狼人間の噂

 石室を抜けた先は、それほど高くない山の中腹といったところだった。西方とは違う乾燥した空気が一瞬にして長い距離を移動したのだと教えてくれる。


「座標上だと、ここは帝国の版図でも南部のほうに当たる筈なんだけど?」

 まばらな木立から垣間見える草原を眺めつつ黒髪の青年が言う。

「よくあの記述が座標だって解ったわね?」

「だってあの魔法陣は発進点であり到着点でも有るんだから、両方の座標が組み込まれていないと妙な話になるでしょ?」

 質問には答えてくれなかった青髪の美貌に、カイは自分の考えを述べる。


(どういう頭の構造していたら、あの魔法陣を読んだだけで数値化された記述が場所を表しているって気付けるわけ? 当時の魔法局が技術の粋を結集して開発した魔法陣を簡単に読み解かれたんじゃたまったものじゃないわ)

 チャムは、カイの世界にGPSなどというものがあって、位置を数値化するのは当然という文化が有る事など窺い知れないので、それを彼の洞察力なのだと誤解してしまう。


「ちゅりー!」

 カイの肩でリドが自慢げに胸を張るのを見て、少し吹いて彼女を撫でた。


「どこだよここ?」

 巧みに偽装されている石室の入り口を観察していたトゥリオとフィノもやってきた。魔法技術の産物だとは解っていても、どこか奇跡のように思えて仕方ない美丈夫は未だ少し青い顔をしている。

「位置的に大体どの辺りっていうのは解るんだけど、地形や地名ってさっぱりなんだよ」

「帝国の版図でも南の過疎地の辺りよ。南部って言っても極めて広大なんだけど」

 彼の不確かな回答をチャムが補足する。

「そうか、それでちょっと寒いのか」

「ですねぇ。急に空気が変わったから身体がビックリしちゃってますぅ」

 気温的には過ごしやすい気候の筈なのだが、西方の北寄りから転送されてきて、暑熱順応した身体には涼しく感じてしまう。

「すぐに慣れるわ。何ならマントでも羽織っていなさい」

「そうしますぅ」

 南洋海路を使うつもりで出発した彼らは、衣類もそれなりに準備してきていた。


「あの魔法陣、本当に転移出来るんですねぇ。すごいですぅ」

 石室のほうを振り返りつつフィノは感心する。

「対になる魔法陣同士でしか転送は出来ない構造だけど、極めて画期的な魔法記述だね?」

「まだ信じられませんですぅ。フィノ達は魔法空間を通り抜けたんですよねぇ?」

「そうだね。あれは魔法陣同士が魔法空間を通じて紐付け接続されていて、そこに保護膜で覆った対象を乗せて運ぶ仕組みになっているんだよ」

「つまりそれだけの距離を通過していても時間経過は無いって事ですよねぇ」


 これがリドのように分子レベルまで分解して転送する仕組みだったら、何らかの実験をしなければカイもいきなりの使用は避けたであろうが、言うなればケーブルカーのような移送方式だったので彼も不安は無かったのである。


「うん、僕達の感覚では時間の経過を感じる事は無いだろうね」

「それは、あくまで観測出来ないからって意味ですよねぇ?」

「?」

 チャムとトゥリオはこの言葉の意味は理解出来ない。


 より高次的視野で言えば観測出来るという意味なのだが、それを言葉で説明しようとすると困難を極めてしまう。


「誰も観測出来ない以上、それはただの事実になるんだよ」

「はい、解るとしたら神様だけですよね?」

「そうなのかなぁ?」


 ぼかした答えに一瞬「ん?」という顔をしたフィノだが聞き流す事にした。


   ◇      ◇      ◇


 東方は西方と違って乾燥地帯なので、見渡す限りとはいかないまでも地平線が見える。それでも宿場町や村落といった背の低い建築物しか無い場所を見通そうとすれば4ルッツ5km弱が精々である。広域サーチを使っても、それが動物の群れなのか集落なのかも区別が付かないので、当たりを付けて進むしかない。


