痛みの記憶
ラエラルジーネは自らの不明を恥じた。
彼女が紡ぐ言葉で、大の男が滂沱の涙を流す事も少なくはない。それに慣れ切ってしまっていたのだろう。
彼の涙の訳はあの状況を鑑みれば察しても良かったものを、不用意に触れてしまった。
「ご、ごめんなさい! わたくし、何て不躾な……」
内心の慌てぶりを表すように、彼女の手が彷徨う様子を見せる。
「お気になさらず。ずいぶん前の事になります。僕の中でもう整理がついていますので」
「でも、思い出してしまったのでしょう?」
青髪の美貌の口の端がピクリと動くが、彼女は気付かない。
「そうですね、貴女はあまりに似ていましたので」
ゆっくりと語り始めた青年の声に、ラエラルジーネは耳を傾けた。
◇ ◇ ◇
「大変失礼な話なのですが、実は彼なのです」
カイはそれをまず詫びておかねばならないと思った。
拓己は紛れもない男である。だが、彼と違ってとても柔和で整った顔立ちをしていた。
時に女顔だと言われる事も多かった拓己は、それこそ化粧でもすれば誰もが誤解するような美形であったのは間違いない。
いつかの親戚の集まりの時に叔母の一人がふざけて彼に化粧を施した事がある。その結果は言わずもがなで、一部の酔っぱらいを除けば皆が冗談として笑い飛ばせないような出来だったのである。その時はカイも呆けた顔をして、拓己に見入ってしまったほどだった。
しかし、それを拓己本人はあまり快く思っておらず、からかう大人に珍しく苦言を呈したりもした。
「タクミ君は同じ
その言葉にラエラルジーネは恥じ入る仕草を見せる。
彼女とてそれが彼を目立たせてしまい、不幸な結果を生む一因になったとは想像も出来なかっただろう。
ラエラルジーネは、波打つ髪を腰の上辺りで切り揃えている。その黒髪は、光の角度によっては極めて深い藍色を映し、濡れたようにキラキラと輝いた。
細面の白い顔にある、ぱっちりとした二重の目に茶色い瞳が映えている。日本人には見られない特徴であるスッキリと通った少し高い鼻も、相似点に挙げられた。僅かに違うと言えば、化粧っ気も無さそうに見えるのに程良く赤い唇くらいだろうか?
しかし、それは些細な違いで、拓己を知る人物であれば間違いなく彼を想起させるほどに似ているのだった。
「生き写しというほどではありませんが、あまりに似ていてつい思い出してしまったのは事実です。決して貴女に原因がある訳ではありませんので、お気になさらずとも大丈夫です」
穏やかな笑顔に安心したのか、彼女が踏み込んでくる。
「お聞きしても?」
「すみませんが、あまり口にするような事ではありませんので。ただ、彼は苦境に遭って耐え切れずに自ら命を絶ってしまいました。救う事が出来なかった痛みが、消える事の無い熾火のように僕の中に眠っています」
「わたくしはあなたを癒して差しあげたいと望みます。でも、あなたはわたくしを見るほどに痛みを思い出してしまうのですね?」
「大丈夫ですよ。先ほどはあまりの不意打ちで、感情に食われそうになってしまいましたが、もう冷静でいられます」
カイは射貫くかのように彼女を見る。
「貴女は彼とは別の人間です」
「この人、こんな物腰だけど冒険者よ。過去の詮索は控えてくれないかしら?」
一段落したと判断したところでチャムが口を挟む。
どうやら心配を掛けてしまったようでカイは自分の失敗を悔いる。かなりはらはらさせてしまったかもしれない。
「すみません。配慮が足りませんでした」
「解って」
「まあまあ、これほど大きな街の教会の司祭様となると、毎
怪しい雲行きにフィノが仲裁に入る。リドもチャムの膝に移って前脚でタシタシと注意を引こうとする。
「ちゅり?」
「らしくないわね。ごめんね、リド」
少し顔を顰めると、すぐに笑顔に戻って小さな茶色い頭を撫でる。
「悪かったわ。忘れて」
「いえ、こちらこそ不躾な事ばかり申し上げました。お詫びいたします」
それでも親しい者になら解る表情の陰りがある。何のわだかまりも無い訳ではないだろう。
「貴女の事をお聞きしても良いですか?」
話題を変えるようにカイが問い掛ける。
人に接する事に慣れているラエラルジーネは、チャムの引っ掛かりも察しているようである。その空気を変えるように掛けた言葉でもあるが、彼女の行動に興味があるのも事実だった。
「僕達は南のほうから来たのですが、道々ジーナさんの評判を多々耳にしました。貴女はその癒しの力を自分の利益の為に使わないだけではなく、布教にもお使いになっていない。それはなぜです?」
彼女は癒しの力を信徒だけでなく、信徒でもない旅人にも施しているらしい。そして、寄付という形で礼を受け取る事はあっても、決して神ジギアへの信仰やジギリスタ教への入信を望んだりはしなかったそうだ。
「この力は神に賜いし恩寵です。わたくしが自己の為に使って良いものでは無いと考えています」
「それは魔法士の生き方を否定していると思えるのですが?」
「いえ、あの方々は努力して自らを高め、それを生業とされておいでです。わたくしはただ神のお導きに従い、お祈りする
それを修行の
「それは等しく振る舞われるべきだとお考えなのですね?」
「はい、神のお力とご意思を代行しているだけのわたくしがほしいままにして良いものではございません。分け隔てなく全ての方々にお渡ししなければならないのです。ただ、わたくし達神の
ラエラルジーネは滔々と語る。
それはつまり彼女の中でそれらの理屈が全く矛盾なく綺麗に収まっている事を意味する。第三者からの言葉でそう簡単に揺らぐことはないであろうと思われた。
それは容易に察せられたものの、カイは少し穿った質問をしてみたいと思った。
「では、異なる神を奉ずる者で在れど、貴女の信じる神ジギアの力は与えられるべきだとおっしゃるのですか?」
「ええ」
やはりラエラルジーネは微塵の躊躇いも無く答える。
「如何なる神に頭垂れし者で在っても、皆等しく神の子。神の御許に手を取り合い、敬い合い、愛し合い、そして共に祈りを捧げるべきなのです」
「それでも人は傷付け合います」
「それにはわたくしも心痛めております」
心痛を表すように胸に手を当てるラエラルジーネ。
「でも、貴女も帝国民よ。侵略と戦争の歴史を刻み続ける帝国の民であれば、ジギリスタ教を国教と定める帝国の行いをどう考えているのかしら? 無関係で居られて?」
「なおさらです」
チャムの意地悪な質問にも、彼女の瞳に宿る意思は強い輝きを放っている。
「誰かが声を上げねばなりません。誰かが変えていかねばなりません。誰かが態度で示さねばなりません。わたくしは強い心を持って調和の意思を訴え続けていきたいと思っております」
(困ったな。こんなにも似ているなんて)
彼女の中に大きな柱を感じる。彼が持っていたものと同じものを。
それはカイの心をざわつかせるのに十分だった。
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