お風呂会議

「少し頭を冷やしてくるね」

 そう言ってカイは、パープルの背に乗ってクステンクルカを出て行った。もう陽暮れ時だが、彼に限って心配は無いので見送る。


 ファルマが宿を移ってきたので、今は女子部屋は二人部屋から三人部屋に変えてもらっている。何となくの呼吸で、三人で浴場に向かった。


 パーティーに加入した頃は恥ずかしがって仕方なかったフィノも、今ではチャムに遅れないように素早く服を脱ぐようになっている。ファルマは屈託のない性格からか、さっさと脱いでしまう。

 高級旅宿の浴場は十分に広く、十人くらいでも問題無さそうな広さがある。まだ時間が早い事も有って、貸し切り状態であった。


「はふぅ~、力が抜けるにゃよ~」

 身体を流してすぐに湯船に浸かったファルマが吐息を漏らす。

「何も訊かないのね?」

「人には色々事情があるにゃ。詮索すれば逆に溝が出来たりするにゃ」

 時折り、大人びた雰囲気を漂わせるこの灰色猫を、チャムは奇妙な人物だと思う。何か憎めないというカイの言葉にも納得出来た。


 青髪の美貌は先に自分の身体を洗浄草を溶かした桶の湯で洗う。白く滑らかな肌が浴室内の温度で徐々にピンク色に染まっていき、それを白い泡が覆っていく様は艶かしくもあった。


「眼福、眼福にゃ」

「なに中年男みたいな事言ってんのよ」

 言い方は問題だが、そう言いたくなる気持ちもフィノには解る気がする。

「チャムさん、髪洗いますね」

「ありがとう。お願い」


 フィノは獣人であるが故に、指には太い爪が生えている。こまめにヤスリで角を落としてはいるものの、人族の平たい爪に比べればどうあっても鋭い。しかし、彼女は爪を引っ掛けて傷めないように、腰まである美しく艶やかで長い青髪を優しく器用に洗い流していく。これだけ長いのに毛先まで痛みの無い髪を羨ましくも思いながら。


「じゃ、交代しましょ」

「はーい」

 綺麗に洗った青髪の湿気を軽く取って洗い布で頭上に纏めると、チャムはフィノを洗う事にする。


 とは言っても、フィノの肩までで切り揃えた栗色の髪は洗ってある。今からチャムが流すのは背中である。

 手の平を除いて腕を覆う毛皮の毛足はそれほど長くなく、長い物でも精々2メック2.4cmほど。しかし、背中は毛足が長く全体に4メック4.8cm前後は有る。しかも、普段は服の下になる為にカールしていて自分で洗うとなるとなかなか骨が折れるのだ。

 白地にところどころブチが有るものの、乾いている時はふわふわで触り心地の良い毛皮でも、地肌まで綺麗に洗おうとすると人手を借りたほうが確実であり、一緒に入浴する時は毎度のようにチャムはこの犬系獣人の背中を流している。


「大丈夫? 痛くない?」

「気持ち良いですぅ~」

 爪を立てないよう、指の腹で毛皮の根元、地肌まで撫でるように泡立てていった。


 フィノは自分で毛皮の無い首元から下腹部までを洗う。地肌なので洗い易くはあるのだが、豊かな乳房の谷間や下は念入りに汗を流しておかないと荒れてしまう場合もあるので気を付けていた。

 その後は足に移る。腕と同じく毛足の短い足はそれほど手間ではないが、最近はカイが短いスカートとスパッツのような肌着しか作ってくれないので晒される事になる。なので、長ズボンを常用していた頃に比べたら遥かに丁寧に洗っておかねばならない。


「ひゃうん!」

「あ! ごめんなさい。言うの忘れてたわ」

 ふくらはぎ辺りを洗っていたら、背筋が痺れるような感覚が走り、変な声が出てしまった。


 チャムが敏感な尻尾に触れたのでそんな事が起きてしまったのだが、慌てて振り向くと彼女が目を細めて悪戯っぽい表情を浮かべているので、わざとだと分かった。

 チャムはそこだけ更に毛足の長い尻尾を洗うのが好きなようである。長い毛だと10メック12cm以上は有るし、中ほどから先のほうなら簡単でも根元のほうまで自分で洗おうとすると、お尻を突き出して非常に不格好な姿勢を取らなければいけない。一人の時ならともかく、こういう大浴場では避けたいものである。

