暴力の否定

(子供の頃のカイは、拓己と二人の時にこんな風だったのかしら?)

 悄然としている彼を見ていると、チャムはそう感じてしまう。


 騒ぎを聞いて駆け付けた衛士に気を失った暗黒街の輩を暴行の疑いで引き渡し、やっと落ち着きを取り戻した教会堂内でカイはラエラルジーネを前にしている。


「まずは守ってくださったことに感謝いたします」

「はい」

 言葉少なに、しかし真っ直ぐに彼女を見つめてカイは答える。

「ですが方法がいけません。頭ごなしの暴力は全てを壊してしまいます」

「ええ、貴女のおっしゃる通りです」

 声に張りは無いものの、それでもきっぱりと肯定する。

「彼らとて無理を言って来ていたのは事実です。でも、話し合いの余地が無かった訳では無い筈です」

「確かにそれは否定出来ません」

 困ったように眉を下げながらも、彼女の言葉に従う。

「誠実に向かい合って言葉を尽くせばご理解いただけたかもしれないのです。カイ様はそれをしませんでした」

「それは僕の落ち度です」

 それが可能だったかどうかはともかく、自分の非だけを認める。

「話し合う努力を忘れてはなりません。相互の理解に努めるのが人としての正しい在り方です」

「そう在るべきだと理解しております」

 一も二も無く賛同の言葉を返す。

「あなたの行動は手本とはならないものでした。子供達に見せてはならない大人の姿です」

「返す言葉もありません」

 瞑目して頭を垂れ、反省の意を示す。

「どうしてなのですか? わたくしに見えたあなたの姿はもっと冷静で誠実な方だった筈です」

「僕は……」

「無駄ですよ、ジーナ嬢」

 口元の血を拭いつつ、ヌークトが口を挟んでくる。

「この者にあなたの高説など通じようもありません。人を殺めて英雄と呼ばれた男なのですから」

 彼は忌々しげにカイを睨みつけた。


「こいつ、何も知らねえ癖に……」

 さすがにトゥリオが気色ばむ。

「止めておきなさい。今、口を挟めばカイが困るだけよ」

「ここで威圧的に振る舞えば、お二方からはあの無法者と同じ目で見られてしまいますぅ」


 彼らも反論したい場面ではある。しかし、それが逆効果にしかならないのも間違いない。ここでこじらせて、カイがラエラルジーネに軽蔑されるような状況にはしたくない。面白くはなくとも口を噤まねばならないのだった。


「どれほど言葉を尽くしても彼のような人間は変わりませんよ」

 意図するところは異なると見えるが、内容だけは的外れではない。

「事実です」

「カイ様……」

「すみません、確かに血塗られた道を歩んできました。それが僕です」

 彼が無理して浮かべた笑顔の向こうに、大声を上げて泣く子供の姿が見えたような気がした。

今陽きょうはお暇します。どうか身の周りにはお気を付けて」


 行かせてはいけないような気がしたラエラルジーネだが、伸ばした手は彼の背中には届かなかった。


   ◇      ◇      ◇


 宿の部屋に戻ると、既にファルマがカイのベッドで丸くなっている。


「まったく、この猫は!」

 皆の気も知らずとは言えない。彼女はこちらの事情を知らないのだ。

「帰って来たにゃーん! 調べてきたにゃよー」

「早かったね。ありがとう。聞かせてくれる?」

「簡単だったにゃー」

 それはそうだろう。後ろ暗い取引だというのならともかく、ムダルシルトが普通に扱っている物の調査だ。掴む手段は幾らでもあろう。


 ムダルシルト大商会は大店だけあって大概のものは扱っていると言える。カイが知りたがったのはその中でも主要品目と言える物だった。

 交易品としては鉱物類が多いように見える。その中でも大きな利益を上げているのは貴金属及び宝石類であるようだ。跳ね上がった交易量が今の収益を支えていると考えられる。


 交易品以外として商会が手広く扱っているものは、かなり分野が違っている。それは治療院経営であった。

 一般の治癒専門でやっている魔法士は、構えとしてそれほどの空間を必要としない。それこそ治療院として構えなくとも、自宅に患者を招き入れている場合も一部ではあるくらいだ。

