東方へ

 筋肉質であれど、きめ細やかで滑らかな白い肌が湯を球にして弾いている。

「はぁー」

 心地良さについ漏れたかのような溜息を漏らして、湯から差し上げた足に手を滑らせ軽く揉み解した。


「やっぱりうちの広いお風呂は良いわねぇ」

 チャムは、洗い場で身体を流しているフィノに呼び掛けた。

「はいー、旅暮らしも嫌ではないのですけど、お風呂はおうちのが一番ですぅ」

「そうよねぇ。お風呂リングは有るけど湯舟は小さいものね」

 同じ構造の風呂ではあるのだが、広さは段違いだ。二、三人でも足を延ばしてゆっくり入れる湯舟は気分的に大きく違うらしい。


 早朝から獣人騎士団の五人に稽古を付けた後に汗を洗い流すべく風呂の準備をしたのだが、旅立ちを告げられて不機嫌になってしまったレスキリのご機嫌を取る為にカイは彼女が作る料理を笑顔で消費している。

 それで彼の手がふさがってしまった為、トゥリオがパープル達を洗う役に回されてしまった。不器用な彼に任せるのは不安が残るのだが、雑な作業をすればセネル鳥せねるちょう達に突っつき回されるだろうから大丈夫だろう。

 そんな成り行きで女性二人が昼間から風呂場でのんびりと湯を使っているのである。


 手桶に洗浄成分を含んだ植物を入れて揉み出し、それで身体を洗っていたフィノが泡を洗い流して湯舟に入ってくる。

「ほわー、全身の力が抜けちゃいますぅ」

 彼女が身体を横たえると、顔の前に二つの島が浮かぶ。それを眺めたチャムは、少し悪戯げな視線を送った。

「邪魔そうね。またちょっと育っちゃったんじゃないの?」

「ふ、太ってなんかいないですよぅ!」

 それを太ったと受け取ってしまった獣人少女は即座に反応した。

「太ったとは言っていないわ。育ったって言ったのよ。まあ、重くなったのに変わりは無いのでしょうけど?」

「重くもなってません……、ですぅ」

 自信が無いのか尻すぼみになってしまう。

「もしそうだとしたらカイさんが悪いんですよぅ」

「あら、彼の所為にするの?」

「だって美味しい物ばかり次々に作っちゃうんですもん!」

 すっかり食いしん坊になってしまった彼女のそれは言い訳に過ぎない。

「それは否定しないわ。食べるのは本人の自由だけれど?」

「むぅー、その言い方はズルいですぅ」


 チャムとてそれなりに食べていると思うのに、全くと言っていいほど体形の変化しない彼女の肢体を見て、フィノは不満そうに言う。

 彼女の白い肢体は女のフィノでも見惚れるようなバランスで、美を体現していた。チャムはフィノの豊満さに嫉妬しているようだが、彼女も双丘を島にするほどの豊かさを持っている。


「まあ良いんじゃない? それに魅了される男共は多いんだから」

 このホルムトでさえ、フィノが獣人だとは分かってもその胸元に男の視線は向いている。そういった男の生理が良く解っているチャムでも少し呆れるほどに。

「嫌ですよぅ。まるでそこがフィノの本体みたいに見られても」

「そこまでじゃない筈よ。全面的には否定は出来ないけれどもね」

「カイさんやトゥリオさんはそんな目で見ないのにぃ」

「見てるわよ、しっかり。ただ、あの人達はそれより他の所にフィノの良いところを見つけてくれただけ」

 その台詞を聞いた彼女は満面の笑みになる。

「嬉しいですぅ。それが一番嬉しいのですぅ。フィノは幸せですぅ」

「そうね」

 チャムはそれを肯定して、ピンク色に染まった肌から雫を滴らせつつ湯舟から上がっていく。


 湯上がりで少し薄着のチャムの姿に、カイの目が釘付けになったのは言うまでもないだろう。


   ◇      ◇      ◇


 翌陽よくじつ、四人は連れ立って王宮を訪れ、許可を得て国王執務室の扉を叩く。


「行くか」

 いとまを告げた彼らに、国王アルバートは少し寂しげな様子で答えた。丁度クラインも同席しており、彼も一巡六日後には新領に向けて発つとあっては寂しさもひとしおなのかもしれない。


 孫達とは、行き帰りまで含めると三往3ヶ月半の別れになるが、狼頭の家の兄妹がその寂しさを埋めてくれそうだ。

 実は王妃二ケアがアキュアルをいたく気に入っており、料理長にケーキを焼かせては二人を呼び寄せる。無論、保護者としてウィノも着いてきており、ずいぶんと親しい様子を見せるようになっていた。


