草原の生存競争

「狼人間ねぇ……」

 初めてチャムと顔を合わせた時は、彼女のあまりに美しさに尻込みしていた農家の子供達も打ち解けてきている。

「うん、あっちの街道の向こうにあるレスキレートって町の近くで出るんだって」

「いっぱい食い殺されちゃったんだって」

 四人が初耳だと知ると、村落に立ち寄った行商人からその話を聞いたのだと彼らは自慢げに語り始める。

「君達は怖くないの?」

「だって50ルッツ60kmは向こうだもん。こんな所まで来ないよ」

「そうかしら? 狼系魔獣なら一有れば走り切る距離よ?」

「え? 嘘?」

 今宵の夕食にも冒険者が提供した魔獣肉が使われている。魔獣に関しては彼らのほうが専門家だと分かった子供達はにわかに震え始めた。

「脅してやるなよ、チャム」

「そうですよぅ。狼魔獣さんだって、餌に困らなければそんな距離を移動したりはしないものですぅ」

「本当!? もー!」

 子供達は頬を膨らませて、ケラケラと笑い始めたチャムをポカポカと叩いた。


「ふぅー」

 そんな遣り取りが交わされる間も、無心に赤麦ご飯を掻き込んでいたカイが満足げな溜息を吐く。

「お代わりをよそいますよ」

「ありがとうございます!」


 そんな子供っぽい仕草を見せる彼を、奥方は微笑ましく見守っていた。幸い、育ち盛りの子供が三人もいる一家だ。相当量の赤麦を炊いていたのである。(仕方ない人ねぇ)と苦笑いしながらチャムも様子を見ていた。


「それでさ、東方には変身する魔獣なんてのが存在するんだ」

「居ないわよ、そんなもの。未だ嘗て聞いた事も無いわ」

「魔法で変身するおとぎ話とか、結構有りそうなんだけど? それが実は本当の話だったなんてのは?」

「有りませんですぅ。それこそ神話伝説の類でないと」

 なまじ魔法が存在する世界だけに、逆に現実的でないらしい。


 変身となれば体格や身体構造の違いから、ほぼ確実に質量変化が伴うと考えられる。

 確かに便利な魔法であり、エネルギーを生み出す事は難しくないものの、質量を生み出す事には縛りがある。厳密に言えば、質量を生み出す事も消し去る事も不可能だと思っていい。僅かに、光子魚雷フォトントーピードのような物理現象に伴う質量転換というのが例外と考えて良いようだ。

 結果、魔法による変身という可能性は除外されてしまうらしい。


「でも、そんな話が根も葉もないと考えるのは難しいよね? 情報という意味では、50ルッツ60kmは近いよ」

 新しくよそってもらったご飯をお礼を言って受け取り、焼いた肉に手を伸ばしつつカイが言う。

「確かにね。たった一人のホラ吹きの仕業と思うには情報に重みが有るわね」

「でしょ? その注意情報って言うのは冒険者ギルドから出ているって商人さんは言ったんだね?」

「そうだよー!」

 少年からは明確な答えが返ってくる。

 田舎の子供達にはこんな噂話ほど絶好のご馳走は無い。よほど熱心に聞いたらしく、一言一言が自信に満ち溢れている。彼らが虚言を交えているとは思えない。

「真偽はともかく、かなり気になるのは事実よねぇ」

「行ってみるしかねえか。何か裏があるかもしれねえしな」

「あやふやな情報では冒険者ギルドは動きませんですからぁ」

「まあ、この人が満足したらの話だけど?」

 早くも三杯目の赤麦ご飯を空にしつつあるカイの様子を見ながら笑う。斯く言うチャムもおかずの鍋料理を新たによそってあげているのだから自由にさせるつもりなのだろう。


 ひと晩、農家の世話になった彼らは翌朝、結構な量の魔獣肉を残して別れを告げる。名残惜しげな子供達に手を振りつつ、村落を後にして宿場町レスキレートに向かった。


   ◇      ◇      ◇


 旅慣れた旅人なら50ルッツ60kmは二という距離だろう。しかし、セネル鳥せねるちょうの健脚ならば、ゆとりを持って一で踏破する。

 このもパープル達は順調に走る。ここしばらくはのんびりと過ごしていた彼らは、再び乗り手を得てご機嫌だ。従順で忠誠心の強いセネル鳥にとって、自分達が役目を果たせているというのは充実した状況であり、生き生きとした様子を見せていた。