 しばらく進むと耕作地が見えてきたので、外周に沿って道を探す。耕作地には必ず農道が併設されていて、それが村や町に続いているからだ。

 ところが、道に当たる前に人に当たってしまった。耕作地の脇に荷車が置いてあり、見回すと刈り取り作業をしている農夫の姿が有る。畝の間にはピョコリピョコリと二羽のセネル鳥せねるちょうの頭も上がっていて、彼らが雑草を啄んで回っているのだと分かった。


 麦色に染まっているこの面の他には、隣接してまだ青々としている面も有って、植え付け時期をずらして耕作しているのが一目瞭然だ。地軸変位のほとんど無いこの惑星では、季節に合わせた耕作という概念が無く、こうやって時期をずらして植え付け・収穫していくのが普通である。


「こんにちは!」

 作業に夢中になっていたのか、声を掛けられた農夫は目をパチクリとさせて見遣ってくる。

「おー、何だお前ら? 流しの冒険者か?」

「ええ。ちょっと良いですか?」

 彼らの服装を見て推察したのだろう。当然のように言い当ててきた。それほど珍しい事でもないのかもしれない。

「どうした? 儂はこの辺の事しか分からねえぞ」

「いえいえ、ご専門の事ですよ。これ、赤麦ですよね?」

「おう! 見ての通りの赤麦だ」

 カイが赤黒い穂を指しながら問い掛けると、うべないが返ってくる。


 赤麦は通称で、正確にはイェリナン麦。うるち大麦の一種で、酒精の原料にされたりそのまま炊飯して食べられたりする東方の主要穀類なのだ。


「買い取れるならいただきたいのですけれど、可能です?」

「欲しいんならうちの倉庫にあるぞ。今陽きょうはこれを刈り取らねえと帰れねえがどうする? 待ってるか?」

「それならお手伝いしますよ」

「お?」


 農夫とセネル鳥せねるちょう達に外に出てもらうと、フィノとリドが畝ごとに立つ。

風刃ウインドエッジ!」

「ちゅちっ!」

 切断の風魔法が放たれる。それも斜めに制御されていて、畝の上、赤麦の根元を走ると一方向にパタパタと倒れていった。

「こいつは便利だな」

「いてっ!」

 農夫はガハハと笑いながら、トゥリオの背中をどやしつけた。

「さあ、刈るのは彼らに任せて僕達は取り込みましょう」

「おー!」

 一がかりのところを半で済ませた彼らは、意気揚々と村落に向かって帰った。


 農夫の家に着いて、収穫した赤麦を奥方や子供達も総出で干し台に掛けてしまうと倉庫に案内してくれた。

 中には、精麦されて袋詰めになった赤麦が山と積まれている。その一画は物品納税分らしいが、契約商会に卸す分を除いても自家消費分も結構な量が有る。


「どのくらい分けていただけます?」

「好きなだけ持ってけ。また明陽あすも収穫だし、嫁が脱穀精麦もやってるから毎増えていくからな」

 聞くと、今は一応の収穫期であり、或る程度干し台に溜まると農夫も手伝って一気に作業を進めるのだそうだ。

「そりゃいいがどうすんだ、赤麦なんぞ買い込んで? 商売人には見えねえが」

「いただきますよ。見ての通り僕達は西方からやって来ています。あちらには赤麦は無いので買い溜めておきたいのです」

 彼が仲間のほうを指すと、農夫もさもありなんと頷いた。

「そんなに食いたいか。珍しいもんでもないがな」

「出来れば竈をお借りしたいくらいです」

「それならお召し上がりになりますか? 今夜の為に炊いた物が有りますよ?」

 たおやかながらも逞しさを感じさせる奥方から、有難い提案が為された。

「良いんですか?」

「お手伝いくださったのですから、幾らでもお召し上がりになってください」

「ではお言葉に甘えて」

 そのは農家にご厄介になる事となった。


「兄ちゃん達、冒険者なんだろ? 狼人間をやっつけに来たのか?」

 夕食の席で、農夫の息子の問い掛けに彼らは首を捻る。


「狼人間?」

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