値踏みする目

「どんどん程度が下がってくるわね?」

 そう評したのはチャムである。


 その後も騒乱を起こそうとする者が現れるが、そのランクは下がって今は街のごろつきや食い詰め者が精々。身体強化の入っていない者達が幾ら束になって掛かってきたところでカイ達の敵ではない。さほどの時間も掛けずに撃退の憂き目に遭っている。

 同じく教会に入り浸る老人達や手伝いの子供達からは、やんやの喝采が飛ぶようになってきている。半ば見世物のようになってきてしまっているのだ。


 無論、それは教会関係者から見れば憂慮すべき事態であり、ヌークトなどは凝りもせずに横槍を入れ、小言をちくりちくりと吐き付けてくる。どこ吹く風というカイの態度に余計に激する事も少なくなかった。


「きっと手詰まりになってきているのですぅ」

 囁くように予想を述べてくるフィノにチャムも頷いて返した。

「あれだけ魔闘拳士ここに在りって吹聴すればね」

 確かに効果的ではあると思う。だが、あれほど頑なに名乗りたがらなかった通り名を口にするカイの姿は、チャムの胸のもやもやを助長するだけだ。

 それはどれだけ彼がラエラルジーネを大切に思っているかの証明なのだから。


   ◇      ◇      ◇


 教会の日常が変化してきたその頃、教会前広場に一台の作りの良い馬車が停車する。


「やあやあ、久方ぶりの事になります、聖女様。なにぶん忙しい身の上でありまして、どうかお許しいただきたい」

 小太りの身体を揺らしつつやってきた男は、開口一番弁明を口にした。

 そして、「これはお詫びの印です」とジャラジャラと音を立てる皮袋を供の者に出させると、それをラエラルジーネの傍に控える助祭に手渡した。

「いつもお心遣いありがとうございます、ムダルシルト様。これで救われる者が数多くおります。貴方には必ずや御神の恩寵が有りますでしょう」

「いやいや、このくらいの事などこの街に暮らし商いをするものとって、お客様にご恩をお返ししているに過ぎません。どうか心置きなくお納めくださいますよう」

 その言葉に、彼女も助祭も深々と一礼すると、助祭は袋を捧げ持って下がっていった。


「ところで、小耳に挟んだのですが、最近教会が騒がしいようですね。心配しているのですが、大丈夫なのですか?」

 ヴァフリーは窺うように言って寄越す。

「ご心配お掛けしまして申し訳なく思います。今のところは教会でのお勤めにも支障は出ておりません。お耳汚しをお詫びします」

「聖女様がお謝りになられるような事では御座いませんよ。ただ、卑小の身としては、御身に万一の事が有りますれば一大事と思いまして」

「ヴァフリー様のようなご立派な志を持って商いを成されている方のお心に留まるとは、光栄な事ですわ。御神に捧げしこの身は、天運に恵まれているのか大事ございません。これも陽々ひびのお祈り有っての事と思います」


 ラエラルジーネが天に祈りを捧げる姿は清らかそのものである。カイ達には、その彼女を見るヴァフリーの目は畏敬を抱くのではなく、出来の良い商品を眺める目に見えてしまう。世慣れているとは言え、他人の善意を疑う事を戒めているであろう彼女は、その真意を読み取れないのだろうか?

 彼らが知り得た情報は一つの可能性を示しているが、それはどこまで行っても疑念でしかない。彼らが先入観にとらわれている以上、それを告げるのは彼女にも先入観を与えるだけの結果にしかならないだろう。不用意に告げるべきではないと思われるのであれば、今はこのままそっと警護を続けるのが正解だと考えていた。


「それは宜しい事で。しかし、その僥倖がどれほど続くのか、つい思ってしまうのですよ? 聖女様さえ宜しければ帝都に上がって皇帝陛下の庇護下に入る事をお勧め申し上げます。貴女様ほどの方はこのような田舎で雑事に煩わされず、祈りの陽々ひびをお送りいただきたいと愚考いたします」

