涙の理由

「『輝きの聖女』ねぇ」

 北に向かうほどに、その噂が耳に入るようになってきた。

「噂通りなら大した力だけれど、それ以上にすごい人気ね」

「そりゃそうだろ? 聞くに、それだけの癒しの力をほとんど奉仕みたいに与えまくってんだからよ。民衆にとればそれこそ女神様だろうぜ」

「すごいって言ってもカイさんの復元リペアほどじゃありませんですぅ。知らないから褒めそやしているだけですぅ。復元リペアは完璧な回復魔法なのですからぁ」

 フィノは尊敬するカイより劣る魔法で信奉を集めている聖女を快く思えないらしい。頬を膨らませながらそんな事を言う。

復元リペアは完璧な回復魔法じゃないよ。確かに欠損部分の復元さえ可能だけれど、それだって周囲の物質を使用して変性させて形作っているんだから、効果範囲内に必須物質が無いと機能しないんだ」


 復元リペアならば、例えば魔獣に食い千切られて失われたとしても再生される。ただ、それは本人の身体の他の部分から僅かずつ引き寄せて復元しているのだ。本人の体重には変化が無い。

 なので、仮に下半身全てを失ったりすれば、復元されたとしても機能的にはかなり厳しい状態になってしまう。立って歩く事さえ難しいだろうと思われる。しかし、命を繋げる事は可能であるし、その後の養生で取り戻せる類の変化だ。その辺は目を瞑らざるを得ないと彼は思っている。

 どうあれ、物質の生成には厳格な縛りがある魔法である事に変わりはないのだ。


「それだってとてつもない事なんですよぅ?」

 固有形態形成場という情報体の型枠を使用した復元魔法は、一般的な魔法士から見れば夢の産物に思えてしまう。

「それこそ物質の生成そのものが出来るようになったら完璧って自慢出来るんだけどね?」

 カイは悩ましげにため息を吐く。

「何が気に入らねえんだよ?」

「見てよ、これ」

 片手で持てる程度の木箱を取り出して、蓋を開けて見せる。

「もうこれだけしか無いよ。バターが魔法で生成出来るなら、僕はその魔法に大金だって払うよ」


 彼らパーティーの女性陣二人は全くカロリーになど配慮しない。それを使えば美味しいと思うのならば、思う存分使ってくれとねだる。

 だからバターや油などの消費はかなり激しいと言えよう。運動量も激しいので、太る心配などほとんどしていない所為だろうが、旅暮らしでは補充も大変になってくる。

 特にバターは、それなりの街でないと商店での取扱量は知れている。村落や宿場町くらいでは、それこそ自家製だったり自分達の消費分しか仕入れていなかったりして、旅人が十分な量の確保は難しい場合が多いのだ。

 それを弁えてカイも仕入れに砕心するのだが、夜営が多くなったり人数が多くなったりで、その計算が狂ってしまう事も少なくない。


「そっちのほうが問題なのね?」

 話題の中心である輝きの聖女より、彼にとってはバターの残量のほうが関心事らしい。

「クステンクルカに着いたらいっぱい買い込まないと!」


 彼らしい悩みに、チャムは苦笑いするのだった。


   ◇      ◇      ◇


 そんな彼らであっても商都クステンクルカに到着して、噂の輝きの聖女にお目通り叶うとなれば出向くくらいの好奇心はある。


「拓己……、君……」

 彼女を目にして一瞬にして表情が消え、涙を流し始めたカイから漏れた名前にチャム達は驚きを禁じ得なかった。


 その耳慣れない響きを持つ名前を、チャムはもちろんトゥリオやフィノも知っている。

 今のカイを形作るに大きな影響を与えた従兄弟にして幼馴染。そして、その死をもって彼の中の獣を完全に覚醒させてしまった張本人。

 カイが今でも人間でいられるのは、その獣を飼い慣らす努力をそれまでしていたからに他ならない。そうでなければ、以前に彼が口にしたその事件の結果、ただの殺人鬼に成り果てていたのは想像に難くない。

 逆に言えばその存在はまさにカイの逆鱗である。無造作に触れれば、変貌を遂げる可能性は決して低くない。そんなデリケートな存在であった。


「まさか……」

(似ているの?)

