雲狼の秘密

乳白色の闇の中

 冒険者達は固まって行動している。そうせねばならない理由が有った。


「くそっ! 奴ら、小細工しやがって!」

 手を伸ばせば指先を見るのも危うげな視界の中、槍を構えた男が毒づく。

「しゃあねえだろ? これが連中の武器っちゃ武器なんだから」

「そんな事言ってられないぞ? こんな視界じゃ、どこから仕掛けられるか分からない」


 風の魔法を使っても吹き散らす事さえ敵わなかった濃い霧を前に、魔法士は最大限の警戒を促す。その事実からかなり広範囲にこの霧が散布されていると分かった。

 そう、これは散布された霧だ。彼らが受けた討伐依頼は『雲狼クラウドウルフの群れの討伐』であった。


 雲狼クラウドウルフ。水属性系統の狼系魔獣である。

 かなりの魔法巧者とされ、投氷槍アイスジャベリンはもちろん、「放霧フォッグブレス」という魔法を使用する。これは彼らが口から濃霧を吐き出すからの命名なのだが、それを魔法士が模倣した魔法はロッドから霧が放出される。

 目晦ましなどの攪乱効果の高さから戦場などでも多用された歴史を持つが、多人数による使用でなければ広範囲に効果を及ぼせなかったり、対策魔法「熱風ヒートストーム」の発達によって廃れてしまうという経緯があった。


 雲狼クラウドウルフは本来、深山幽谷を生活の場にしており、動物や魔獣を糧として生きている。ほとんど人里近くで発見される事は無いのだが、今回はとある高原地帯でその姿が狩人などにより多数確認されており、狩場を移動したのだと判断されて討伐依頼が出たのであった。


 この状況で最も恐るべきは、突然霧を裂いて飛んでくる投氷槍アイスジャベリンだろう。そう思って魔法士は魔力のうねりに神経を使っているのだが、その気配は無い。


「フッフッフッフッ…」

 息遣いだけが白い闇の向かうから聞こえてきて恐怖感を煽る。

「一体何を考えてやがる」

「嬲るつもりか、こいつら」

 切迫感が彼らの口数を多くさせている。


 これほどの緊張感はそう長く続くものではない。それが解るだけに余計に動けなくなりつつあった。

 その時、薄曇りだった空から焔光ようこうが差し込んでくる。乱反射した光の悪戯か、雲狼クラウドウルフの影が霧の中に浮かび上がる。


「しめた!」

 数は確かに多い。数十頭は確認出来る。しかし、姿が見えるというのは冒険者達に安心感を与えた。

「かましてやれ!」

「押さえてくれよ」

 魔法士が構成を編み始め、その間の防御を盾士に任せる。槍を構える男と長剣を眼前に掲げた男も襲撃に備えて緊張感を更に高めた。

「……お? おい! ちょっと待て!」

 長剣の男が切羽詰まったような声を上げた。


 ゆるりゆるりと近付きつつあった雲狼クラウドウルフが異様を見せ始める。

 立ち止まった一頭のシルエットがぶるりと震えるとその場に座り込む。そのまま前脚を上げると頭部の位置が上がっていく。


「……冗談だろう?」

 後脚まで伸ばしたシルエットは立ち上がってしまい、完全に人型を取った。

「バカなっ!」

「変身しただと!?」

 見回す限りに確認出来る雲狼クラウドウルフの群れが、同じ段階を経て次々と立ち上がり人型を取っていく。彼らは数多くの人影に囲まれる形になった。

「か、勘弁してくれ!」

「ひぅっ!」

 魔法士ももう構成を編むどころではなく、完全にパニックに陥っていた。


 状況はそれだけで終わらなかった。

 人影が前屈みになるような姿勢を見せると、何かを拾い上げるような動作をした。棒状の物を持ち上げた人影だが、手にした物は木の枝や棍棒のような物ではなく、鋭利な形状をしていた。


「剣だと!?」

 違和感はある。あるがそれを感じなくなるくらいに動転しているというのが正しいだろうか?


