教会の守護者

 ヌークトは不機嫌そうな顔も隠さず去っていった。

 冷静さが足りないところは褒められたものではないと思うものの、情熱的な宗教家であるのはそれほど悪い事ではないように思える。人とその心を集める声の大きさと熱さは有るだろう。

 足りないものが多いのも発展途上を感じさせて、親近感に繋がるかもしれない。


「あまり責めないでくださいまし。ヌークト様はとても優秀で将来有望な司祭様なのですよ?」

 たおやかな女性司祭が、穏やかに諫めるように言う。

「そうなのかしら? あんなにもすれていないところを見せられると将来が心配にならない? 何か他人事に感じないんだけど?」

「こっち見んな!」

 とばっちりを食ったトゥリオは非常に面白くなさそうだ。

「純粋で真っ直ぐなのは信仰への姿勢に変わりありません。上に立って導くのはあのような方だと思っています」

 ラエラルジーネは、自分を低く置いてそう語った。彼女自身は、指導者的立場でなく信仰を寄せる人々に寄り添う立場だと思っているらしい。


 ヌークト・ポランドンは要するにエリート司祭である。

 彼の父はこのジギリスタ教会クステンクルカ本部の大司教。つまりこの商都クステンクルカの教会を束ねる立場にある。なので、彼自身も幼い頃から教会に出入りしており、年嵩の信徒達に良く知られているという訳だ。

 小さい頃から次代と期待されて厳格に育てられたヌークトは、宗教的に凝縮された存在として今に至る。信仰に忠実で純粋に成長しており、その混じりけの無さが世間知らずと思わせているのかもしれない。

 本来なら選ばれた者としてもう司教となっていてもおかしくは無いのだが、今は世を知る期間として司祭の立場で信徒と身近に接するよう教会に置かれている。そういう意味ではポランドン大司教は傑物であり、彼を段階的に成長させようという意図が見える。

 ただ、まだ角の取れないヌークトが表に出ている今は、周囲の者にとっては大変な状況だとも言える。その辺りは様々な信徒や状況に接する事で変化を促そうという考えなのだろう。


「少し大目に見てあげて欲しいのです」

 ヌークトの立場を語ったラエラルジーネは、そう言い添える。


 彼女自身は商家生まれの子であり、それなりに世間を見てきているので人々の生活や考え方も弁えていて、その中で理想論を唱えるバランス感覚を持っている。現実に今も生家に居る間は父親の客が求める面会に応えたり、その中で見知りした事を司祭として活かしている部分もあるのだ。


「わたくしは立場的にも能力的にも恵まれていると言える状況にあります。ですが、ヌークト様もわたくしも平和と調和と安寧を願う気持ちには違いがありません。それだけはどうかご理解いただけますでしょうか?」

「貴女方の祈りが世界にあまねく届く事を願っております」


 カイが浮かべる笑顔の裏に諦めが漂っているのをラエラルジーネは気付く事が出来ない。


   ◇      ◇      ◇


 カイ達が乗るセネル鳥せねるちょうがラエラルジーネが乗った馬車の後に続き、トーミット家の門扉近くまでこっそり警護をして到着すると、そこにはファルマの姿がある。

 何事も無く一が終わって夕暮れ時のこの時間からは彼女の領分であった。


「頼むね、ファルマ」

「任せるにゃー」

 彼女の役目は、輝きの聖女の身に何かが起こった時に、すぐに報せに走るというものだ。トーミット家を監視する者達の目を欺いて、更に警戒する役目となると彼女が適役なのだった。

