ラエラルジーネとチャム
早朝、報告に駆け込んできた家人に起こされ、仮眠を取っていたアイゼンフェルトはその現場に向かった。
隠密組織からの帰還報告を待っていたが待てど暮らせど戻って来ない。万全を期して手勢は全て放出していた為、確認に走らせる手駒も無かった彼は、
しかし、受けた報告は裏の任務の事など知らない屋敷の家人からの急報である。
玄関前に転がされていたのは十五名の男女。皆、縛られ猿轡を噛まされて、眠りの中に居るか唸り声を上げている。当然、全員隠密組織のメンバーであった。
彼が到着すると、唸り声を上げていた者達はピタリと固まった。彼らが目にしたのは、アイゼンフェルトの憤怒の表情だったからである。
彼らの事を、情報収集に走らせていた自分の手勢だと説明した。そうしておけば、家人は勝手に商売敵の仕業だと誤解してくれるだろう。皆の縄を解かせ、待機部屋に向かうよう指示した。
(してやられたか)
アイゼンフェルトは小さく舌打ちをした。
(こちらの企みなど全て解っているという意味だな)
表面上は平静を装っていながら、内心で歯噛みする。
(旦那様が出向かれた時に、直接この目で見ておくべきだったか?)
(どんな奴だ、魔闘拳士!)
◇ ◇ ◇
昨夜、監視の数がいつもより多い事に気付いたファルマは、すぐにカイに報告に戻ってくる。
翌朝、ベッドの中にカイとファルマの姿を確認したチャムは、首尾よく事が進んだのだと理解し、彼らをそのまま寝かせておくように話してラエラルジーネが教会に向かう馬車の警護に向かったのだった。
この頃になると、ラエラルジーネは教会への往復にも警護が付いている事に気付き、それを彼らに話している。元々特に隠すつもりも無かったカイ達もすぐに認めて当たり前の事のように振る舞っていた。
「おはようございます、チャム様」
馬車に並走する青い
「おはよう。よく眠れたのかしら?」
「はい、ゆっくりさせていただきました。
「
「あら、何かございましたか? お身体の調子が悪いのでしたら、これからお寄りしても宜しいですけど」
「ありがとう。そういうのではないのよ。それより、教会に着いたら少し時間をもらえる?」
更に意外な提案が来た事に、彼女は目を丸くした。
普段の素っ気無い態度や言動の内容で、チャムは決して自分を好きではないのを察していたラエラルジーネは、チャムから歩み寄ってきてくれるとは思っていなかったのである。
「もちろんですわ」
これが彼らとの関係をより親密にする糸口になるのではないかと心を浮き立たせた。
教会で合流した三人を応接間に案内しようとしたラエラルジーネだったが、それは遠慮された。
「それほど込み入った話ではないのよ。お願いがあるだけ」
窓際の席に彼女を着かせたチャムはさっぱりとした口調で告げたが、流れる青髪から覗く美貌には陰りがある。
「あの人に守らせてあげて。貴女は特別なの。彼は普段、そんなに強引でもあんなに従順でもないのよ」
「ヴァフリー様からですか?」
「気付いてたの?」
赤毛の美丈夫は驚いているし、獣人少女も不機嫌そうな目付きになっている。
「さすがにあれほど露骨に勧誘されれば。あの方も商売人。簡単に引き下がる訳もございませんから」
「解っててやんわりと拒みながら、やってくるのを待って寄付を引き出しているって言うのね? 隅に置けない人」
「これでも商人の娘です。本当は聖女と呼ばれるほどの清らかな乙女などではありませんのよ」
見せる笑みに妖艶さが僅かに混じる。それなりの強かさは有るというのだろう。
「それでも手に余るはず。よくご存じでしょうけど手段なんか選ばない人種なのよ」
「いざとなれば大司教様にお出ましいただきます。その権限に抗えるほどの力はありませんでしょうから。出来るならわたくしのところで済ませたいのが本音ですけど」
それでも読みの甘さは有る。彼女は昨夜、ヴァフリーが極めて強引な手段に出ようと画策したのを知らない。だが、全くの無防備で無いなら少しは安心出来るというものだった。
「カイ様が気に掛けてくださるのは、この容姿の所為なのでしょう? もしわたくしの本性に触れたら離れて行かれるのではないですか?」
どうやらラエラルジーネは、カイが見た目や雰囲気に惑わされていると思っているらしい。
「それは無理な相談ね。何もかも似過ぎているわ。絶対に無視出来ないほどに」
「それは、あの方が大切にしていた方のお話しですよね?」
「本当は私が話してはいけない話なんだけど……」
拓己が彼女と同じく調和を重んずる平和主義者であった事。カイにとって、まるで対になるような存在であった事。その彼が、故無き暴力の対象にされてしまった事。そして、苦しんだ挙句に身を投げて死んでしまった事。
それがこの世界とは異なる世界での事とは告げず、語れる事実だけを伝えた。
「そのような事が……」
話の途中からラエラルジーネは
「貴女には知る理由があると思うわ。いいえ、違う。知って欲しかったのね、私が」
「守れなかった事を強く悔いていらっしゃるのですね?」
「それだけじゃないわ。あまりに強過ぎた怒りの炎は、あの人の理性の一部まで焼き尽してしまったの。その奥に潜んでいたものがいつでも表に出られるくらいに」
扉は開きっ放しになっているのだ。首輪を掴んでいる彼自身が手を緩めれば、いつでも獣が姿を現す。世界最強かもしれない獣が。
「わたくしはどうすれば?」
「あの人の枷になって。あの人を鎖で繋ぎ留めて」
「そんなにまでしないといけないのですか!?」
話が佳境に差し掛かる前に、フィノがトゥリオの背を押して遠くに連れて行ってくれた。今はラエラルジーネとチャム、二人だけだ。恥じる事無く本音を伝える事が出来る。
「彼を解き放ったタクミはもう居ない。私ではあの人を抑え込む事も、癒す事も出来はしない。貴女だけが……、タクミと同じ姿と心と言葉を持つ貴女だけが彼を本当に癒す事が出来るの」
ずっと心の奥で感じていた思いを吐露する。足りない事が悔しかった。心ごと抱き締めたくとも手が届かないのが辛かった。情だけを利用して無理矢理抑えているのが歯痒かった。
でも、彼女になら出来るのだ。きっと彼を丸ごと包み込んで癒してあげられる。彼を普通の人に戻してあげられる。それを託せる相手が見つかった。
「あの人をお願い」
「それはわたくしに可能な事なのでしょうか? カイ様の本質を一番理解しているであろうあなたを差し置いて」
優しさと辛さと望みがない交ぜになって歪むチャムの表情が、ラエラルジーネは納得出来ないでいるようだった。
◇ ◇ ◇
「ふぅー」
長い長い吐息で応じるカイを、ラエラルジーネは睨んでいる。
「聞いてしまいましたか?」
「話させてしまったのは貴方です。同じ女性としてあんな顔をさせるのは忍び難いとしか申せません。少し怒っているのですよ?」
目覚めてから出向くといきなり彼女に腕を引かれて、教会の隅で説教されるとはカイも思っていなかった。少し考えてからその言葉を告げる。
「解りました」
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