襲い来る暴力

 荘厳な雰囲気に似つかわしくない輩の乱入に、教会堂内は不穏な空気が充満し始めた。

 奉仕活動の後片付けに働いていた助祭達はその場で動けなくなり、手伝いに来ていた孤児院の子供達は小さく悲鳴を上げ、身を寄せ合って固まる。自然体で居られたのは荒事に慣れている冒険者四人だけだ。


「何だ、君達は? 礼拝ならもう少し静かに入ってきたまえ!」

 それでも多少は肝の座った者も居たようだ。一人の青年が剣呑な男達の行く手に立ちはだかる。

「礼拝だとよ。お前、そんなもんに縁があるか?」

「ねえよ。教会なんぞ女に付き合ってしか来た事ねえし」

「へっへっへ、神様、お願いしますってか?」

 残念ながら彼の声は届かない。逆に茶化される始末だ。怯みもしない男達に、それでも青年は抵抗の意思を示す。

「神聖なる教会堂での乱暴狼藉は許されない! 帰りなさい!」

「なかなかいい度胸じゃねえか?」

「はははは! ガフ、乱暴狼藉がどんなのか教えてやれよ!」

「ああ、そうだ、なっ!」

 言い終える前に青年の鳩尾にガフと呼ばれた男の拳骨が潜り込む。肺の中の空気を押し出された青年が大きく呻き、信じられないものを見る目で相手を見た。

「何だ、その目は? 叱り付ければ俺が何もしないとでも思っていたのか? めでてえ奴だな」


 おそらく男の言う通りだろう。青年は暴力とは無縁の人生を歩んできたようで、自分に何が起こっているのか把握していないようだ。そうでもなければ、何の心得も無くこれだけの数の男の前に出て行ったりはしない。


「おっと、こいつだろう、輝きの聖女様は?」

 青年を殴り付けて蹴り避けたガフが、ラエラルジーネの前に迫る。

「うちのボスがお風邪を召しちまってよう。ちょっと来て癒してくれねえか? お待ちかねなんだよ」

「苦しんでいらっしゃると?」

「おう、あんたは誰でも分け隔てなく癒してくれるんだろう?」

「はい、教会へお越しくださるのなら、この神に賜りし癒しの力をお分けいたします。そうお伝えください」


 舐めるように見てくる男に、彼女は毅然とした態度を崩さない。その実、突然訪れた暴力の前に前で組んだ手元や膝が細かく震えている。

 集まった子供達の中には泣き出している子も居て、その泣き声にさえ「うるせえぞ!」と後ろから声が飛ぶ。ラエラルジーネにもその子達の前で逃げ出す訳にはいかないという意識が働き、支えているのだと思われた。


