守るという事
その
なので、トーミット家を出た馬車には紫のセネル鳥が追随していた。
いつもは清掃に精を出している子供達も買い出しの援軍に駆り出されているのか、クステンクルカ本部教会聖堂内も閑散としており、暇を持て余すようにカイは窓から外を眺めていた。
ラエラルジーネは面談者の対応で応接室に入っていて、その姿を初めに認めたのはヌークトである。
「用が無いなら来るなと言っているだろう?」
慣れで遠慮が無くなってきているヌークトにも、カイはいつも通り穏便な受け答えを返す。
「用は出来るかもしれないのですよ?」
「下らん謎掛けに付き合っている暇はないぞ?」
「その割に暇そうですけど」
「皮肉を言うな。見ての通り、
ヌークトはカイの横に立つ。
背で言えば彼のほうがカイより少し高い。確かに身体の厚みや筋肉質な腕などを見れば違いは明白ではあるが、それでもこの黒瞳の青年があの『魔闘拳士』だというのには慣れない。
実際にカイは強い。話に聞く巨大なガントレットも、その銀爪も一度ならず目にはしている。だが、少年達の心を湧き立たせる英雄の名が、全く暴力的な感じのしないこの腰の低くて饒舌な、それでいて今のように物静かな一面を見せる男に見合わないように感じてしまう。
彼も一般人の心の在り様を学んでいる最中だし、積極的に多くの人々と言葉を交わしてその内に触れる努力はしてきているつもりだ。しかし、年若く見えるこの青年の心の深淵は、齢を重ねた賢人の内を覗いたように掴みどころが無かった。
「なぜ力に頼る?」
頭の中を駆け巡る疑問が零れ出るようにヌークトはカイに問い掛けていた。
すぐに気付いたが、出したものはそうそう引っ込められない。内心の動揺を覆い隠すように畳み掛ける。
「自分で言うほど物分かりが悪い訳ではないだろう? 弁舌も立つ。人当たりも良いほうに見える。そんな君なら交渉で物事を解決する事だって難しくはないのではないか?」
「そうですね」
彼が内心を量るように疑問をぶつけてきたのに驚いた様子を見せたカイだが、それも一瞬の事で落ち着いた声音が返ってきた。
「僕も対話による和解が正しいとは弁えているつもりです。それで収まるのならば収めたい気持ちは有るし、そのほうが傷付く人が少なくて済むとも理解しています」
「それは心も身体もという意味なのだな?」
「ええ、もちろんです。ですが儘ならないのも現実で、説得に応じてもらえない事も多々あるのは、ここ最近の経験で貴方も解って来たでしょう?」
ヌークトはそれを否定出来ない。自ら
「それでも自制して、粘り強く対話を試みるのが大人というものだろう? 人が獣との一線を画しているのは理性を持ち得たからだと思わないか?」
「僕はその理屈を全肯定はしません。獣とて理性を備えているものも居ます」
そう言いつつ、肩の小動物の頭を撫でる。
「ちゅーい!」
「ものの例えだ。全ての獣がそうとは言っていない。人と協調して生きている獣も少なくはない」
「ご理解いただけて幸いです」
今の会話の流れが横道であるのを彼も認める。
「僕一人の事であれば辛抱強い交渉をするのも当然ですし、事実そうしているつもりです。しかし、いかんせん、それで守れるのは自分だけなのです」
ヌークトは疑念に眉を顰めて見せた。
「自分だけとはどういう意味だ?」
ヌークトにはカイが何を言っているのかまるで解らなかった。
「自分自身の事であれば、身体の痛みは命に関わらない限りは耐えられます。心の痛みは得られる物が有れば忘れられます。己が尊厳を捨てない限りは大抵のものは取り戻せます」
彼は胸に手を当て、それは自分の中で処理出来る問題だと示した。
「でも、それは他の人にまで押し付けられないものでしょう? どれか一つだって、その人にとっては耐え難いものかもしれない。そんな苦難に晒されても、それでも理性的に振る舞った結果なのだから受け入れろと言えるのですか?」
自分には無理だと言わんばかりに首を振って見せる。
「それは自分への良い訳でしょう? 人の道に外れぬ行いをせずに済ませられたと自らの心を守っているだけなのではありませんか?」
「違う!」
面談を済ませて相手を送り出し、礼の頭を上げてところでその一言がラエラルジーネの耳を打った。何事かと扉の影から覗くと、二人の男が窓の前で向かい合っている。
(ヌークト様とカイ様? どうして?)
決して馬が合う訳でない二人が、仲良く談笑しているとは思えない。なぜ、そんな事になっているのか、彼女には解らなかった。
「そんな利己的な理由で対話と調和を説いているのではない! 解り合い認め合う、そんな人の在り様を説いているのだ」
憤然とヌークトは言い返してくる。
「そこに至るには、多くの時と言葉を要するのではありませんか?」
「それでも暴力よりは建設的だ!」
「では、和解に至るまで貴方はどうやって大切なものを守るのですか?」
誰もが最初から議論に応じてくれる訳じゃない。きっかけは必要だ。
「身体を張ってでも守ると言った! 無抵抗主義を貫く覚悟はある!」
「容易に打ち負かされ、押し退けられる貴方がですか? どれだけ殴られようと蹴られようと揺るがないほどに身体を鍛えていますか? 最低限の努力さえしていないように見受けられます」
身体の各所を指差されてヌークトはたじろぐ。
「どれだけ傷を受けようが剣を振りかざされようが揺るがぬ意思を持ち得ていますか? 暴力の前に気丈に見せても本当は震えていた姿を知っていますよ」
心の弱さを指摘するように胸を指差されて、彼は顔を顰める。図星を指されて抗弁に困っているのは明らかだ。
「貴方には準備する気持ちも無ければ覚悟も無い。そんなものは信念でも主義でもなく、ただの主張です」
「違……!」
「違いません。それでは誰も守れやしない」
ビクリと震えたヌークトは悔しそうな表情を見せながらも、視線を床に落とすしか出来なかった。
出るに出られなくなったラエラルジーネは聞き耳を立てる。話が進むにつれて、その内容はカイの本質に近付きつつあるような感じがして、胸に留め置こうと真剣に耳を傾けた。
言葉では糾弾しながらも、その面は落ち着いている。ヌークトは、カイのその様子を見て、糾されているのではなく問われているのだと気付いた。
「私にも揺るがぬ身体と挫けぬ意思を求めるのか? その為には払うべき代償も有ると?」
「貴方にどうしても守りたいものが有るなら、惜しむべきものではないでしょう?」
カイの行動は、その覚悟と対になっているように感じた。
「君のその暴力は……、信念に基いて行使している……。そう言いたいのか?」
戸惑う心を表すように、彼は途切れ途切れに訊いてくる。
「その結果が、英雄的行為として伝わっていると?」
頷く黒瞳には迷いも無ければ後悔も感じられない。
「僕の大切な人の中にも、貴方やジーナさんのように暴力を嫌う方も居ない訳ではないでしょう。でも、嫌われても構わない」
言い切る彼は、譲らない姿勢の表れだと思わせる。
「血塗られた手から目を逸らされようとも、乱暴者と
その毅然とした横顔は、カイの人生を表すように鋭さを見せていた。
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