悲しい予感
「では、僕達のような荒事師は貴女にとって敬遠すべき存在なのではありませんか?」
チャムやトゥリオの表情が微妙になってきたので、代弁するように言う。
カイはもちろんだが冒険者をやっている以上、無抵抗主義や調和主義など耳に不快な思想である。完全に守られている側の論理であり、明らかに士気を下げる論調なのだ。
「いえ、だからこそ寄り添っていきたいと思います。極力、無益な争いは避けるようにお願いしていますから」
「でも、貴女の生活もその争いの上に成り立っているとは思いませんか?」
「はい? 戦争など無くとも人は生きていけますよ?」
博愛主義者にありがちな事だが、彼らの意識は人という範疇の括りを越える事はあまり無い。ペットのような近しい命までは見えていても、全ての命が視界の中に納まっている訳ではないのだ。
彼らが安全に暮らしていけるのは、手を血に染める人間の上でこそ成り立っているとは考えない。
逆に言えば、だからこそその思想を貫いて行けると思う。彼らは見えすぎると壊れてしまうのだ。太く強い柱を維持するには狭い視界こそ必要であり、常に命と向かい合う稼業の者とは根幹で相容れないところがある。
だからと言ってカイはその思想を否定する事は無い。それも社会の多様性で可能性であると考える。
荒事師には命の境い目が曖昧になる問題がある。命の遣り取りに意識を食われて、排除を余儀なくされる命とそうでない命の区別が怪しくなってしまう。それも不要とは言えない多様性であり、どっちもどっちなのだ。
「そうですね。人同士の争い事は良くないというのは僕にも理解出来ます。僕達も時に省みながら行動しなければなりません。それに気付かせてくださるのは貴女のような方ですね」
「お解りいただけたようで嬉しいですわ」
ラエラルジーネは花のように笑った。
◇ ◇ ◇
チャムはラエラルジーネを子供だと思う。
大切に大切に汚いものにあまり触れさせず、純粋に純粋に邪念を交えさせないように育てられたのだと感じられる。
チャムは宗教家ではないのでそれが正しいのかどうかは分からない。もっと現実を見て汚濁に触れなければ、とも思わない。
そういった者の大志が歴史を動かした例も枚挙に暇がなく、人が大きく指向を持つには平凡からの浮上ではなく最初からの無垢である事も望まれるとは分かる。
では、守りたいかと言えばそれは否だ。ラエラルジーネのような存在には、成し得る事と成し得ない事が明確に分かれていると考えるからだ。
それこそ今すぐ席を立って別れを告げたいと思う。だが、彼女の望みに必要となるであろうカイは、おそらくラエラルジーネの中に何かを重ねていると容易に察せられた。
「でも、人の争いというのは原初の欲求や感情の中からも生まれてくるのですぅ」
それまでリドと手を取り合って遊んでいたフィノが、急に深刻な声で告げてきた。
「物事の理屈、価値観、利益、それだけから生まれてくるのなら語り合えば解消出来ない事も無いとは思いますぅ。それが正しい道なのもフィノだって分かっていますぅ」
抱かれたリドが心配げに「ちゅ?」と彼女を見上げる。
「何もかもを話し合いで解決するのは無理……、難しいと思うのですぅ」
断言しなかったのは彼女の譲歩だろう。
要するにフィノは、スーチ
彼女の境遇は獣人社会の無理解から来たものではない。異なる者への怖れや忌避感という始原的な感情に拠るものだ。
そういう者が生まれるという偶然に理解が及んでいても、群れる存在として容れざるべきと感じてしまうからの事である。この乱れを嫌う感情は話し合いでは容易に解決出来ない。
努力が足りなかった彼らの罪ではなく、起こるべくして起こる事だとフィノは思いたい。誰も悪くはないのだ、と。
「それも心豊かであれば解決出来る問題なのではありませんでしょうか?」
ラエラルジーネは笑みを崩さない。
「ちょっと待てよ! そりゃ、フィノの周りの人間が心貧しいのが悪いっつーのか?」
「いえ、それは違いますよ。その方々は知らないだけなのです。人は誰も神の御許に於いて平等であると。わたくし達神の使徒の力足らずが悪いのです。それはお詫びしなければなりません」
彼女は穏やかに頭を下げるるが、それを悔いる様子は見られない。未来にそれが成し遂げられると信じて疑いもしていないのだろう。
「世界にあまねく愛と調和と寛容を広めなければなりません。わたくしはその為にこの力を分け隔てなく用いる事で示そうとしています」
「お題目は解らねえ事はねえがよぉ、それじゃ今は目の前の人間しか救えねえだろうが?」
「悲しい現実です」
痛みを感じたかのようにラエラルジーネは胸に手を当てる。
「努力が足りないとおっしゃるのでしたら、その責めは甘んじて受けましょう。ですが、わたくしはその歩みを止めるつもりはありません。誰もが今しか見られなければ、未来にはもっと悲しい現実がやってくると思うからです」
「そうじゃなくて! 目の前の人間を思いやるくれえ……」
「いいです! もういいですから! トゥリオさん、フィノは大丈夫ですぅ」
激し始めたトゥリオを、フィノは慌てて止める。彼女もつい零してしまっただけで、それで言い争いになるのは本意ではないのだ。
「目に見えない現実の事でまでジーナさんを責めちゃいけないよ、トゥリオ。神の使徒と云ったって、彼女もこの場に居て世界の全てを知っている訳じゃないんだ」
「だがよ!」
「僕だって何かしてあげられる人はこの手が届く範囲に居る人だけ。トゥリオだって守れるのはその大盾の後ろに匿える範囲だけでしょ? それでも、自分の知らない遠くまで手を伸ばそうとしている彼女を咎める権利なんて無いんじゃないかな?」
「…………」
そう言われると返す言葉は無い。自分に出来ない事を他人に押し付けるほど彼も子供ではない。それでも面白くないのは確かなようだ。
「フィノも問題無いよね? 西方の獣人郷の問題はほとんどの事が好転に向かっている筈なんだ。物的な豊かさを得る事で人の心にもゆとりが出来るから、変わっていくと思うよ」
「はい! それはもうカイさんには感謝の言葉もありませんですぅ」
それ以上トゥリオが興奮しないよう、フィノは務めて明るい声を出した。
「お陰で苦しむ人は少なくなって、笑顔がいっぱいになっていくのですぅ。もしかしたら贅沢を覚えてしまう人が出てくるかもですけど、それは獣人達で解決しなければならない問題なのですぅ。皆が助け合う気持ちを忘れなければ、大丈夫だと思いますぅ」
「それはとても美しい光景ですのね」
軽く事情を聴いたラエラルジーネは、我が事のように喜んでいるようだった。
「助け合い支え合う方々が幸せになっていく。それは神の御心に適う素晴らしい未来です。心から祝福いたしますわ」
「ありがとうございますぅ」
「カイ様もとても善い行いを為されました。あなたにも神の祝福を」
ラエラルジーネは彼を認め、カイも彼女を擁護する様子を見せる。やはりカイは彼女に特別な思い入れを感じているようだ。
それはチャムに、とうとう訪れた別れの時を予感させるのだった。
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