「だから忘れちゃダメにゃよ?」

「解っているよ」

 手に乗るくらいの小さな木箱が手渡される。

「これが有ったら幾らでも頑張れるにゃー!」

「ほどほどにね」

 蓋を開けて青い欠片を取り出すと口に放り込んだ。

「溶けるにゃ~」

「食べるのは構わないけど気を抜かないようにしなさいよ?」

「大丈夫にゃ」

 身悶えする灰色猫にチャムが釘を刺しておく。


 今朝、五人で打合せの席で出されたモノリコートをいたく気に入ったファルマは、夜番の警護の条件にこの青い甘味を所望した。

 それには特に否やは無い。負担の大きい役目を彼女が受けてくれるなら安いものである。板モノリコートを割って欠片にした物を、木の小箱に詰めて彼女に渡す事になった。


 こうしてラエラルジーネの二十刻24時間警護体制は整えられたのであった。


   ◇      ◇      ◇


 二は何事もなく過ぎ去る。三目の昼過ぎ、足音高く入り込んできたのは冒険者らしい一団であった。


「なんだぁ? お前らも例の件か? それならこっちが先約だ。譲れ」

 すぐさま立ち塞がったカイ達を見下ろした力自慢の大男は怪訝な顔で口を開く。

「何の件かは存じませんが、何をしようとしているかは予想が付きます。悪い事は言いませんからお引き取りを」

「ちっ! 手前ぇら、横入りかよ? 邪魔すんじゃねえよ!」

「構わねえ。やっちまえ」

「待ちたまえ!」

 身体を張って止めに入ったのはヌークトだ。

「騒ぎは止せ。用が有るなら聞こう。だから暴力は控えてくれ」

「用だって? はっ! 俺達の用ならこれだぜ!」

 胸を突かれて尻餅を突いた青年司祭は、足蹴にされて身動き取れなくなる。

「何をする! 話なら聞くと言っているだろう?」

「解んねえ奴だな。こいつが俺達の用だってくらい解らないのか?」

「げふっ!」

 踏まれた腹に体重を掛けられたヌークトは咳き込むような声を上げた。


 ニヤニヤ笑いを顔に張り付けた大男だったが、無手の青年がいつの間にか真横に移動しているのに気付く。


「お前……」

 風切り音がしたと思うと、その首が傾く。大男は糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。顎に一撃入って脳を揺すられた所為で一瞬にして昏倒したのだ。

「この野郎!」

「やりやがったな!」

 仲間達が息巻いて前に出てきた。


「くそっ、ギルドに訴えてやるからな?」

 鼻息の荒い連中だったが、敵う訳もなく床に沈められた。

「出来もしない事を言ってはいけません。どうせギルド外で受けた直金払いの仕事でしょう?」

「何を言ってやがる!」

 しらばっくれようとする冒険者達に、肩を竦めて見せるカイ。

「こんな依頼を、社会貢献義務のある冒険者ギルドが通す訳ないでしょう? 『教会内で騒ぎを起こしてこい』なんて、一蹴されるに決まっています」

「…………」

 図星だったらしく反論は帰って来なかった。

「逆に冒険者ギルドに訴えられたくなかったら、さっさと退散すべきですよ?」

 口汚く罵りながら立ち去ろうとする冒険者達にカイは言葉で追い打ちを掛ける。

「不埒な考えをするようなお仲間に伝えておきなさい。教会には魔闘拳士が居るぞ、とね?」

「なっ! あの噂、本当だったのか!?」

 見返す黒瞳に圧力を感じた男達は転げるように去っていった。


「どうして言葉の通じない獣のような奴らが……」

 トゥリオに引き起こされているヌークトは悔しそうに顔を歪めている。

「ヌークト様!」

 少し強い語調で名を呼ばれて我に返る青年司祭。


 青痣の絶えない陽々ひびが続けば罵りたくもなるだろうと思うトゥリオだったが、彼らにとっては厳に慎むべき言動なのだろう。彼の手を振り払ったヌークトは、汚れてしまった司祭服を着替えるべく裏手に戻っていく。


「また、あなたは……」

 振り向いたラエラルジーネが、カイに非難の目を向けた。

「いけないと伝えて、納得いただけたと思いましたのに」

「申し訳ございません。見ての通りの武骨者で物覚えが悪いのです。どうかご容赦を」

 整然と言い訳をする青年を見ていると、彼女は自然とため息が口を吐く。

「あなたを更生させるには工夫が必要なようです。時間をください」


 眉をへの字にするラエラルジーネに、カイはただ笑い返すのみだった。

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