 チャムはそう口にしそうになって言葉を飲み込んだ。この件に関しては、本当に不用意な発言を控えなければならない。そう思ったからだ。

 まずは本人の反応をよく観察して対応を決めないと大変な事になってしまう。その意思をフィノと目配せで示し合わせ、口を開きかけたトゥリオを睨んで黙らせた。


 持ち上げた右手の拳は震え、俯いた顔は強く目を瞑り、全力で食いしばった歯の隙間から唸りが聞こえてきそうだ。途切れ途切れに吐かれる息が、嗚咽を押さえ込んでいる様子だった。

 そんな状態が六呼30秒ほど続くと、カイは顔を上げ長く大きく息を吐いた。


「カイ……?」

「ごめんね。今はちょっと……」

 手巾で顔を拭った彼は、それでもいつもの微笑みを浮かべていた。


 あの僅かな時間の中で、その身の内にどれほどの感情が荒れ狂ったのかは分からない。それでも彼は帰ってきた。それをチャムは諸手を挙げて喜びたかったが、ぐっと堪えて一番の笑顔を送る。


「どこかで休みましょう?」

「ありがとう……」

 少し潤んだ瞳を細めて、はにかむように笑うカイを強く抱きしめたいと思ってしまった。


 明らかに動揺を見せた輝きの聖女だったが、ざわつき始めた信徒達に手を挙げて応え、教えの続きを説き聞かせている。しかし、僅かに集中を欠いている様子で、彼女の説法に通い詰めている熱心な信徒達の中には訝しげな表情を見せる者も出てきた。

 語り終えた女性司祭は今陽きょうの不調を正直に詫び、申し訳無さそうに再び訪れてくれるように皆に請うた。

 信徒達は笑顔で頷き、神ジギアへの祈りの言葉を口々に呟き、その場を後にし始める。


「もし」

 目立つ場所を避けて端に移動していたカイ達に彼女は声を掛けてきた。

「何かお悩みがあるとお見受けしました。宜しければ中でお聞かせいただけませんか?」

「お構いなく」

 貴女の所為とはっきり告げるのも憚られて、チャムは冷たく言い放つ。

「別にお悩みを聞いて、寄付を願いしようという訳ではございません。純粋にわたくしでお力になればと考えているだけです」

「いや、こっちはこっちでちっと事情が有るだけだ。気にすんな」

「トゥリオ!」

 それは訳ありだと広言しているようなものだ。まあ、涙を見せた時点で或る程度は察せられてはいるのだろうが。

「大丈夫です。醜態を見せてしまっている以上、理由をご説明申し上げないと納得はいただけないでしょうから伺います」


 既に落ち着いているカイは、彼女に配慮するくらいの余裕を取り戻していた。


   ◇      ◇      ◇


 クステンクルカ本部だけあって、教会内には幾つもの応接室がある。その内の一つを借り受けたラエラルジーネは、彼ら四人を招き入れた。


「どうぞお召し上がりください」

 皆の前には古緑茶ラタルが並べられている。

 東方で一般的なのは緑茶ピッケだが、接客では高級感漂う花茶ファランや味わい深い古緑茶ラタルも好んで飲まれている。

「では遠慮なく」

 青年は普通に口にするが、青髪の女性や赤髪の大男、獣人女性はそわそわと何か落ち着かなげな様子を見せていた。

「情けないところをお見せしただけでなく、その所為で貴女を動揺させてしまったようで申し訳ございません」

「いえ、それはわたくしが未熟故のこと。お気遣いなく」

 柔らかな物腰で丁寧に詫びてくるカイと名乗った青年に、ラエラルジーネは好印象を抱いていた。

「実は聖女様が……」

「ラエラルジーネです。家族はジーナと呼ぶので、どうかそのように」

「では。実はジーナさんが僕の大切な人にとても良く似ていたので、あんな事になってしまったのです」

「あなたにとって本当に大切な方なのですね。故郷に残されてきましたか?」

「故人です」


 何気なく投げ掛けた質問のその答えに、ラエラルジーネは息を飲んだ。

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