「そう言わずに付いてきて治してやってくれよ。ボスは気前が良いから礼ははずんでくれるぜ。こんだけ美人なら、その後に良い思いもさせてくれるかもしれねえしな」

「ひゃひゃひゃ! それなら俺も手伝ってやれるぜ!」

 一斉に下卑た笑いが追随する。彼女にその意味は通じなかったようだが、恐怖感だけはいや増していた。


「いい加減にしておきませんか?」

 その時になって、ガフは初めて一人の冒険者風の青年が歩み寄っていたのに気付く。

「何だ、おま……」

 肩に置かれた手を払おうとした男は、既に目前に拳が迫っているのには気付いていなかった。


 鈍い打撃音が堂内に響き、何の構えも取っていなかったガフはその場でクルリと回転し、床に頭を打ち付けて一撃のもとに昏倒した。

 数にものを言わせて威圧する事ばかり考えて入り込んできた男達は、暴力的な空気を纏っているのは自分達だけではない事をこの時になってやっと察する。


「手前ぇ! やりやがったな!?」

「ぶっ殺すぞ、こらぁ!」

 そんな恫喝などカイに効く訳もないが、その効果は彼の後ろにいる者達に効果を及ぼす。

「教会堂内で暴れるのは止めたまえ! ここはそんな場所じゃない!」

「ヌークトの言う通りです! やめてください、カイ様! 暴力はいけません!」

 先に殴られた青年はヌークトというらしい。彼に続くようにラエラルジーネも止めに掛かる。

「無理です」

 冷めた口調の応えが返ってきた。


 当然のようにチャムとトゥリオも参戦して、状況は乱戦に移行していく。


「下がっていてください」

 ラエラルジーネとヌークトの前に入り込んだフィノがもしもの為にロッドを構える。魔力のうねりが、彼女が攻撃魔法の構成を編んで準備している事を示している。

「いけません、魔法まで使っては! それは天与の才です!」

「いいえ、これはフィノの能力ちからですぅ。自分が使うべきと判断した時に使いますぅ。それに念の為。あのくらいでしたらカイさん達だけで十分ですぅ」

「そんなっ!」

 しかし、目の前ではフィノの言う通りの状況が展開されていた。


 剣を抜いたチャムは踊るように男達の間に入り込むと、剣の腹で顔面を殴打し剣の柄を腹に放り込み、簡単に打ち倒していく。トゥリオが抜いた大剣は、物理的圧力を伴っているかのように感じられる威圧感を放ち、その一振り一振りで相手を吹き飛ばしていった。

 だが、カイは無手のまま淡々と、一人また一人と重い打撃音と共に相手を殴り倒している。その様子が、剣による流血を伴わない加減した攻撃より、素人目には非常に野蛮なものに映った。


「止めて! 止めて、お願い!」

 悲痛な響きの声に、カイは一度振り向き小さく首を振った。

「どうして……」

(分かってくれないの?)

 その言葉は形を成す事無く、暴力の前にラエラルジーネの内へ落ちていくのだった。


 十呼50秒としない内に、僅か二名となってしまった男達は既に及び腰になっている。


「き、貴様ら、何やったか分かっているんだろうな!? ブラナファミリー相手に喧嘩売ったんだぞ?」

 その台詞を吐く口元が震えているのだから底が知れているが、どうやら彼らはこの商都の暗黒面に属する暴力組織の一員であるようだ。

「こんなもんじゃ終わらねえぞ? 思い知れ!」

「マルチガントレット」

 その、両腕同時展開の起動音声トリガーアクションと共に、カイの腕の二倍以上は有りそうな太さの武骨なガントレットが出現した。

「魔闘拳士相手に事を構える度胸があるのなら、幾らでも仕掛けてきなさいと伝えれば良いでしょう」

「「え!?」」

 差し上げた右手の平からは、鋭い銀色の爪が立ち上がっている。それは何物でも容易に引き裂いてしまいそうな、凶悪な輝きを放っていた。

「ちょ、ちょっと待て! 嘘だろ? 魔闘拳士って!」

「嘘だと思うのなら試してみると良いですよ? その代り、命を失う覚悟はしてくださいね?」

 爪がゆっくりと握り締められて拳の形を作り、魔闘拳士を名乗った青年がとてつもない闘気をゆらりと揺蕩たゆたわせる。

「無敵の銀爪!」

 それは死の宣告に近い脅迫だった。


 瞠目し、声にならない台詞に口をパクパクさせた男達は、ストンと腰から落ちると慌てて地面を引っ掻くように四つん這いで背中を見せると、振り返る事無く遁走していった。


「魔闘拳士……」

 ラエラルジーネは呟くようにその名を口にした。


 の英雄の名は、彼女でさえも耳にしている。子供の頃に、両親に連れられて行った晩餐会に招待された歌い手がその英雄譚サーガを朗々と歌い上げた。子供達の期待に、弦楽器を手にした吟遊詩人が教会前広場で囲まれて、絶妙な歌い回しで披露した。

 それは勇敢なる英雄の活躍が綴られたうたである。それと同時に、彼女にとっての『魔闘拳士の詩』は、彼の血に塗れた過去をも示していると感じた。


「……カイ様?」

 その英雄は既に闘気を収め、行動を非難していたラエラルジーネを窺うように見てきている。その瞳には不安の色が微かに含まれていると感じる。


 彼女は今から叱られる子供のような空気を放つ英雄に掛ける言葉を探していた。

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