 ヴァフリーはそれが真心からの言葉であると強調するように、忙しない動作を繰り返しラエラルジーネを掻き口説く。

「有難い申し出だとはわたくしも思います。しかし、あまりに高き場所は向いておりません。わたくしの小さな声はそのような場所からは人々に届かないと感じてしまうのです」

「それなら尚更でございますぞ? 中央であれば、貴方様のお言葉に同調なさる方々は幾らでも居りましょう。感銘を受けた一人である私が保証いたします。なれば方々がそのご高説を広めるお手伝いをして下さるのは間違いないと思いますぞ?」

「そのようなものでしょうか? ですが、わたくしも未だ二十歳に届かぬ若輩の身。今は人々の側に身を置いて自らを高めたく思っておりますのよ?」

 悠然と微笑んで彼女はカイのほうを指し示す。

「現在もあの方を改心させたく思っているのですが、その心に届く言葉をわたくしは持っておりませんでした。それでも努力は忘れたくはないのでございます。いつかこの声があの方の心に届きますようにと、その思いは傍に寄り添ってこそ生まれてくるのだと思いますの。こうした交流が、この身を高めてくれるものと信じております」

 豪商の男は、初めて気付いたかのようにカイを見た。


 静かな佇まいとは裏腹に、その雰囲気は得も言われぬ迫力を伴っている。深みのある黒瞳は真っ直ぐにヴァフリーを貫いており、そこに秘められた意思は彼を飲み込むかのように感じさせた。

 見た目はただの若造に見えるが、ただならぬ気配に背筋を悪寒が走る。しかし、そこまでは分かっても彼が件の魔闘拳士だとは見抜くことは出来ず、すぐに興味を失ってしまった。


「君、こちらの聖女様は我が帝国の宝なのだぞ? 君も臣民ならば、そのお心を煩わせたりなどせず、その意に従い膝を折るべきだろう。そして、快く送り出して差し上げるように」

 途端に見下すように変わった視線には臆せず、黒瞳の青年は言葉を返す。

「それがの方のお望みであるのならば、やぶさかではございません。ですが、どうやら市井に身を置いて広く世界を見つめる事をお望みのご様子。まずはその言葉に耳を傾けるのが敬意というものではないでしょうか?」

「ほう? 一丁前の口を利くではないか? ならば、私の勧めの正しさもいずれ理解出来るだろう。今は口を出さずにいるが良い」

 一顧だにせず切って落とすヴァフリー。


 振り向いて再びラエラルジーネを口説こうと口を開きかけた彼は、そこに新たな人物の姿を見出した。

 裏で施設管理の用向きに忙殺されていたヌークトは、数多くの供回りを引き連れた豪商の姿を見て取り、出遅れた事を悟った。


「またいらしてらっしゃったのですか、貴方は?」

「お言葉でございますな、ポランドン司祭様」

 開口一番、過去の悶着を感じさせる応酬がある。

「確かきちんとお断りした筈ではありませんか? ジーナ嬢は帝都への伺候になど応じたりはしませんよ?」

「ですが司祭様、このところ騒動続きだと聞き及びましたぞ? 今のところは何とか切り抜けておいでのようですが、長続きはしないのではありませんか? ここは私の進言通りどうか彼女をこの帝国で最も安全な場所に送り出して差し上げるべきだと思いますが」

 強引に押してくるヴァフリーに、ヌークトは努めて表情を変えないように応じる。

「何度でも申し上げます。我が教会の司祭であるラエラルジーネ嬢は、当教会とひいては私が必ずや守りましょう。神に誓ってこの身に代えても守護する!」

 その言葉とともにカイを窺った彼は、その瞬間だけ睨み付けるような視線を送る。


 その後は不毛な押し問答が続き、豪商が身を退く形となったのだった。

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