった瞬間、彼は自分が何をしたかやっと気付いた。
「う……、おぉ!」
そこには見た事も無いような強大な獣が二本の足で立っている。少なくともそう感じさせる何かが居た。
「……ちょ、ちょっと待ってくれ! ここでの諍い事は俺が預かる!」
絶句しかけたものの何とか立て直して、後の台詞を絞り出した。
(あら? 若いのにずいぶんと胆力が有るじゃない。今の状態のあの人の前に立てるなんて)
チャムはそんな感想を抱く。
漂わせる気品が、彼が市井の者ではないと教えてくれるが、纏っている部分鎧や腰に下げた剣は儀礼的な物ではなく、使い込まれた実用品に見える。
明らかに心得は有りそうなのだが、それでもあのカイの闘気に怯まないのは、単純に立派なものだと思えた。
「ファクトラン殿か? しばらくぶりだが、また男を上げられておりますな?」
ウェンダットの知己らしく、彼は気楽に声を掛けた。
「大司教猊下、ご無沙汰しております。如何なる状況かは存じ上げませんが、どうかこの場は俺にお任せくださいませんか?」
「うむ、貴殿が参られたのであれば適役であろう」
落ち着いた顔を見せた大司教は、彼に任せるべく口添えに動く。
「魔闘拳士殿、そちらはこの一帯を所領とするジャンウェン辺境伯殿のご子息だ」
「は? 魔闘拳士!?」
応えはカイでなくファクトランから出てきた。
「い、一体何がどうなってそんな有名人がこのような場所に?」
「僕はこちらでもそんなに有名ですか?」
恐る恐る改めて当の人物に振り返ると、そこには先ほどとは全く雰囲気の異なる、黒髪黒瞳の青年の姿がある。たちの悪い冗談でも聞かされたような顔でついジロジロと眺めてしまうが、畏怖さえ感じさせた怪物の影はない。だが、あれがあの『魔闘拳士』なのだとすれば、納得も出来るとファクトランは思った。
「出会いとしては最悪の印象だったかもしれないけど、この人、いきなり噛みついたりしないから安心なさい」
青年の両肩に手を掛け、後ろから顔を覗かせた女性がそんな事を言ってきた。その悪戯げな微笑みを浮かべる美貌があまりに桁外れだった為に、違う意味で圧倒されてしまう。
「酷いなぁ。僕を狂犬みたいに言わないでよ」
「さっきのあなたは、そんな可愛らしいものじゃなくてよ? ドラゴンに睨まれたよりマシって程度の差」
(ドラゴンのほうが大きいだけに過ぎないけど)
チャムは頭の中でそう付け加える。
「ファクトランって言ったかしら? 領主の御曹司。任せろと言った以上は、この場を収めてくださらない?」
「ああ、そうさせてもらおう」
(さて、お手並み拝見)
帝国兵に向き直る気骨のある貴族にチャムは興味の目を向けた。
◇ ◇ ◇
ポランドン大司教に一通りの事情を聞いたファクトランは、指揮官であるデュラッカーム百兵長に疑念の視線を向ける。
「まずは我が領内を何の通告も無く通過した事について弁明を聞こうか?」
「今回の任務はその特殊な性質上、あまり大袈裟に扱うべきでないと判断いたしました」
顔色一つ変えずにゼクセンは淀みなく告げる。事前に準備していた台詞なのかもしれない。
「その判断は、百兵長である君がするようなものだと理解してよいか?」
「……いえ、権限を逸脱している可能性はございますが、我らはたかが三百ほどの兵、後ほどご説明申し上げれば宜しいかと?」
「兵数の問題では無い。少数の哨戒任務であっても、当然通告は有ってしかるべきものであるし、通例として守られている」
ファクトランが領軍を率いてやってきたのは、事前に報告に無い帝国兵の一団が領内を通過していくのを巡回中の領軍兵士が確認し、報告に走ったからである。
「事後通告となった事をお詫び申し上げます。どうかお許しください」
「まあ、特殊な任務であるというのなら頷けない事も無い。指令書を確認させてもらおう」
「それは……」
「俺にも見せられないと言うのか?」
ゼクセンがへりくだった態度を取っているのは相手が貴族だからという理由だけではない。その爵位にも関係がある。
辺境伯という爵位はそれなりに高位の貴族だと言えようが、こと軍属にとっては特別な意味があるのだ。
それは国土防衛上、最前線に位置する所領を持つ貴族を指す。つまり国境防衛戦を行う場合、または国境を越えての軍事行動を行う場合、派兵された帝国軍はその地方の辺境伯の領軍と合同で作戦行動を行う事になる。
逆に言えば、地理情報を把握している領軍の補助無しでの作戦行動は、非常に危険を伴うと言ってもいい。拠って、決してないがしろにしていい相手ではないのだ。
要するに、ゼクセンのようなそれほど高位ではない指揮官は、基本的には逆らってはならない。それが辺境伯本人でなくその後継者であろうとも同じ事である。
「……どうぞ」
百兵長は指令書を差し出すしか選択肢が無かった。
「これは地域巡視指令書ではないか?」
「はい、その通りであります」
「先ほど聞いた話と異なるのだが、これは猊下が嘘をおっしゃったということなのか?」
「いえ、自分が虚偽を申し上げました」
地域巡視指令書とは、単に定期的に小規模部隊が指定地域を巡視し、野盗・盗賊団などの早期発見及び対処を行う任務である。完全に虚偽の指令書を作り上げるのはゼクセンには不可能で、上司に金を積んで発行させたものなのだ。それによって兵を借り受け、この一隊を率いて帝都からやって来ている。
彼は普段、この類の任務に就いておらず、事前通告が必要などとは思わなかった為、このような事態に陥ってしまった。それは、大国の精強な軍に籍を置くという驕りが招いた失敗だと言えるかもしれない。
「なぜ任務と偽ってまで来たのか答えよ」
「そちらのムダルシルト商会主に依頼されたからです」
ファクトランの質問にゼクセンは包み隠さず答えるつもりだ。これ以上嘘を重ねれば物理的にも首が飛びかねない。
「輝きの聖女の価値を高める為に、貴人を帝都に招き入れるような演出が必要なのだと説明されました」
「それで謝礼金に釣られてのこのことやってきたと言うのか? 愚かしいにもほどがある。それでも栄えある帝国軍兵士か?」
「…………」
百兵長には返す言葉も無い。ファクトランの合図で進み出た領軍兵士に後ろ手に押さえられる。居並ぶ十兵長も同様に押さえられ、兵達は皆座らされて武装を放棄させられた。
「商会主ヴァフリー。何か申し開きはあるか?」
睨み付けられ怯えた表情を見せたものの、一縷の望みをかけて口を開く。
「こ、これは領主様を思ってやった事でございます! 聖女を皇帝陛下に差し出せば、必ずや領主様もお褒めの言葉をいただける筈で!」
「陛下の目を引く為だけに大切な領民を売れと言うのか! 痴れ者が!」
一喝された商会主はへたり込んで動けなくなった。
(このうえは、この貴族を人質にでもして逃げるくらいしか無いか?)
アイゼンフェルトは腰の後ろのナイフに手を伸ばしつつ逃走の算段を始めた。
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