「帝国の様子は知らせるようにしますので」

「無理せずともよいぞ?」

 の国の情勢は把握しておきたいところだが、その分危険度も上がるだけ強いるわけにはいかない。

「こちらから積極的に体制側に近付くつもりは皆目ありませんのでお気遣いなく」

「だが、君が魔闘拳士だと知れば向こうは放っておいてはくれないだろうな」

 クラインの懸念は間違いなく的を得ているだろう。

「否めませんね。上手に立ち回るつもりでは有りますが限界はあるでしょう。極力刺激しないように致しますよ」

「うむ、そなたであれば万が一も無かろうからの」

 それぞれが再会を約して退室する。


 王宮前にパープル達を待たせていた四人は騎乗するとそのままホルムトを後にしたのだった。


   ◇      ◇      ◇


 南大門を出て、港町カロンに向かうと思っていたチャム達は、カイが街道を外れて北東に進路を取ったのを不審に思う。正確に言えば、チャムは悪い予感が当たったのだと知った。


「おい、どこ向かってんだよ?」

 フィノの不安げな表情もあってトゥリオはすぐに声を掛ける。

「うん、あの魔法陣のとこー」

「おう、あれが何か解ったのか? 東方に向かう前にそっちの調査か?」

 時々、カイが部屋に籠もっては魔法陣の解析に勤しんでいたのを知っているトゥリオはそう理解した。

「そうだね。確かに解ったのは解ったんだけど、調査じゃなくて利用しに行くんだよ」

「利用ですかぁ? 何か便利なものだったのですね?」

 こういう時のカイに全幅の信頼を寄せているフィノは、先刻までとは打って変わって全く不安は無さそうだった。

「そうそう。とっても便利なものだったよ。今後は再々使いたいと思っているんだ」

「ふわぁ、そんなに凄いものだったんですねぇ。何ですぅ?」

「それは着いてから説明しようかな?」

 はぐらかしたカイは、そのまま北東へ向かうのだった。


「うん? 誰か使用した痕跡が有るね?」

 十あまりの道程を経て、彼らは件の石室を前にしていた。石室前の地面の足跡は巧妙に消されているが、僅かに踏みしだかれたと分かるくさむらを指してカイが言う。

「おいおい、マジかよ。こいつぁ、遺跡とかじゃなくて、今も使われているってのか?」

「そうだとは思っていたけど、割と頻繁に使うのかな?」

「そんな事はないわ。今回はたまたまよ」

 カイが振り向いたので、それを自分への質問たと解したチャムは素直に答える。

「らしいね」

 そう言いつつ、彼は以前と同じ手順を踏んで石室の扉を開いた。


 中に入ったカイは目的がハッキリしているようで、迷う事無く向かって右手の通路へと向かった。


「もし、指定が地名だったり番号割付だったりしたらお手上げだったんだけどね。座標だったから何とかなったよ」

 その口振りで、彼がこの魔法陣の機能をかなり把握していると分かる。

「そろそろ教えてくださいよぅ」

「これはね、驚いた事に転移魔法陣なんだよ」

「ええー!? そんな事、有り得ません! 空間に干渉する魔法なんて存在しない筈ですぅ」

「それが有り得たんだ。これは空間干渉の魔法じゃない。魔法空間を経由して物体を転送する魔法陣みたいだね」

 フィノは手をバタバタと振って否定する。

「そうだとしても送れるのは物だけですぅ」

「違うんだ、これは人も転移出来る。それもリドみたいに分解する訳じゃなく、或る種の膜のような物を張って対象を保護する仕組み。合ってる?」

 矛先はチャムに向く。

「合ってるわ。問題無く使用出来るから安心なさい」

「まあ、使ってみれば分かる話だよね?」

 カイは魔法陣を起動させると躊躇いもなく踏み込んだ。彼の姿は瞬時に消える。

「消えちゃいましたぁ……」

 彼女は動悸を抑えられない。


 チャムが続いて消え、連れられていたセネル鳥達も臆する事無く転移魔法陣を使う。

「い、行くか?」

「は、はいですぅ」

 思い切って魔法陣に踏み込んだ二人は、一瞬視界がブレたかと思ったら、やはり同じ石室の中にいる。他の誰の姿も見えないので慌てて外に向かう。


 皆の後ろ姿に追い付いた二人は、頬をなぶる風が乾燥しているのに気付いた。

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