 この辺りは彼らの狩場だといえばそうなのだ。人型を取れる雲狼クラウドウルフ達が準備していたのかもしれない。或いはこれまで見えていなかっただけで、彼らが咥えて持ってきていたのかもしれない。混乱した頭も、それくらいの予想は立ててくれる。それより問題は、武装した人型数十体が迫ってきているという事だ。


「ど、どうするんだよ!」

 震える声で盾士が問い掛ける。が、そこで事態が動いた。

「来る!!」


 質量を伴っているかのように見える濃い霧が攪乱される動きを見せたかと思うと、乳白色を裂いて人影が現れた。

 急迫した人影に構え遅れたものの、剣士はかろうじて攻撃を長剣で受ける。しかし、受け方は非常に悪く、その長剣は中程から折れ飛んで行ってしまった。

 その事実より重かったのは、人影が行った攻撃が剣によるものだったという事だ。頭のどこかでまさかと思っていたそれが金属音を伴った事で、間違いなく金属製の刃持つ武器による攻撃だと証明されてしまった。


「はぁ、はぁ……」

「あ、ああ……」

 衝撃に慄く冒険者達はもう言葉を紡ぐ事さえ出来なくなっている。

「う……あ、わあああー!」


 襲撃者の影がまた白い闇の中に消えていってから、手元に残った剣の柄を眺めていた剣士は、悲鳴を上げて放り出すとそのまま一目散に逃げ出した。

 それが呼び水となり、皆が武器を投げ出して大声を上げつつ全力で駆け去っていく。そこには濃霧の所為かゆらゆらと揺れて見える人影だけが残される。


 その人影も追撃する事無く、一つまた一つと消えていった。


   ◇      ◇      ◇


 命からがら逃げ出した冒険者達は、本拠地にしている宿場町レスキレートまで辿り着いてから我に返った。

 慌てて冒険者ギルドに駆け込んだ彼らは一部始終を報告する。しかし、それはやはり嘲笑を以て迎えられた。

 曰く、ビビり過ぎて何かを見間違ったとか、前のに痛飲した挙げ句に二日酔いで幻覚を見たとか、散々な言われようだった。

 結果的に彼らは信用を失い、ギルドに敬遠されて冷や飯を食う羽目になったのだが、その状態も長くは続かなかった。同様の報告が、冒険者ギルドに重ねて舞い込んだからである。


 そこに至って冒険者ギルドは事態を重く見る。高ランクパーティーに調査依頼を出し、現場である件の高原地帯に送り込むと、その報告を待った。

 結果は空振りである。そのパーティーも濃霧の洗礼は受けるものの、雲狼クラウドウルフは姿を現さない。懸命に霧の中を探索したのだが、ついぞ出現する事は無かった。

 補給を挟んで、実に三度もの派遣を行ったが、全てが無駄足に終わったとなっては冒険者ギルドは困惑する。まるで手に負えない相手には挑まないという姿勢が垣間見える。そのしたたかさに違う対応を考えざるを得なくなった。


 現状、雲狼クラウドウルフが根城にしていると思われる小さな森と、それに面する高原地帯を立ち入り禁止にする措置を採る。更に平行して、付近の冒険者ギルドに注意情報を出し、旅人が付近を通行しないように喚起した。


 その情報が広まり、周辺の人々の口に上るようになると変質を始める。重要な筈の情報がただの噂話に変わり、更に尾鰭が付いていった。

 レスキレートには狼人間が住み着き人々を襲って食い殺しているとか、山中には狼人間の王国が存在しその先兵が現れて宿場町を占領しようとしているなどと、突拍子もない噂になっていった。


 そんな噂話だけが一人歩きを始めれば、物見遊山にレスキレートを訪れる者も増え始めてきた。

 宿場町に新顔の四人の冒険者が現れた時も、町の住民はその手合いだと考えている。その内の一人、黒髪の青年が妙な事を口走っても誰も何も感じなかった。


「狼人間だってさ。面白いね」

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