 彼らの商品は治療であり魔力なのだから、在庫など不用なのである。その分、魔力が枯渇に近付けばそのは閉店するしかない。なので、利用者視点で見れば不安定な存在であると言えよう。


 そこに一石を投じるのが商会などが経営する大型治療院である。

 そこで治療に当たるのは治癒を専門職とする魔法士ではない。最も多いのは冒険者ギルドや魔法士ギルドに所属するフリーの回復魔法士である。

 彼らはそれぞれのギルドから依頼があればそれに応じるが、無ければ身体が空く事になる。生活にゆとりがあれば休んでも構わないだろうが、そうでなければ別の方法で収入を求めなければならない。

 その受け皿となっているのが大型治療院の存在である。身体は空くもののその間に治療院を営むほどではない者や、自宅に患者を招いて治療を行うのを嫌う者が、ギルドに常に掲示されている依頼に応えて大型治療院で業務に当たる訳である。

 回復魔法士側としては安定した収入源になる利点が有るし、患者側としてはそこにいけば間違いなく治療を受けられ、待ち時間も少なくて済む利点がある。

 都市と呼べる規模の街ではよく見かける施設で、クステンクルカではムダルシルト大商会が一手に経営している施設らしい。


「その経営が思わしくないらしいにゃ」

 その結論には誰もが簡単に到達する。

「そりゃそうだろうな。ここには輝きの聖女様が居るんだぜ? 誰がそんなとこに高い金払って通うってんだ?」


 大型治療院はその便利さとうらはらに、一般の治療院に比べて割高なのは事実である。

 派遣された魔法士は一律でなく、患者数に応じた依頼料を受け取る仕組みだ。それぞれ魔力容量が異なり、診られる患者数も違うのだから当然と言えよう。

 治療費には仲介手数料や施設使用料が加算されている。受け取る側からも差し引かれるが、払う側の負担も大きい。


「彼女の評判が広まると共に、利益は落ち込んでいく訳ね。それも長期的に」

「司祭様をこの商都から追い出したいのですぅ?」

「それだけじゃなさそうにゃ」

 ファルマは自慢げに尻尾を揺らす。

「商会主ヴァフリー・ムダルシルトは、輝きの聖女を帝都に献上する事で歓心を買い、一気に中央との取引を拡大させる思惑が有るんだと思うにゃ」

「有り得るな。商売人ならそう考えるだろうぜ」

 情報収集役が予断を交えるのは危険ではあるが、それは皆の頭に薄っすらと浮かんでいた考えなので誰も指摘はしない。


「……またか」

 その一言が小さく、しかしはっきりと部屋の空気を揺るがす。

「また、力持つ者が我欲の為だけに誰かを従わせようとするのか?」

 徐々にその声に秘められた興奮は増していく。

「また、その意に従わないからと言って暴力を突き付けて相手を屈服させようとするのか!?」

 ソファーに座る黒髪の青年からは、殺気に近い空気が漏れ始めている。

「人間という生き物はいつも貴い心持つ者を! 優しい心持つ者を! 美しい心持つ者を! 足蹴にして悦に入って笑うんだ! いつもいつもいつもいつも! いつもだ!」

 それは既に危険域に入っていると皆に知らせる鐘の音だった。


「待って!」

 慌てて立ち上がったチャムがすぐに駆け寄り、カイの頭を胸に掻き抱いた。

「まだよ、まだ! 忘れないで! まだ彼女は何の被害も受けていないわ! 傷一つも負っていないのよ?」

 その言葉を馴染ませるように黒髪を撫でる。

「彼女は……、死んでなどいないわ。まだ間に合うの。解る?」

 ラエラルジーネと拓己を重ね合わせて暴発しそうな彼を、敢えて踏み込んで抑えようとした。

「お願い、戻って」

「そう……、だね。彼女は拓己君じゃない……。これも僕じゃない……」

 自身がまともな精神状態でないと認めた事で、チャムは少し安心する。

「ごめん、ありがとう」

「いいのよ」


 それでも彼女はしばらくその手を離さなかった。

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