 東方南部は乾燥していて決して肥沃な土地という訳では無いのだが、豊かな地下水を湛えていて少雨でも作物が育つ。穀倉地帯が続く街道沿いでは耕作地かまばらな草原が目立ち、時折り遠く近くにこんもりとした森が見える程度である。そこはほとんどが湧き水を中心とした森林で、あまり広がりを見せずに留まっている。

 この為、森林性の動物や魔獣には厳しい環境と言えるかもしれない。この地域に生息するのは草原性の動物や魔獣だと思っていいだろう。


 実際に街道からも草食動物の姿が良く見られる。西方のように丈高い草原はほとんど見られないので、その姿は丸見えだ。中には魔獣に分類される草食獣も居るのだろうが、それぞれに草を食んで住み分け食べ分けが出来ている様子。それだけ豊かな土地が広がっているなら、肉食獣も肉食魔獣も暮らしやすいようにカイは感じた。


「結構、のんびりした土地に見えるのだけど、こんな状態でも魔獣は人を襲うのかしら?」

 彼と似たような感想を抱いたのだろう。それと狼人間の襲撃とは噛み合わない気がして、チャムがその疑問を口にする。

「そうだねぇ。それが魔獣の魔獣たる所以だと言われてしまえば返す言葉に困るのだけれど、一つ思い浮かぶとすれば人も草食獣や草食魔獣の肉を食べるって事かな?」

「ライバルだと思われているって事ですかぁ?」

「こういう地形って狩りが難しいよね?」

 カイは草原を示して答えた。


 隠れ場所に乏しい地形で狩りをしようとすれば、こっそり忍び寄ってから一気に襲い掛かって短距離で勝負を決めるのが難しくなる。必然、肉食獣側も群れで囲い込むような持久力スタミナ勝負の狩りをするしかなくなる。狼などの犬科の独壇場になるかもしれない。

 猫科のような単独捕食者が生き抜こうとすれば、所々にある小さな森一つを縄張りとして、そこで待ち伏せを狙うしかなくなるだろう。しかし、その生活環境は繁殖の機会を少なくしてしまう。

 それらの理由から、こういう環境下では猫科の魔獣は少ないのではないかと語った。


「ただでさえ狩りが難しいのなら、餌場を荒らす人間を排除したほうが暮らしやすくなると考えたっていうの?」

 彼はそれに頷いて返す。

「生存競争だね。少なくはなくとも有限な食料なら豊富なままのほうが生き残りや繁殖が楽になるよね? なまじ頭の切れる肉食魔獣なら、競争相手を滅ぼそうとまでしなくても、追い払えば良いと思ったとしても変じゃないでしょ?」

「合理的ですねぇ」


 西方のような森林帯が大きく広がっている地域は、肉食魔獣には天国だろう。そこら中が即ち狩場であり、草食獣側の対抗手段は繁殖力に他ならない。

 それ故に、人間との衝突は生活圏の交錯が原因となってしまう。互いに食う食われるの関係だ。

 それと異なり、この地域での確執は食料の奪い合いによって起こっているのではないかと説明した。


「魔獣の絶対数は遥かに少ないと思うよ。それでも互いに邪魔だと感じているのは間違いないんじゃないかな?」

 カイは「あくまで想像に過ぎないけど」と付け添えながら結論付けた。

「つまり、草食獣が出来ている住み分け食べ分けを、人間と魔獣で出来ていないって事かしら?」

「そういう事なんだと思いますぅ。むしろどんな環境下でも繁殖力旺盛な人類のほうが自然界では異常なのかもですぅ」

 身も蓋もない結論に、チャムはこめかみを押さえる。だが更に突飛な意見が飛び出した。

「それじゃあよ、狼人間やつらは人間に対抗する為に変身出来るよう進化したって事じゃねえか?」


「「「無い無い(ですぅ)」」」

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