 その為に任せることが多いのだが、尻尾の付け根辺りは特に敏感なので触れる時は声を掛けてくれるように頼んである。だが、たまに彼女はこういう悪戯を仕掛けてくるのだ。

 まあ、今陽きょうは先の出来事で固くなっているフィノの緊張をほぐす為だろう。こういう時に大人な対応が出来るチャムに敬意を忘れられないフィノである。


「ほら、あなたもふやけてないでいらっしゃい」

「洗っちゃいますよぅ」

「にゃ!?」

 泡を洗い流したフィノに、ファルマは湯舟から引き上げられてしまった。


 ファルマの灰色の毛皮は全体に毛足が短い。その為彼女のプロポーションが如実に表れてしまっている。胸はそれほど豊かでないが、全体にスレンダーな身体からすると絶妙なバランスの上に成り立っているように見える。

 人族の目から見ても、彼女は美猫であった。


「にゃーん。何だかお姫様になった気分にゃ」

 二人に挟まれて言われるがままに洗われているファルマはそんな事を言う。

「あなたも女の子なんだから清潔にしなさいよ」

「でも、羨ましくなるくらい綺麗な毛皮ですぅ」

「そうかにゃ?」

 無地の灰色で色ムラもない毛皮は、フィノには羨望の対象になるらしい。


「いつもはあんな事無いのよ、彼」

 後ろに立って藍色の髪を泡立てながらチャムはポツリと言う。

「今、関わっている女性の事は、あの人にとってとても繊細な問題なの」

「トーミット家のお嬢様の事にゃ。輝きの聖女だにゃ」

 自発的に情報収集をしているような斥候士スカウトが、そんな有名人の事を知らない訳が無いのは当然だろう。もしかしたら彼女とムダルシルトの関係も把握していたかもしれない。

「相場の五倍の報酬を用意するわ。出来る限り彼に協力してあげて」

「チャムさん……?」

 気遣わしげに見上げると彼女の表情には陰りがある。しかし、その瞳にある決意の光は煌々と輝いていた。

「いつも頼りっきりだったんだから、今回だけはあの人をどうしても助けてあげたいの」

「それはフィノだってそうですけれどぉ」

「このままじゃ終われないから。絶対に……」

 フィノはその悲壮感が漂う台詞に何かを感じてしまうが、それを口にしてはいけないような気がした。


「そんなに大切かにゃ? 魔闘拳士が」

 チャムはビクリと体を震わせる。

「耳が早いわね?」

「昼過ぎから裏社会の連中が駆けずり回っていたにゃよ。荒事の専門家にゃ。そういう事には敏感にゃ」


 力の行使に慣れている分だけ情報にも聞き耳を立てている。相手を選ばなければ自分達の存亡にも関わるのだ。

 軍を始めとした国家権力、有名武術家、有力冒険者、絶対に事を構えてはいけない相手となる様々な人種が存在する。その中でも『魔闘拳士』というのは最大の脅威になり得る存在だろう。

 英雄譚サーガに歌われるような義を重んじる人物が、簡単に金や女でほだされる可能性は極めて低い。ましてや恫喝など逆効果でしかない。一つ間違えば駆逐の対象として目を付けられてしまう。それだけは避けねばならない事態だろう。


「心配しなくても良いにゃよ? ファルマもカイがとっても気に入ったにゃ」

 任せろと言わんばかりに笑みを浮かべる。

「喜んで協力するにゃ~」

「フィノも頑張っちゃいますよぅ。カイさんをつらい目に合わせたりしませんから!」

 二人の言葉にようやくチャムの表情は穏やかになっていく。それでも内心には決意が漲っていた。


(納得出来る形でないと終わりになんてしない。それが私のけじめ)

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