闇夜の猫
この夜の
家々から零れる蝋燭の明かりや魔法の灯火の光、そして星明りだけの通りを音も無く疾走しているのに、まさか背後を取られるとは思わなかった。
咄嗟に
当の人物から殺気は感じない。殺意が有れば、最初の接触で一撃食らっていただろう。そこまで一瞬で判断して彼は少し力を抜く。
「追います」
危険が無いのならば追跡を優先すると判断したカイは、そう口にして再び暗い通りを駆け抜ける。
「遅れたりしないにゃ。全力で行くにゃ」
「…………」
当然のように追随する人物に彼は一瞥もくれずに追跡を続けた。
相手がどれほど足が速かろうが、カイのサーチ魔法の範囲から逃れるのは容易ではない。一気に加速した彼らは、再度監視者の背中を見つける。
夜闇の追跡劇は、その終着点まで終わらなかった。
◇ ◇ ◇
報告に走った監視はとある屋敷の裏門に達すると、面通しを受けてそのまま中に入っていった。
残念ながら二人は同じ経路は通れないので、おのずと別の侵入経路を探す事になる。
その辺りも高級街区で、更に奥まった場所に位置する。通りは馬車の往来用に広く取られて舗装されているが、路地は狭く丈高い壁囲いが相互に接近して作られていた。
カイは三角跳びの要領で、反対の壁を蹴って壁上に着地する。一定間隔で外向きに傾げられた鉄棘が立っているが、それも器用に避けていた。
中に番犬が放たれていないか探っていると、背中にトンと重みが掛かる。
「重いですよ」
「こんな美猫相手に失礼な男にゃ。そんなんじゃモテないにゃよ?」
いけしゃあしゃあと鉄棘を避けてカイの背中を着地場所に使った人物は、彼を詰ってくる。
「僕だって相手と言葉は選びます。いきなり足蹴にしてくるような人に気遣いなんて出来ませんよ?」
「これは一本取られたにゃ」
「面倒なんで、名前だけ訊いておきます。僕はカイ。答えたくなければ結構ですけど?」
「ファルマにゃ。可愛いくて役に立つファルマちゃんの名前を頭に刻み付けるにゃ」
肩に手を突いておぶさる形になったファルマは、カイの頭をポンポンと優しく叩く。
「行くにゃよ、カイ。しっかり掴まっているから、優しく着地するにゃ」
「注文の多い猫ですね?」
同じ跳躍をして彼より高く舞う身体能力が有るのだから、壁上から飛び降りるのくらいは訳無い筈なのに、背中から離れる気は無さそうだ。諦めたカイは内部に向けて身を躍らせた。
先の監視役の行き先はカイが掌握している。庭木を利用してとんでもない跳躍をし、三階の窓台に張り付いて中の様子を窺う。
同様の跳躍を見せて隣に張り付いているファルマが、手招きのような仕草をすると、中の会話の内容が少し聞き取り易くなった。
「どうかにゃ?」
ニヤリと笑った彼女が囁いてくる。
「役に立つという部分は認めましょう」
ファルマは明らかに隠密行動に特化している。
先ほど見せた仕草はおそらく拡声魔法を起動させる動作だろう。彼女はトリガーアクションを音声でなく動作に割り付けている。
それはこういった静粛性を必要とした場合に、起動に音声を使っていては話にならないからだ。それでは見つけてくれと言わんばかりである。
二人は室内の会話に耳を傾けた。
「報告しろ」
それまでは執事らしき男が屋敷の主に話し掛けていたが、やっと報告役が部屋に通されたところであった。
「大きな動きは有りません。いつも通り、輝きの聖女は帰宅し、それ以降は外出する様子は窺えませんでした」
「変化は無しか」
「ただ、昼間に教会前で聖女の説法を聞きに来た旅人の様子がおかしく、それに気付いた聖女がその男と連れらしき三人を教会内に招き入れました」
内容の無い報告に渋い顔をしていた主が、鋭い視線を送る。
「何者だ?」
「一人は東方人。西方人らしき男と獣人女。それと青い髪の女はどこの出かまでは」
「妙な組み合わせだな。何を話していた?」
「全ては読み取れなかったのですが……」
監視役はそう前置きする。
彼らが窓から、遠見の魔法か道具を使って覗き見ていたのまではカイも把握している。唇の動きを読み取って内容を聞かれていた事も。
「ほとんどは宗教談義のようなものでした。旅先で聖女のうわさを聞き付けた旅人がクステンクルカに立ち寄っただけのようです。聖女の奉仕活動に興味を持って近付いてきたようです」
「それで?」
「おそらくは運良く注意を引けた東方人が聖女との面談に漕ぎ着けたようで、それで話し込んでいただけのようでした。最終的には納得して席を立ったようです」
主の興味は薄れかけているように見える。
「ふん、よくある話だ。そいつらはただの旅人なんだな?」
「尾行もさせましたが、見るからに流しの冒険者といった風情でした。どこにでもいるような東方人と、赤毛の大男の大剣使い。獣人女が剣を下げていなかったところが気にはなります。それと青髪の女剣士は、これがどこの貴族かと見紛うようなとてつもない美人でしたが」
「ほう、その女……? いや、何でもない。今はそれどころではないからな。もう良いぞ。下がれ」
「はっ」
報告役の男は一礼して部屋を出ていく。
「やはり間違いなくジーナさんは監視を受けていたようですね?」
半ば独り言のようにカイは囁く。
「何だと思っていたにゃ?」
「本人にそうと気付かせない教会側の警護という可能性は捨てきれませんでした。だから確認が必要だったのですが」
「悪いほうの予感は当たるものにゃ。世の不条理なところにゃ」
「悟ったような事を言う猫ですね?」
「ただの物見遊山か」
室内の会話は続いている。主の言葉に、執事は頷いて見せた。
「おっしゃる通り、良くある旅人に聖女が興味を示しただけかと思われます。
「うむ。視野が広いのは結構だが、それならこちらの話にももっと乗り気になって欲しいものだ」
「そうでありますね。旦那様のせっかくのご厚意にはなかなか首を縦に振らないくせに、妙な人間ばかりに興味を示すとは何事でしょう?」
無論それは
「まあ、そう言ってやるな。あれの見目の良さと癒しの力はもっと広まって有名になり、価値をどんどん上げてもらわねば困る。それでこそ帝都ラドゥリウスに送り込んだ時に高く売れるというものだ」
「とんでもない事言い出したにゃ」
ファルマは目を丸くしてカイの様子を窺う。
「聞き捨てなりませんね。どうやらあの監視は何らかの陰謀の予兆のようです」
「監視は続けさせろ。あまり要らぬ事をあれの耳に吹き込もうとする輩が居れば痛めつけて遠ざけるように。聞かんようなら始末しても構わん。何とかする」
執事は深く腰を折って了解の意を示す。
「しかし、このままでは聖女はいつまでたっても旦那様の意に従わぬのではありませんでしょうか?」
「それに関しては色々と考えておる。言った通り、足の付きにくい人間を集めておけよ。追って指示する」
「仰せのままに」
指図を受けた執事は再び深く一礼して下がっていった。
「これは厄介事の匂いしかしないにゃ」
「そうですね。付いてきてください、ファルマ」
カイの言葉に猫系獣人はニッコリと笑みを見せる。
屋敷を後にした二人は、夜の街路を駆け去っていった。
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